ましましの音楽日記
G.ヴェルディの作品をこよなく愛するオペラ愛好家による音楽日記です。筆者が鑑賞した海外でのオペラやコンサートの模様や、筆者自身が日頃行っている音楽活動などについて、不定期に綴っていきます。
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カンブルラン指揮読響―第7回メトロポリタンシリーズ「マラ4」
4月19日午後2時前、東京芸術劇場コンサートホールへ。シルヴァン・カンブルラン指揮読売日本交響楽団による第7回読響メトロポリタン・シリーズ。シェーンベルク「弦楽のためのワルツ」、リストのピアノ協奏曲第1番、マーラーの交響曲第4番という、やや珍しい組み合わせの各作品が採り上げられた。会場の入りは、7、8割程度か。

今回は、仕事の都合により、前々日に開催された第536回定期演奏会からの振り替えである。割り当てられた席は、1階RBブロックC列。1階平土間の11列目との並びで、左右の壁沿いに走る3階バルコニー席直下の壁沿いであるが、ステージまでの距離は思いのほか近い。音響的には、ステージ最前方で奏するピアノや独唱の音が直接届いてこないもどかしさ、ステージ上手奥の平台上に並ぶトロンボーンの直接音がやや気になるという点を除くと、臨場感の高さ、弦楽器の響きのまとまりの良さ、頭一つ抜けて浮かび上がる管楽器の明快さなど、この会場特有の響きの良さを十分に体感できるポジションといえる。

この日の演奏会は、一見すると、何の脈絡もないプログラムのように映るが、音楽的な共通項を多く含む秀逸な選曲であった。

前半一曲目は、シェーンベルク「弦楽のためのワルツ」は、12音技法等になる前の初期の作品で、カンブルランによれば、ヨハン・シュトラウス、シューベルト、シューマン、ベルリオーズ、ウェーバー、チャイコフスキーらの要素が散りばめられているとのこと。演奏時間約16分の全10曲からなる短い作品ながら、様々な表情がコンパクトに収められており、示唆と輝きに富んでいる。そして、ここでスナップ的に切り取られたニュアンスの数々は、実は、マーラーの交響曲第4番に描かれる世界観、すなわち、天上の世界と死の舞踏との対比というこの日のテーマへのイントロダクションでもあった。

さて演奏の方だが、この日の読響の弦楽器セクションは、ゲストコンサートマスターのクリスティアン・オスタータークの絶妙なリードにより、流れのよいリズム感で、バランスよく瑞々しく、全10曲をまとめあげていた。また、細部の処理も的確で、料理で言えば味わいの複雑さを醸し出すようなエッセンスの数々に関しても、技術的には相当高度と思われるも、適度に磨かれ、演奏の奥行きを増していた。会場の個性も加わり、素朴さのなかに温もりも感じさせる響きが印象的であった。

前半二曲目は、ニコライ・デミジェンコを独奏に迎えて、リストのピアノ協奏曲第一番。デミジェンコによる筋の通った懐の深い演奏が素晴らしかった。様式観が明快で、音楽全体に一体感がある。筆者の座席の都合上、スケールの大きなピアノの響きに包まれる機会を逸したのは、実に残念ではあったが、斜め横から眺めるだけでも、その質の高さは群を抜いていた。鍵盤楽器に関しては残響過多の硬質な響きとなるホール特性にもかかわらず、音の一つひとつが混濁せず、粒立ちが明快であったことも特筆に値する。

なお、カンブルランは、この作品の交響詩的な世界観に関心を示していたようで、あたかも一つの物語のように、作品全体を構成していたようだ。そしてこの方向性は、マーラーの交響曲第4番にも受け継がれる。曲後半で活躍するトライアングルは、マーラーの交響曲第4番の死の舞踏にも相通ずるものがある。オーケストラに関しては、弦楽器セクションがドイツ的な分厚い骨太なサウンドで好演。対して、木管楽器の合いの手はどこか散漫で、やや思慮に欠けていたのが惜しい。注目のトライアングルは、独奏や弦楽器の精度と比べると、きめ細かさを欠いており、全体の中でやや浮いてしまっていたのが残念。ともあれ、いわゆる中プロの演奏としては、悪くはない仕上がりであった。

アンコールは、メトネルの「おとぎばなし」から。泉から湧き出すようなピュアな響きの拡がりに心を打たれた。出来れば、木の香りのするホールでその余韻を楽しみたかった。

休憩を挟んで、後半はマーラーの交響曲第4番。「大いなる喜びへの讃歌」という副題を伴う。この日の演奏では、誠実さと劇性の交錯、そして救済へ、という大きなシナリオが準備されており、個人的にも、第三楽章後半の壮大なファンファーレや、第四楽章の天上の世界では、図らずも涙が出てしまうほどに感銘を受けた。外面的効果の強調や濃厚さといったスタイルとは隔絶し、話題性のあるネタも周到に排除されているため、物足りないと感じるファンも少なくないと思われるが、その内容の深さと明晰さゆえ、筆者好みの演奏である。

