ましましの音楽日記
G.ヴェルディの作品をこよなく愛するオペラ愛好家による音楽日記です。筆者が鑑賞した海外でのオペラやコンサートの模様や、筆者自身が日頃行っている音楽活動などについて、不定期に綴っていきます。
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欧州行き(12年6月)⑤―バレンボイム指揮シュターツカペレ・ベルリン「モーツァルト&ブルックナー」
6月17日午前10時すぎ、ホテルをチェックアウトし、ウィーン楽友協会大ホールへ。ダニエル・バレンボイム指揮シュターツカペレ・ベルリンによる連続演奏会の最終日。モーツァルトのピアノ協奏曲第23番とブルックナーの交響曲第9番が採り上げられた。彼らは、この一週間、ウィーン楽友協会大ホールにおいて、ブルックナーの交響曲を第1番から第9番までを全て演奏するという偉業に挑んでいた。

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筆者が代理店経由で確保した座席は、1.Balkon-Loge Rechtsの1列目。目の前には、輝かしいオルガンがそびえる。実はこの場所は、ウィーン楽友協会大ホールの場合、最高の座席の一つといえるかもしれない。舞台上の音がオルガン伝いに天井に昇ってゆくところをダイレクトに捕えることができるため、適度にブレンドされた輝かしい音色をそのまま全身で浴びることができる。舞台もよく見渡せるし、申し分ないポジションであった。

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プログラム前半は、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番。前座と思って甘く見ていたら、バレンボイム先生にいきなり引っ叩かれたといった感じだ。弾き振りをするバレンボイムは、まるでモーツァルトのようであった。

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第一楽章は、ドイツ風のかっちりとした造りだが、この一週間で、ウィーン楽友協会大ホールの響きに慣れ親しんだためか、ウィーン風の柔らかさやしなやかさ、さらには明るいフレーズの流れも感じられる。弾き振りをするバレンボイムと、これに呼応しつつも自主的なアンサンブルで独奏とコラボレーションするオーケストラの関係は、この作品の理想的な演奏形態の一つといえる。舞台上で繰り広げられる駆け引きや協調が見物であった。

第二楽章は、晩年のモーツァルトの想いや悟りを語るような哲学的世界。純度の高いピアニシモの響きは、もはや神の領域である。息を呑む瞬間の連続であった。

そして、アタッカで入った第三楽章は、雰囲気をガラッと変え、水が勢いよく噴き出すような、そんなとても刺激的なアレグロ・アッサイ。スリリングすぎて、開いた口が塞がらない。

モーツァルトのピアノ協奏曲を、これだけ完璧に、かつアグレッシブに演奏できるコンビは、今日では、他に探すことはできないのではなかろうか。バレンボイムの独奏は、衰えるどころか、ますます進化しているようにも感じられる。鍵盤楽器であるにもかかわらず、音符と音符の間が響きで充填され、次のフレーズへとつながっていくのは、いったいどういう仕掛けになっているのだろうかと思わずにはいられない。シュターツカペレ・ベルリンも、緻密な響きで時間軸を埋めるとともに、室内楽の延長としてのオーケストラをキチンと実践。細部までよく目が行き届いており、音色も磨かれている。オーケストラとしての基礎力の高さと音楽的な豊かさを垣間見た気がした。

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爆発的な拍手によりプログラム前半が終了し、いよいよプログラムは、ブルックナーの交響曲第9番へ。

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この一週間の集大成が聴けたようだ。凄まじい演奏であった。

芝居がかったバレンボイムの解釈に関しては、賛否両論あり得るだろうが、一人の聴衆の立場からは、この作品を素材とし、ウィーン楽友協会大ホールという最高の舞台で、オーケストラの醍醐味をこれだけ存分に愉しませてもらえれば、その解釈の正当性がどうであれ、大満足である。

第一楽章は、大きく構える部分と、畳み掛けるように運ぶ部分とを色分けし、緩急をつけたメリハリ付けを行うが、この日聴いた限りでは、作為性を感じることはなく、違和感は覚えなかった。後半では、ワーグナーの影がどーんと落ちてくる場面もあり、ブルックナーの有する多面性を窺うことができた。

第二楽章は、スケルツォという言葉の原点に立ち返った演奏スタイルで、フォルテの衝撃的な迫力は期待通りだが、加えて、軽妙なフレーズの数々において、モーツァルトが顔を覗かせたようにも感じられた点が興味深かった。