第一楽章の提示部は、シェーンベルクのワルツに通ずる端正な音色で、古典的な様式美に富む。スマートな運びだが、息継ぎのタイミングでは十分な余裕をもち、結果として、フレージングの方向性が明快に浮かび上がっていたのが素晴らしかった。展開部に入ると、不穏な空気の漂うなか、ロマンチックな夜の森に、切れ味の鋭い痛烈な叫びが押し寄せ、個々のポーションが対立軸を先鋭化させる。クライマックスでは、いつの間にかそれらが融合し、大きなうねりを伴って宇宙的な拡がりをみせた。この展開の鮮やかさは、圧巻であった。唐突に開始された再現部は、この作品の最後に展開する浄化の世界を先取りしたかのような質素なスタイルで、第二楽章以降への期待を膨らませた。これだけ多彩なニュアンスをこめながら、またドラマ性を追求しながら、サウンド的には常に見通しがよく、全てが整然と整理され、しかも自然体で表現されていたのは、カンブルランと読響の充実ぶりの証左といえるであろう。

第二楽章は、ゲストコンサートマスターのオスタータークの妙技が全開。これだけ板についていると、聴き手としても嬉しくなってしまう。他方で、非現実の世界、夢の世界、天国の世界を表象する純粋な響きの数々も、透明感が高く、また陽だまりのような温かさを感じさせ、音楽の奥深さを印象付けていた。カンブルランのバランス感覚は、凄すぎる。

第三楽章第一主題における澄み切った美しさは、息が止まりそうになるほど。春の到来を間近に控えた夜明け前のような期待感も感じられた。第三楽章に入ってからは、演奏が良い意味でカンブルランの指揮から解き放たれ、音楽自体として歩みを始めたようにも感じられた。そして、後半のクライマックスでは、オペラ的な高揚感に包まれ、宗教曲における讃美歌にも通ずるような大いなる喜びが壮大に展開。何か物凄い力に突き動かされるような内面的な衝動が走った。

エピローグ的な第四楽章は、言葉の一つひとつが心に語りかける誠実な演奏。特に前半では、時折挿入される美しさに陶酔することなく、むしろシニカルな部分に重点を置いた処理がなされ、独唱を務めたローラ・エイキンの表現力が存分に活かされる。しかし、「音楽も地上のそれとは比較にならぬ素晴らしさ(Kein Musik ist ja nicht auf Erden. Die unsrer verglichen kann werden,)」というフレーズに始まる最終節に入ると、演奏は穏やかさに包まれ、天上の無垢で清らかな世界が静かに拡がった。「天使たちの歌声に心は励まされすべてが喜びに目覚める(Die englischen Stimmen Ermuntern die Sinnen, Daß alles fur Freuden erwacht. )」という最終フレーズは、余韻の中で筆者の心にいつまでもリフレインされた。

これほど内容の濃い演奏会は、久しぶりであった。受け手の心にさりげなく寄り添って微笑みを与えられる芸術家は、本物だと思う。世の喧騒で日々闘っていると、大切なことを忘れてしまいがちだ。プログラム構成力の秀逸さはもとより、社会に対して芸術家として誠実に語り掛け続けるマエストロの人柄が滲み出る意義深い演奏であったといえる。前々日のサントリー公演に関しては、独唱や木管楽器の不調が噂されていたが、この日の演奏を聴く限り、そのような懸念は全くの杞憂であった。もっとも、客層的には、東京芸術劇場のマチネ公演ゆえ、若干見劣りしてしまう。演奏中に物を落下させる輩が少なからず混じっていたのが残念であった。


(公演情報)

第7回読響メトロポリタン・シリーズ
2014年4月19日(土) 14:00開演

会場:東京芸術劇場

指揮=シルヴァン・カンブルラン
ピアノ=ニコライ・デミジェンコ
ソプラノ=ローラ・エイキン

シェーンベルク:弦楽のためのワルツ
リスト:ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調
マーラー:交響曲第4番 ト長調「大いなる喜びへの賛歌」
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[2014/04/20 11:13] | 国内視聴記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
下野指揮読響―第535回定期演奏会「ドヴォルザーク/レクイエム」
3月12日午後7時前、サントリーホールへ。下野竜也指揮読売日本交響楽団による第535回定期演奏会。ドヴォルザークのレクイエムが採り上げられた。独唱陣は中嶋彰子、藤村美穂子、吉田浩之、久保田真澄の各氏が務め、田中信昭らの指導を受けた国立音楽大学合唱団が共演。コンサートマスターには、長原幸太がゲスト出演した。なお、出演を予定していたバスの妻屋秀和は、体調不良により急遽降板した。

筆者の座席は、指定席であるRB9列目。入場者数は7、8割程度か。年度末の繁忙期を迎え、欠席者が割と多かったようだ。業務の都合で、筆者自身も危うく欠席になるところであった。

さて、この日の公演で最も光っていたのは、国立音楽大学合唱団の健闘ぶりである。ポリフォニックな和声の遷移が鮮やかに浮かび上がり、純度の高いハーモニーを存分に愉しむことができた。声に若さが残る点や、ところどころ下支えが不足する点、また音量的な拡がりに不十分さが残る点など、理想を言い出せばきりがないが、作品と真剣に向かい合った彼らの素直な気持ちがそのまま音として伝わってきており、日本で聴く合唱の演奏の中でも高く評価されるべき仕上がりであったといえる。

他方、全体としての仕上がりに関しては、前評判の高さに照らすと、必ずしも十分なものではなかったように感じた。

下野のタクトは、全体的に綺麗に磨き上げられたサウンドを志向していた。各楽器に対する表情付けも念入りに行われており、よく整理されていた。しかし、演奏全体としてみると、この作品の捉え方をめぐって、ステージ上で十分に認識が統一されていなかったようにも見受けられる。各奏者はそれぞれの想いを抱きながら演奏していたと予想されるが、そのベクトルが一つに束ねきれていなかったようにも感じられた。表向きはまとまっているが、どこか物足りない。

また、オーケストラに関しては、主に響きの点で課題が残る仕上がりであったことも指摘せざるを得ない。今回演奏されたドヴォルザークのレクイエムは、ポリフォニックな響きの美しさが際立つ作品である。そのため、オーケストラには、純度の高いハーモニーの構築が求められるが、この日は、特に木管セクションを中心に、音程が微妙に乱れ、和声が明快に定まらず、終始滲んだ表情となってしまった。金管セクションも不安定さを露呈し、全体の響きの中に溶け込むようなニュアンスは見出せなかった。他方、弦楽器セクションは、細めの線で綺麗にまとまり、繊細さを表現できていたが、どこかよそよそしさが漂い、いつものような一体感が薄かったようにも感じた。

なお、第二部に入ると、後半で盛り上がりを見せる曲が複数登場するが、第九曲「オッフェルトリウム」のフーガは、音楽的に充実した高揚感となったものの、その後の第十曲「生贄と賛美の祈りを」、第十一曲「サンクトゥス」は、後半が勢いに任せた盛り上げとなってしまい、曲ごとの変化があまり浮かび上がらなかった。

独唱陣に関しては、直前にメンバー変更が生じたことを踏まえると、まずまずの仕上がりであったのかもしれない。急遽代役で出演することとなった久保田は、演奏機会の少ないこの作品でありながら、全体の流れを損なうことなく、卒なく無難にまとめられていた。吉田は、伸びやかな美声でアンサンブルを牽引し、特に華のある歌唱部分で好演。日本を代表するメゾ・ソプラノ歌手の藤村は、さすがの貫録と抜群の安定感で、芯のあるブレのない歌唱を示すも、彼女の実力からすると、可もなく不可もなくという仕上がりであろうか。中嶋は、ドラマチックな歌唱で力強さを表現するも、作品の性質や下野が狙った方向性に照らすと、多少の違和感があり、どちらかというと、藤村のように、確実に的に当ててくるようなスタンスで臨んだ方が全体の流れにはマッチしていたのではないかと感じた。

このように、凝縮の度合いがいま一歩のまま演奏は進行したが、最終の第十三曲「アニュス・デイ」に関しては、下野の作品構成力は光っており、感慨深さを多少は醸し出すことに成功していた。もっとも、演奏終了後に30秒もの静寂を演出するほどの仕上がりであったとは思えず、やや芝居がかっていたのではないかと個人的には感じた。東日本大震災から3年という節目の時期ゆえ、そうした想いを籠めたかったという気持ちも理解できなくはないが。


(公演情報)

第535回定期演奏会
2014年3月12日(水) 19:00開演
会場:サントリーホール

指揮=下野竜也
ソプラノ=中嶋彰子
メゾ・ソプラノ=藤村実穂子
テナー=吉田浩之
バス=久保田真澄
合唱=国立音楽大学合唱団

ドヴォルザーク:レクイエム 作品89
[2014/03/16 18:54] | 国内視聴記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
イタリア行き(14年3月)③―ムーティ指揮ローマ歌劇場「マノン・レスコー」②
3月8日午前7時半、ホテルをチェックアウトし、ミラノ・ポルタ・ガリバルディ駅へ。Italo9915にてローマ・ティブルティーナ駅に戻る3時間20分の旅程である。復路もPRIMAを利用したが、往復で乗車すると、やや飽きが来てしまう。午後1時前に宿泊先であるベストウェスタン ホテル モンディアルに到着。こちらはクラシックな4つ星ホテルで、バスタブ等の設備は一通り揃っているものの、一昨日のホテルからは若干ランクが落ちるような印象であった。もっとも、ローマ歌劇場の隣という立地は文句ない。

ランチは、ホテルから徒歩10分ほどにあるシーフードレストラン、DA VINCENZOへ。日本語メニューを備えているが、必ずしも観光客向けというわけではなく、地元の人も多く来店して賑わっていた。ボンゴレ・スパゲティと白身魚のグリルは、どちらも水準以上の味わいではあった。