第三楽章は、スケールの大きな荘重な音楽で、精神性や神秘性というよりも、現代人が心の内側に抱える様々なものを代弁するかのような力強さが感じられた。何よりも、一つひとつの和音に対する楽員全員の想いのこもり方が半端ではなかった。

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客観的にみても、非常に高水準な演奏だったといえる。シュターツカペレ・ベルリンは、フォルテの響きが超重量級。バレンボイムが振ると、その威力は何倍にもなる。ホールが壊れるのではないかと思うほどの振動だったが、音が荒れたり、外面的にならないところが素晴らしい。また、中低音域の押出しの強靭さも、魅力の一つ。男女問わず、全身で弾き込む弦楽器セクションは、背後から眺めていても圧巻であった。

もちろん、迫力のみではない。息の長いフレージングには隙がないし、音色に関しても、華がそれほどあるわけではないが、細かいところまで丁寧に磨かれていて、キメの細かいフレージングが地味に光る。

彼らの絶好調を引き出したウィーン楽友協会大ホールに感謝である。

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プログラム前半もそうだったが、この日は、最初から最後まで、演奏に釘付けにさせられた。ライブの高揚感に心底浸ることができた。

カーテンコールでは、嵐のような拍手とブラボーの大合唱が舞台上に送られた。バレンボイムは、今回も舞台上の一人ひとりと握手しながら、楽員全員を称える。こういう姿に関しては、斜に構えて苦言を呈するのではなく、素直に共感すべきと感じた。

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終演後は、シュプリッツァーを片手にカルパッチョをつまみ、Wein & Coの立ち飲みカウンターで赤ワインを一杯。Zu den 3 Hackenで飲んで気に入ったSt. Laurenの赤ワインのボトルを一本購入し、ホテルで荷物をピックアップして空港へ。

LH2331便にてミュンヘンへ飛び、最後の一仕事を済ませた上で、NH208便にて帰国。幸いにもプレミアム・エコノミーにアップグレードしてもらえた。わずかな差ではあるが、エコノミーと比べると居住空間は広く、疲労度は少なかった。成田には翌日午後3時に到着。いったん帰宅し、夕方職場へ向かい、残務を処理する。結局のところ、空き時間は常に仕事をせざるを得なかったが、そのような中でも、無理やりウィーンに飛んでよかったと感じる今回の旅程であった。

(公演情報)

Staatskapelle Berlin
Sonntag, 17. Juni 2012 11:00

Interpreten:
Staatskapelle Berlin
Daniel Barenboim, Dirigent und Klavier

Programm:
Wolfgang Amadeus Mozart
Konzert für Klavier und Orchester A - Dur, KV 488
Anton Bruckner
Symphonie Nr. 9 d - Moll, WAB 109
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[2012/06/21 23:20] | 海外視聴記(ウィーン) | トラックバック(0) | コメント(0) |
欧州行き(12年6月)④―メスト指揮ウィーン国立歌劇場「ドン・カルロ」
6月16日午後6時頃、ウィーン楽友協会を後にし、ウィーン国立歌劇場へ。オペラ座前の広場では、パレードのような催しが行われていて、ものすごい騒音。建物の中に入り、しばし休憩。

フランツ・ウェルザー=メスト指揮ウィーン国立歌劇場によるヴェルディ「ドン・カルロ」。今シーズンの新演出で、この日が初日である。週末ということもあり、観光客の姿も多く見受けられたが、いわゆる観光客というよりも、音楽愛好家が結集したと感じ。プレミエの初日だけあって、劇場内は物々しい緊張感に包まれていた。

筆者が代理店経由で確保した座席は、2.Rang Loge Links 8の1列目。中央付近よりも舞台やオーケストラピットからの距離が近いので、実はこちらの方が臨場感が味わえて筆者好みかもしれない。舞台が見切れることもなく、鑑賞上の支障はなかった。

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ウィーン国立歌劇場のプレミエ初日は、圧倒的であった。この日の上演は、筆者の中に新たな扉を開く衝撃的なものとなった。その最大のポイントとなったのは、音楽、演出、観客の三位一体の凝縮力の高さである。初日ゆえ、細かい傷はあるが、この高揚感は初日ならではといえる。

第一に、音楽が素晴らしい。ライナー・キュッヒル率いるウィーン国立歌劇場管弦楽団の気合いが神がかり的。

メストの意向を汲み取り、十分なリハーサルを経た上でのベストメンバーによる演奏ゆえ、音楽的な完成度も段違いだ。細部にわたるきめ細かなアンサンブルと、個々のフレーズにおける艶のある音色は、ミラノ・スカラ座からは窺い知れない美観である。これほどまでに立体的に音楽が組み上がるのか、とまさに驚愕の連続であった。記憶が薄れないうちに、スコアを読み返さなければならない。