午後5時半すぎ、ローマ歌劇場へ。リッカルド・ムーティ指揮によるプッチーニ「マノン・レスコー」千秋楽。マノン役とレスコー役の2人が入れ替わった。

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筆者の確保した座席は、PAL.16 SX II OR A P6A 1列目。馬蹄3層目中央正面であり、全体の見晴らしがよく、思いのほか残響が華やかである。平土間に比べると、声がよく飛んでくるのは良いが、舞台最前方に限っては、声が極端に増幅されて聴こえくるため、やや不自然さを感じたことは否めない。また、打楽器の音が相対的に大きかったのも、ひとえに座席の位置に起因するものであろう。この劇場の場合、ボックス席に座るのであれば、サイドにずらした方が音響的には無難なようだ。

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さて、この日の上演では、マエストロ・ムーティの卓越した統率力が如何なく発揮された。千秋楽を飾るにふさわしいものであったといえる。

階上席から眺めていると、マエストロのタクトや表情から窺える情報量の多さに改めて驚かされる。リハーサルにおける徹底した仕込みに加え、一寸の狂いもない必要十分な完璧なアウフタクト。歌劇場全体がマエストロの楽器と化しているといっても過言ではない。また、この日は、キャスト2名が入れ替わった反動で、タイミングが狂いそうになる箇所も散見されたが、ものすごいオーラとともにこれを瞬時に立て直す修正能力の高さは、圧巻である。しかも、そうした崩れを逆手にとり、舞台の緊張感を高める方向に導く神業的な推進力は、他の指揮者にはないマエストロの凄さかもしれない。

一昨日と異なり、第一幕では、マチネ公演らしい活力に漲っていた。一昨日の印象と異なり、合唱が存在感を持って聴こえてきたのが興味深かった。躍動感が上がったことで、ややスリリングな演奏となる箇所もあったが、幕切れまで概ね順調に進行した。

第二幕前半は、一昨日と同様の落ち着きを取り戻し、穏やかな表情で音楽が進行。マノンのアリアは、この日マノン役を演じたセレーナ・ファルノッキアの歌唱に、大きな破綻はなかったが、細部にわずかなムラが垣間見られ、ネトレプコの圧倒的な名歌唱を聴いた後では、どうしても物足りなさが残る。逆に言えば、ネトレプコが凄すぎたということではあるが。

第二幕後半のマノンとデ・グリューによる二重唱も、残念ながら音楽的な覚醒の境地にまでは至れなかった。マノン役のファルノッキアも、デ・グリュー役のユージフ・エイヴァゾフも、瞬発力はあり、決め所はしっかりとおさえてくるが、それ以外の台詞的なパッセージで声が沈んでしまうため、音楽的な緊張感が持続しない。スコアにおいてクレッシェンドの指示があり、管弦楽的にはもう少し盛り上がりたいところでも、歌とのバランスを保つため、ボリュームを抑え込まざるを得ず、一昨日と比べると、もどかしさの残る演奏になっていた。通常であれば、後味が悪いままに終わってしまうところだが、マエストロの凄さはここからであった。ギリギリまでピアニッシモのままぐっとこらえつつ、クライマックス直前でスッと手綱を緩め、オーケストラにスイッチを入れた結果、管弦楽と歌とのバランスを最上の状態に保ちつつも、クライマックスらしい高揚感を当たり前のように演出。この選球眼の鋭さには、鳥肌が立つほどの感銘を受けた。

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間奏曲は、座席による印象の違いはあるにせよ、一昨日よりもやや解放感のある演奏。今から振り返ると、この日は、第三幕と第四幕が一昨日よりも速めのテンポで進行することが予定されていたため、間奏曲のテンポ感もそれに合わせていたものと推察される。こういうセンスは、オペラ指揮者らしい。

第三幕は、第二幕と同様、前半におけるマノンとデ・グリューの二重唱がいま一歩であったものの、一昨日と同様に、後半に向け、声の積み重ねによる壮大なクライマックスが構築された。デ・グリューの瞬発力は、特に後半において功を奏し、悲劇性を印象付けることに成功していた。なお、マエストロのタクトに関して、新たな発見は二点。一点目は、音楽的な高揚感の演出にあたり、オーケストラの内声部の響きを充填することで、ピット内から湧き上がるような盛り上がりを導き出す手法である。声と衝突しないため、歌手が掻き消される事態は避けられる。二点目は、後半のクライマックス後の落ち着かせ方で、大見得を切るような締め括り方を回避することで、舞台の進行に連続性をもたらすという手法である。次の場面を見越して、頂点に到達した直後にギアをローに入れ直すことで、舞台上の空気は、着実に次の場面へと向かってゆく。いずれの場合も、必要十分な効果を導くバランス感覚が問われることとなり、しかも、さりげなさを失わないための加減が極めて難しいことは言うまでもない。

第四幕は、前向きなテンポで無難にまとめ上げられていた。この日演じたマノンとデ・グリューの状態に鑑みると、秀逸な判断である。展開がスピーディーで、流れは良いが、最弱音のニュアンスは弱く、一昨日にネトレプコが描いた孤高の世界には及ばない。無いものねだりといえるかもしれないが。

なお、度胆を抜かされたのは、第四幕のコーダ8小節である。第四幕全般を通じて、最弱音の繊細さを描き出すことが出来なかったことを踏まえたのか、幕切れの管弦楽によるコーダのクレッシェンドの頂点を、あえてmf程度に抑え込んだ。これにより、やや健康的な印象であった第四幕全体の色合いが、淡色系のポートレートへと急に変化し、絶望的な荒野の中での喪失感を印象付けた。完全に心を射抜かれた瞬間であった。

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カーテンコールでは、マエストロが万雷の拍手で迎えられ、有終の美を飾った。

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終演後は、ホテルに直帰し、ビールとともに就寝。翌朝は午前4時半にチェックアウトし、タクシーでローマ・フィウミチーノ空港へ。チェックアウト時、ホテルのフロントで請求額を巡り、警察沙汰になって大騒ぎしている集団がいたため、手続に手間取り、危うく飛行機に乗り遅れるところであった。駐車場を利用したかどうかで、早朝から大騒ぎしないでほしい。LH243便にてフランクフルトへ。そしてNH204便にて羽田へ。帰路は無事にビジネスクラスにアップグレードされた。午前7時前に帰国し、自宅にタッチアンドゴーして、職場へ急ぐ。


(公演情報)

MANON LESCAUT

Teatro Costanzi
Musica di Giacomo Puccini

Sabato 8 marzo, ore 18.00

Direttore: Riccardo Muti
Regia: Chiara Muti
Maestro del Coro: Roberto Gabbiani
ORCHESTRA E CORO DEL TEATRO DELL’OPERA
Nuovo allestimento

Interpreti
Manon: Serena Farnocchia
Des Grieux: Yusif Eyvazov
Lescaut: Francesco Landolfi
Geronte: Carlo Lepore
Edmondo: Alessandro Liberatore
Oste: Stefano Meo
Maestro di ballo: Andrea Giovannini
Un Musico: Roxana Constantinescu
Sergente: Gianfranco Montresor
Lampionaio: Giorgio Trucco
Comandante: Paolo Battaglia
[2014/03/16 15:27] | 海外視聴記(ローマ) | トラックバック(0) | コメント(0) |
イタリア行き(14年3月)②―ルスティオーニ指揮スカラ座「イル・トロヴァトーレ」
3月7日午前8時55分、ローマ・ティブルティーナ駅からItalo9920にてミラノ・ポルタ・ガリバルディ駅へ。所用時間3時間20分。Primaの座席に乗車したが、想像以上に振動が大きく、あまり落ち着かない。車輌の綺麗さとサービス面で、イタリア国鉄よりはだいぶマシだが、総合評価としては、可もなく不可もなく。

午後1時前に宿泊先のウィンザーホテル ミラノへ。地下鉄リパブリカ駅からすぐの4つ星ホテルだが、内容的にはせいぜい3つ星レベルである。ミラノのごく普通のビジネスホテルの域を超えない。次回は別のホテルを選ぶであろう。

ランチは、ポルタ・ヴェネツィア駅から徒歩5分のResttorante Calaluna(レストランテ・カラルーナ)。注文したのは、定番メニューであるAntipasto CalalunaとLinguine ricci di mare。ここのウニのリングイネの美味しさは格別。2年半前にも訪れたことがあるが、今回も前回の印象通りの充実した食事を愉しむことが出来た。

ホテルに戻り、しばしの休息の後、午後7時半頃、ミラノスカラ座へ。ダニエレ・ルスティオーニ指揮による「イル・トロヴァトーレ」。

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筆者が発売初日に確保した座席は、Platea Fila F n.1/Sin。平土間6列目左端。歌手の声は飛んでくるが、オーケストラの左右のバランスは悪い。

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この日の上演に関しては、良くも悪くもスカラ座らしい「ふつう」の公演であった。潜在的な技術力の高さと圧倒的なパワーに関しては、疑う余地はない。ヴェルディの演奏にあたっては、ここのオーケストラの上手さは段違いだし、大人数による安定感抜群の輝かしい合唱の魅力は、他では味わえない。今回は、ルスティオーニが余計なことをしなかったため、スカラ座の音色そのものが鳴り、自分の耳のポジションを確認するという意味では、一応得るものはあった。

しかし、作品の上演という観点からは、それぞれのベクトルがバラバラの方向を向いており、劇としてのまとまりはあまり感じられなかった。第四幕になって心の通い合ったアンサンブルがようやく垣間見られたが、第一幕から第三幕までは、一体感を欠いた微妙な空気が舞台上を支配し、居心地が悪かった。歌手たちは、自分の見せ場で力を披露することのみに専念しており、ガラコンサートのようであったといっても過言ではない。そうした悪い空気を何とかよい方向へと引き戻した第四幕のレオノーラのアリア、マリア・アグレスタによる心に訴えかける歌唱が、この日の上演における唯一の救いであったように思われる。もともとは、ルーナ伯爵をレオ・ヌッチとマッシモ・カヴァレッティがダブルキャストで上演するということで話題になった今回の再演。この二人が相次いで降板したことで、プロダクション全体の士気が大きく損なわれてしまったようだ。