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なお、メストの解釈に関しては、設計上はヴェルディの様式に依拠しているものの、響きの創り方はウィーンそのもので、イタリアらしさやイデオロギー的な主張は表に出ない。彼らしい颯爽とした運びであり、グランドオペラ的なスケール感というよりも、中身のギュッと詰まった純音楽的な印象を与える。これに対しては、賛否両論あるだろう。

ただ、「ドン・カルロ」は、フランス語五幕版が初演されたのは1867年で、ヴェルディ中期の最後の作品に数えられるが、「オテロ」初演の3年前に大改訂が行われ、現在のイタリア語四幕版が完成されたという経緯がある。そのため、旋律の素材は中期の若々しさを兼ね備えるが、オーケストレーションに関しては「アイーダ」の延長としてある種の落ち着きを纏っているという複雑な性格を有し、演奏にあたっては、ポジションの取り方が非常に難しい。

メストのアプローチは、そうした屈折を解消する一つの手法として、説得力があったし、内側から響きを醸造してエネルギーを充填しつつ、ヴェルディらしいアクセントをトリガーとして、音楽的な高みへと昇華させる職人的なセンスの良さは、真のオペラ振りだと感じた。メストのテンションがいつになく高かったのも良かった。

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キャスト陣のバランスの良さも、出色の水準であった。

「ドン・カルロ」の場合、スター歌手を並べると、歌合戦になってしまい、重唱の面白さが薄れてしまうことがあるが、この日は、アンサンブルに力点を置いた配役と思われ、筆者にとっては理想的であった。無論、歌唱面では、文句のつけようがない。演技も含めた総合的な表現という点で、筆者の鑑賞した上演のベストの一つに数えられるほどの水準にあった。

中でもエリザベッタ役のクラッシミラ・ストヤノワは、婚約者の父であるフィリッポ二世と政略結婚を強いられたという難しい役柄ながら、その多面的な側面を大人の女性として描き出し、とりわけ印象的。フィリッポ二世役のルネ・パーペと対峙する場面の迫力は、今でも目に焼きついている。
対するドン・カルロ役のラモン・ヴァルガスは、声量やパワーで圧倒するタイプではないが、スピード感があり、フレーズの歌回しが上手い。リリック・テノールとして活躍してきた彼らしく、その若々しい感じが作品の役柄に合っていた。
ロドリーゴ役のサイモン・キーンリサイドも、出すぎずによい仕事をしており、ドン・カルロの親友という役柄を見事に演じていた。
エーボリ公女役のルチアーナ・ディンティーノも、最初はやや控えめに、しかし、台本の進行とともに、徐々に内側から熱くなってゆくあたりが秀逸。前半に登場する「ヴェールの歌」を派手に歌ってしまっては、この作品が外面的なものに成り下がってしまうのだ。
宗教裁判長役のエリック・ハーヴァーソンも貫禄十分。
フィリッポ二世役のルネ・パーペが、この役に慣れすぎたためか、安定感はあるものの、いまひとつ刺激に欠く感じであったのが残念。

ともあれ、全体として、人間の心理に深く踏み込んだ愛と葛藤のドラマがダイレクトに浮かび上がる素晴らしい配役であった。

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第二に、ダニエレ・アバドの演出に関しても、抽象的な舞台の割には、珍しく成功していた。

舞台セットは、基本的には、黒い壁で囲まれた箱のみ。戸や壁が開いたり、中央の床が上がったりする仕掛けはあったが、具体的なものはほとんど見当たらない。こういうセットだと、ウィーン国立歌劇場のような大きな劇場の場合、大抵は見飽きてしまうものだが、むしろ無駄を排したからこそ各役者の心理にスポットを当てることができたのであろう。

特に印象的であったのは、光と影の活用。下手側からスポットを当てて、上手側の壁に影を映し出すという手法が多く用いられていたが、二人の役者の立ち位置により、影の大きさが伸縮し、それが台本や音楽の流れをマッチしていたのが印象的であった。

個々の役者に対する演技指導も徹底されており、重唱における二人の役者の静かな対峙が、どの場面においても、手に汗を握るほどの迫力で客席に伝わってきたのは、さすがであった。メストの描く音楽観を全く邪魔することなく、むしろ密接に結びつき、人間の内面へと深く迫り行く演出という意味で、素晴らしいプロダクションだったと思う。