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キャスト陣自体は、充実のメンバーだった。マンリーコ役のマルセロ・アルバレスは、明るく伸びのある美声で、力強さから繊細さまで巧みに描き分け、最初から最後まで余裕の表情でこの難役を歌いきった。この作品のキーを握るアズチェーナ役には、ユカテリーナ・セメンチェクが配され、抜群の安定感と表現力で、作品全体の流れを牽引した。この二名の歌唱からは、明確な呼吸と表情が感じられるので、基本的にやる気のなかったオーケストラからも、この二名が歌うときに限っては、前向きな自発性が窺われたのが興味深かった。レオノーラ役のマリア・アグレスタは、前半はいま一歩であったが、第四幕で化けたので、結論としては悪くなかった。フェルランド役のユン・クワンチュルも与えられた役回りを無難に果たす。ルーナ伯爵役としてレオ・ヌッチの代わりに登板したフランコ・ヴァッサロは、破綻はなかったものの、肝心の第二幕のアリアでふらついてしまった感もあり、やや見劣りしてしまった。

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オーケストラは、第一幕など全くやる気が感じられず、どうなることかと思ったが、第二幕の幕切れでは、ようやくエンジンがかかって一応のクライマックスを構築し、第三幕以降も、徐々に気持ちがのり、最後はそれなりの仕上がりにはなった。しかし、この日の上演において、彼らが持つ本来の力の3割くらいしか出していないことは、前述のとおり。特に第一幕から第三幕までは、オーケストラピットの中からは、舞台上の歌手と一緒に音楽を創ろうという雰囲気がまるで感じられず、仕事人に徹した白けた表情であった。各奏者が周囲にあまり気を使わず適当に流し運転をしている箇所も散見され、通常であれば起こるはずのない時差がピット内で頻発していたのも問題。快速テンポの箇所で、幾度にもわたってホルンセクションの後打ちが八分音符一個分遅れて聞こえてきたのは、筆者の今回の座席の問題なのであろうか。

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ルスティオーニの指揮に関しては、一生懸命頑張っていることは伝わってくるものの、オーケストラからはあまり相手にされておらず、空回り気味。オーケストラにやりたい放題やられてしまったという感もある。また、各アリアのカバレッタで、アウフタクトに力が入りすぎ、導入のテンポが安定せず、前のめり気味になっていたのも若干ながら気になった。速めの展開で緊迫感を演出したいという意図もわかるが、歌い手の呼吸に合わせた余裕がないと本末転倒である。今回は、スカラ座の音色を邪魔しなかったという意味では、一定の評価は得られたであろうが、スカラ座の指揮台に立つだけのオーラは備わっておらず、まだまだこれからというところであろう。

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ウーゴ・デ・アナの演出は、巨大な舞台セットとともに、伝統的な設定で、見応え十分ではあるが、新演出から13年あまりが経過し、演出プランとしてやや鮮度を失いつつあるようにも感じられた。

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カーテンコールでは、それぞれの歌手に対して大きな喝采が贈られていたが、個人的にはあまり盛り上がれない一夜であった。

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終演後はホテルに直帰し、就寝。

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(公演情報)

Il trovatore
Giuseppe Verdi
Produzione Teatro alla Scala

7 Marzo 2014 ore 20:00

Direttore: Daniele Rustioni
Regia, scene e costume: Hugo De Ana
Luci: Marco Filibeck
Movimenti coreografici: Leda Lojodice
Maestro d’armi: Renzo Musumeci Greco

Il Conte di Luna: Franco Vassallo
Leonora: Maria Agresta
Azucena: Ekaterina Semenchuk
Manrico: Marcelo Álvarez
Ferrando: Kwangchul Youn
Ines: Marzia Castellini
Ruiz: Massimiliano Chiarolla
Un vecchio zingaro: Ernesto Panariello
Un messo: Giuseppe Bellanca
[2014/03/16 15:14] | 海外視聴記(ミラノ) | トラックバック(0) | コメント(0) |
イタリア行き(14年3月)①―ムーティ指揮ローマ歌劇場「マノン・レスコー」①
3月6日午前1時、NH203便にてフランクフルトへ。羽田発の深夜便は、ビジネス客を中心に、最近は特に人気が高いようだ。今回も満席に近い予約状況で、ビジネスクラスへのアップグレードが叶わず、プレミアム・エコノミー。隣が空席で、窓側2席を独占できたのが唯一の救いか。フランクフルトにてLH230便に乗り継ぎ、ローマ・フィウミチーノ空港へ。列車の接続が良く、午前10時半には宿泊先であるベストウェスタン プレミア ホテル ロイヤル サンティーナに到着。テルミニ駅前徒歩1分に位置するこのホテルは、内装がスタイリッシュかつ綺麗であり、日本の上級ビジネスホテルと遜色なく、バスタブもあり、1泊90ユーロの4つ星ホテルとして十分に満足できる水準といえる。