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そして、第三に、聴衆のレベルの高さ。とにかく、この日は開演前から雰囲気が物々しかった。休憩後に音楽が始まろうとしている際に、続いている私語を制止しようとするシーッという声の威圧感は尋常ではなく、開幕中も聴衆が舞台に釘付けになっていたためか物音もあまりしなかった。この緊張感は久しぶりだ。こういう空気になると、上演する方も超本気になるし、とてつもない上演が生まれる。

カーテンコールが大騒ぎになったのは言うまでもない。音楽、舞台、聴衆が一つになった素晴らしい一夜であった。

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終演後は、ワインを片手に余韻に浸りたかったが、あいにく仕事が溜まっていたため、そのままホテルに戻り、2時間ほどパソコンに向かう。長い一日であった。


(公演情報)

Don Carlo (ital.) | Giuseppe Verdi

16. June 2012
19:00-22:30

Franz Welser-Möst | Dirigent
Daniele Abbado | Regie

René Pape | Filippo II.
Ramón Vargas | Don Carlo
Simon Keenlyside | Rodrigo
Eric Halfvarson | Il Grande Inquisitore
Dan Paul Dumitrescu | Un frate (Carlo V.)
Krassimira Stoyanova | Elisabetta
Luciana D'Intino | Eboli
Ileana Tonca | Tebaldo
Carlos Osuna | Conte di Lerma
Carlos Osuna | Un aroldo reale
Valentina Nafornita | Voce dal cielo
Fabiola Varga-Postatny | Contessa d'Aremberg
[2012/06/21 23:01] | 海外視聴記(ウィーン) | トラックバック(0) | コメント(0) |
欧州行き(12年6月)③―フリューベック・デ・ブルゴス指揮ウィーン交響楽団「皇帝&ローマの噴水・松」
6月16日午前8時すぎ、ホテルをチェックアウトし、ミラノ中央駅からマルペンサ・エクスプレスにてミラノ・マルペンサ空港へ。案の定、到着が予定よりも10分以上遅れる。搭乗時刻が迫っていたため、早足でゲートへ向かう。OS512便にてウィーンへ。ミラノも暑かったが、ウィーンも真夏のような暑さである。汗だくになりながら、午後0時半頃、再びアルマ・ブティック・ホテルにチェックイン。荷物を整理し、いつものレストラン、Zu den 3 Hackenでランチ。スープとグラーシュの定番メニューに満足。

6月16日午後3時すぎ、ウィーン楽友協会大ホールへ。ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス指揮ウィーン交響楽団による演奏会。もともとはジョルジュ・プレートルが指揮により、フランクの交響曲と、レスピーギの「ローマの噴水」「ローマの松」が演奏される予定だったが、負傷のため早々に降板が決定され、代役が発表され、プログラムの前半も、ベートーヴェンのエグモント序曲とピアノ協奏曲第5番「皇帝」に変更された。

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筆者の確保した座席は、Balkon-Mitteの1列目中央。ウィーン楽友協会大ホールの空間が煌びやかな大管弦楽の世界をどのように受け止めるのかを知りたくて、この座席を選んだ。ステージからやや距離があるため、古典派の作品の場合は、響きが伴いすぎて、細部がボケてしまうが、巨大編成の場合は、全体がバランスよく聴こえて丁度良い。

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プログラム前半は、ベートーヴェンのエグモント序曲とピアノ協奏曲第5番「皇帝」。

フリューベック・デ・ブルゴスの指揮は、造形のはっきりした骨太な輪郭で、腰の据わったベートーヴェン像を描き出していた。目新しさはないが、正攻法のアプローチで、実に安心して聴くことができる。力任せに押し切るのではなく、ウィーン風の抑制が効いていたのは、このホールを本拠とするウィーン響らしさとでもいえようか。

ピアノ協奏曲第5番「皇帝」の独奏は、エリザベート・レオンスカヤが務めたが、先にも述べたとおり、筆者の座席では、細かいタッチが響きの渦に呑みこまれてしまうため、コメントできるほどの情報量が得られなかった。

フリューベック・デ・ブルゴスと同様、骨太な演奏スタイルだったと感じたが、良くも悪くも普通な感じで、聴いていて疲労感が増してゆく演奏であった。

当初はプレートル指揮によるフランクの交響曲が聴けるはずだったのだから、聴く側の準備も整いにくい。例えていうなら、第一の皿で、いきなり赤身ステーキ200gが出されたような気分。もう少し軽いテイストの選曲が望ましかった。