チェックイン時間前であったため、オスティエンセ駅脇のイータリー本店でショッピングを楽しみ、ダ・オイオ・ア・カーザ・ミア(Da Oio a Casa Mia)へ再訪。カルボナーラと仔牛肉のグリルを堪能。飾らない安定感が嬉しい。ホテルに戻り、しばし休息。

午後7時半、ローマ歌劇場へ。リッカルド・ムーティ指揮による「マノン・レスコー」。アンナ・ネトレプコ出演という話題性もあって、全公演のチケットが発売開始直後に完売になった注目の公演。今回もゲネプロ前後にストライキ騒動が勃発したが、早々に解決し、大事には至らず、一安心。このような騒動は、国際的な舞台へと転換しつつあるローマ歌劇場の現状に照らすと、時代錯誤の感を否めない。

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筆者が確保した座席は、平土間10列目中央下手側。音響的には、前方席や階上席と比べると、オーケストラの音がやや遠のき、合唱の迫力も下がる。他方、声のよく通る独唱は、明快に伝わってくるため、やや落ち着いたテンションで鑑賞するには適した場所といえよう。マエストロ・ムーティの指揮姿も視界に収めつつ、舞台上の歌手を鑑賞することが可能な角度であった。

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この日の上演であるが、声の積みあげによって構築される荘厳な様式観と、高ぶる感情がじわじわと溢れ出る二重唱、この二つの要素が見事に融合し、内容的な深さという意味では、近年稀に見るほどの名演となった。ネトレプコ登場組による上演は、2月27日の初日、3月2日に続き3回目で、この日が最終日であるが、回数を重ねたことで、演奏の質がさらに成熟してきたものと窺われる。

ミラノ・スカラ座との1998年録音と比べると、特に第一幕や第二幕のテンポ設定には余裕があった。しかしこれは、歌と語りの力を十分に引き出した結果であり、マエストロが歳を重ねたことに伴うテンポの弛緩と捉えるのはあまりに表面的である。管弦楽主体ではなく、あえて声の積み上げに注力した結果、舞台上にはエネルギーが充填されてゆき、歌い手たちの存在感が前面に表れる。従来の「マノン・レスコー」の演奏には見られなかった新境地といっても過言ではない。

また、通常であれば間延びしやすい旋律の数々において、マエストロらしいスマートな美意識が徹底されていたことも、注目に値する。例えば、第一幕のデ・グリューによるマドリガーレ、そして第三幕や第四幕の全般において、台詞やフレージングに伴う十分な揺らぎを兼ね備えつつ、基本的にはインテンポによるスムーズな運びで、音楽の流れがよくコントロールされていた。

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オーケストラが、終始一貫して歌の引き立て役に徹した点も、忘れてはならない。この作品の場合、管弦楽が雄弁に書かれているため、演奏に熱が帯びると、オーケストラが歌に勝ってしまうという事態が容易に想定される。ミラノ・スカラ座やウィーン国立歌劇場であれば、管弦楽が鳴りすぎて歌が掻き消されてしまうであろう。ローマ歌劇場らしい明るい音色を基調としつつ、周到に整理され、そして練り込まれた和声観やニュアンス付けにより、安定感のある響きの潮流が生み出されていた。転調時に響きの色合いが瞬時に遷移してゆく様子は、実に見事であった。管弦楽的な観点からは、切れ味の不足やエッジの効きの悪さが指摘され得るであろうが、これはオーケストラの技術的なポテンシャルを踏まえた上でのマエストロの判断であり、スタンスの違いともいえるであろう。オーケストラによるフォルティッシモは、ここぞという数ヶ所のポイントに絞られており、中身の詰まった充実の響きが絶大な演奏効果をもたらしていた。

20140306-06

第一幕は、おとぎ話風のお芝居としてみせることで、どこか懐かしさを感じさせる仕上がりとなった。学生らと娘たちによる日常から始まり、マノンとデ・グリューによる愛の二重唱という非日常を描きつつ、最後は学生らと娘たちによる日常に戻る。第一幕だけで一つの独立した芝居として成立しており、各場面を的確に描き分けるには、プッチーニが書き残した各種の指示内容に対する深い洞察が求められる。この点において、マエストロのバランス感覚は超越していた。幕切れ前のAndante Sostenutoに至って、幕全体の設計が瞬時に腑に落ちたのは、今でも鮮明に記憶されている。

コーラスの場面の位置づけの明快さは、マノンとデ・グリューの二重唱にほとばしる感情を引き立てる。じわじわと滲み出る熱い想いは、上質な響きに支えられた管弦楽のベールをまとい、劇場全体を満たすのであった。

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第二幕は、まずは冒頭のフルートの旋律に対する細かなニュアンス付けが見事であった。ネイティブにしか出来ない節回しであり、第二幕前半の表情を瞬時に理解させる名人芸であった。マノンとレスコーの二重唱は、導入部分にハッとさせるような驚きが伴わなかった点を除けば、上々の仕上がり。そして、マノンのアリアでネトレプコがパーフェクトな歌唱により圧倒的な存在感を示すと、劇場内の空気が高揚し、大きな期待感で包まれた。楽士たちによるマドリガーレとメヌエットのレッスンの場面は、上演によっては退屈させられることもあるが、シンプルな中にも奥深さが内在する演奏で、緊張の糸が切れなかった。

第二幕後半に入ると、マノンとデ・グリューの官能的な二重唱の世界が展開。プッチーニらしいカンタービレの色合いが無限大に拡がってゆくのを感じさせられた。ジェロンテが再登場してから幕切れまでは、快調な歩みで、期待を裏切らない安定感のある演奏。幕切れにおいても、それほど煽ることなく、格調を保ったまま、綺麗にまとめ上げていた。破綻するリスクを避けたのであろうか。ここはもう少し攻めてもよかったかもしれない。

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間奏曲は、この日の上演の白眉の一つであった。旋律自体はこの世のものとは思えないほどに美しいのに、全体としては闇のどん底へと突き落とされるかような不安に駆られる。太いタッチで描かれた水墨画のような、枯れた表情として受け止められた。心の空白を打ち抜かれたかのような孤高の世界観だ。確かにこの作品の場合、第三幕以降、本当の意味での救いはなく、転落の一途なのである。そんな話の展開を暗示する見事な間奏曲であった。

第三幕前半は、間奏曲から続く闇の世界との対比で、愛の二重唱の美しさが引き立つ。マエストロの巧みなテンポ設定に導かれ、メリハリの効いた表情が活き活きと描かれる。デ・グリュー役のユージフ・エイヴァゾフに、スタミナ切れの兆候が見え隠れしたのが惜しかった。

第三幕後半は、点呼が始まってから幕切れに至るまで、音楽的な緊張感を保ったまま、ある種の儀式のように、一定の歩みで荘厳に進行。驚異的な構成力である。通常であれば、中盤のクライマックスが終わった段階で、リセットされてしまうであろう。群衆の悲しみ、嘆き、苦悩が、声の積みあげにより、ものすごいエネルギーを持って迫りゆく。デ・グリューの願いが聞き入れられる昇華の場面へと導きは、宇宙的な拡がりをみせる。現代社会の抱える矛盾に対する強い主張までもが宿っているかのように受け止められた。

第四幕は、マエストロとネトレプコの独壇場であった。果てしない荒野の中で、マノンの発する一言ひと言が、オーケストラの共感を呼び、ともに震え、そして観客の心に沁み渡る。限りない最弱音の演出するピュアな表情は、鳥肌ものであった。また、中盤の二重唱のクライマックスにおける盛り上がりも、鬼気迫るものがあった。

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ところで、今回の演出は、マエストロの娘であるキアラ・ムーティが担当したが、マエストロの志向するオーソドックスな演出スタイルであることは良いのだが、センスの光るようなアイデアが見出せなかったことに加え、幕ごとの演出コンセプトの統一感の不足や、演技面での細かな味付けの不揃いや唐突さは拭えず、中途半端な結果に終わったといわざるを得ないように思われる。もっとも、美術的にはなかなか美しい舞台であり、また、マエストロ自身の持つ作品に対するイメージがよく伝わる演出であったことは確かだ。

舞台上から感じ取れるマエストロとネトレプコの絶大なる信頼関係は、今回のプロダクションの演奏面での成功を決定づけた。ネトレプコは、マエストロとの稽古を通じ、新たな境地に足を踏み入れたと思われる。力で押し切ることもなく、音程が上ずることもない。いい具合に力が抜け、イタリアオペラにふさわしい軽やかさが備わったことに加え、声が非常によくコントロールされており、細部に至るまで、理想的な状態で歌われていた。彼女のポテンシャルの高さは誰もが知るところではあるが、それを120%引き出したマエストロの凄さは、彼女自身が最もよくわかっているのではなかろうか。

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カーテンコールでは、ネトレプコに対して割れんばかりの拍手と嵐のようなBravaが湧き上がる。そして、マエストロに対しては、劇場中から尊敬の眼差しとともに、熱い喝采が贈られた。奇跡的な名演であった。

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終演は午後11時半すぎ。ホテルに直帰し、昼に購入済みのCasale del Giglioの白ワインで、興奮を醒ましつつ、就寝。


(公演情報)

MANON LESCAUT

Teatro Costanzi
Musica di Giacomo Puccini

Giovedì 6 marzo, ore 20.00

Direttore: Riccardo Muti
Regia: Chiara Muti
Maestro del Coro: Roberto Gabbiani
ORCHESTRA E CORO DEL TEATRO DELL’OPERA
Nuovo allestimento

Interpreti
Manon: Anna Netrebko
Des Grieux: Yusif Eyvazov
Lescaut: Giorgio Caoduro
Geronte: Carlo Lepore
Edmondo: Alessandro Liberatore
Oste: Stefano Meo
Maestro di ballo: Andrea Giovannini
Un Musico: Roxana Constantinescu
Sergente: Gianfranco Montresor
Lampionaio: Giorgio Trucco
Comandante: Paolo Battaglia
[2014/03/16 14:56] | 海外視聴記(ローマ) | トラックバック(0) | コメント(0) |
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