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一つ収穫だったのは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」という作品が、神秘的な響きの引き出しを多数携えていることを発見できたこと。

他のコンサートホールの場合、ガッシリとした構成と響きの厚みが前面に出てしまい、色合いの変化や陰影を窺うことは難しい。しかし、ウィーン楽友協会大ホールの場合、さりげない表情の数々まで拾い上げるだけのキャパシティがある。

後述のとおり、この日の演奏は、そのような微妙な響きの移ろいを醸し出せるだけの水準には至っていなかったが、その片鱗を味わえただけでも、非常に勉強になった。

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プログラム後半は、レスピーギの「ローマの噴水」「ローマの松」。

フリューベック・デ・ブルゴスとウィーン響との間の長年の信頼関係と相性の良さが存分に発揮された演奏であった。プログラム前半のベートーヴェンとは打って変わり、色彩感に溢れる華やかなサウンドが花開いた。

一曲目の「ローマの噴水」は、「夜明け」「朝」「真昼」「黄昏」という四つの場面を丁寧に色分けした好演。仕掛けが上手くはまると、ローマで見た情景がそのまま浮かんでくるようなインスピレーションを与えてくれた。驚いたのは、第三部「真昼のトレヴィの泉」で、オーケストラからリヒャルト・シュトラウスを髣髴とさせるようなウィーン流の雄大な響きが湧き上がったこと。実に多彩な表情を愉しませてくれた。

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続く「ローマの松」は、場外ホームラン級の爆演。これを聴けただけで、足を運んだ価値があったといえる。ウィーン楽友協会大ホールの空間は、文字通り一つの楽器となり、馬力のあるウィーン響との相乗効果により、超巨大スケールの音楽を演出した。響きの足し算がこれほどまでにうまく成り立つ空間は、ウィーン楽友協会大ホール以外には存在しないのではなかろうか。美観を損ねることなく、圧倒的な音像を描いたウィーン響に拍手である。

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ウィーン響を本拠地であるウィーン楽友協会大ホールで聴いたのは、今回が初めてであった。なるほど、ウィーン響は、オーケストラとしての実力は十分だが、例えば、ベートーヴェンでは、響きの連鎖による覚醒を生み出すほどには響きが練られておらず、凡庸な仕上がりにとどまっていたし、オーケストラのアンサンブルの観点から難易度の高い「ローマの噴水」でも、綺麗にまとまる部分と響きのベクトルが揃わない部分との落差が大きかった。

やる気がないときのウィーンフィルよりは遥かにマシだが、超一流とは到底言えない。技量的には、日本の主要プロオーケストラと大して変わらないであろう。良くも悪くも普通のオーケストラという印象で、室内楽の拡大版というオーケストラの理想系からは程遠かった。

ウィーン楽友協会大ホールの舞台は、良さも悪さも全てが丸裸になってしまうという意味で、演奏者にとっては、やりがいがあるとともに、恐ろしい場所なのだろうと思わずにはいられなかった。

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終演は午後5時40分頃。夜の公演チケットを持つ筆者は、そのままウィーン国立歌劇場へ移動。同じ行動パターンの音楽愛好家が多数見受けられたのが面白かった。

(公演情報)

Wiener Symphoniker
Samstag, 16. Juni 2012 15:30

Interpreten:
Wiener Symphoniker
Rafael Frühbeck de Burgos, Dirigent
Elisabeth Leonskaja, Klavier

Programm:
Ludwig van Beethoven
Ouvertüre zu Goethes Trauerspiel "Egmont", op. 84
Konzert für Klavier und Orchester Nr. 5 Es - Dur, op. 73
Ottorino Respighi
"Fontane di Roma". Symphonische Dichtung
"Pini di Roma". Symphonische Dichtung
[2012/06/21 22:41] | 海外視聴記(ウィーン) | トラックバック(0) | コメント(0) |
欧州行き(12年6月)①―ラトル指揮ウィーンフィル「シューマン&ブラームス他」
6月13日午後11時すぎ、羽田空港国際線ターミナルへ。この週は、ターミナル内のレストランが試験的に深夜まで時間を延長して営業をしている。出発前のひと時を、おでんの名店、おぐ羅で過ごす。芋焼酎とおでんだしで、いい感じに出来上がる。

6月14日午前1時、NH203便にてフランクフルトへ。今回もエコノミークラス。4人がけの通路側で、隣が空席であったため、多少は余裕もあったが、やはり体勢はつらい。フランクフルトには定刻に到着。ここで約3時間の乗継時間があったため、空港内で仕事をするつもりだったのだが、レンタルWifiの接続が悪く、結局棒に振ってしまう。乗継便のLH1234便は、約20分遅れでの搭乗となり、ウィーンに着いたのは午前10時半頃となった。ウィーン国際空港は、3週間前に乗継で利用していたが、降り立ったターミナルは、全く見覚えの無い建物。どうやら、6月5日から新しいターミナルの運用が開始されたらしい。ドイツ人が好みそうなスタイリッシュかつ機能的なターミナルだが、個人的には旧ターミナルのコンパクトな感じの方が好みだった。

午前11時半頃、アルマ・ブティック・ホテルにチェックイン。お洒落な感じのブティックホテルだが、設備は値段相応という感じか。期待していなければ、これで十分ともいえる。ようやくWifiがつながったので、急ぎで片付けなければならない仕事を数件こなし、シャワーを浴びて、いつものレストラン、Zu den 3 Hackenへ。今回は、ウィーンを代表する料理であるシュニッツェルをあえて選んでみた。やはりこのレストランは、安定感があって、どれを頼んでも満足できる。久しぶりにウィーンに戻ってきた嬉しさのあまり、ついついワインを飲みすぎてしまう。いい気分になってホテルに戻る。

午後7時すぎ、ウィーン楽友協会大ホールへ。サイモン・ラトル指揮ウィーンフィルによる第6回ソワレ。ブラームスの交響曲第3番、ヴェーベルンの「管弦楽のための6つの小品」、シューマンの交響曲第3番「ライン」が採り上げられた。

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この日の演奏会は、特に人気が高かったようで、チケット入手は困難を極めた。代理店経由で筆者の確保できた座席は、Orchestra Rechtsの1列目。舞台上の席で、目の前にホルンセクションが並ぶ。ホルンのベルから発せられる音が直撃するため、音楽鑑賞には全く向かないが、ウィーンフィルの楽員らの呼吸を間近に観察できるという意味で、筆者にとっては大変勉強になる機会となった。

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プログラム前半は、ブラームスの交響曲第3番。第一楽章提示部を過ぎたあたりから、舞台上の座席という特殊空間に耳が慣れ、いろいろなことが見えるようになった。

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ウィーンフィルの場合、オーケストラ全体が一つの生命体のように感じられるのが特徴的だが、これが非常に活き活きと感じられるのは、オーケストラ全体、各セクション、個々のプレーヤーというそれぞれのレベルで、呼吸のタイミングが完全に整合しているからだということに気付かされた。なお、ここでいう整合とは、誰かの指図により人為的に創り出されたものではなく、個々のプレーヤーの自由な営みの積み上げという偶然の結果として生じているものだが、その結果自体は、音楽に対する共通認識を前提とした必然の産物である。首席奏者らから視覚的なアインザッツが出されることは皆無なので、一見すると各自が勝手にやっているようにも映るが、舞台上で観察していると、個々の奏者から絶えずオーラが滲み出ていて、お互いにそれを察しながら音楽を組み上げていくプロセスが手に取るように分かった。室内楽の拡大版とは、こういうことをいうのであろう。今回は目の前にホルンセクションが並んでいたため、筆者の意識も自ずとホルンセクションに向かったが、裏打ちや和音の入れ方一つをみても、舌を巻く妙技の連続であった。

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なお、ラトルの指揮に関しては、根底に流れるのは、オペラ振りとしてのセンスだろうか。タクトの隅々まで音楽が詰まっているし、フレーズの運び方もうまい。盛り上げるポイントをよく心得ており、特に、ブラームスの両端楽章では、終盤で絶妙にギアーをチェンジし、ウィーンフィルのスイッチをオンにした。こういうときの反応とセンスの良さは、国立歌劇場での活動をベースとするウィーンフィルならではといえる。個々の奏者の技術的なキャパシティが大きいので、スイッチが入っても、音が荒れることは一切ない。響きの中に熱気が凝縮しているという感じだろうか。ともあれ、ラトルは、他の巨匠らと比べると、あまり存在感のあるタイプではないが、ウィーンフィルの音楽を邪魔しないという意味で、彼らにとっては、むしろ好都合な仲間の一人と認識されているのかもしれない。あれこれと動き回るラトルを醒めた目で見つつ、あくまでも彼らの音楽を堅持しようとするウィーンフィルの存在感が妙に印象的であった。

もっとも、ラトルの解釈やテンポ設定には一貫性を欠くように感じられる部分もあり、構成面で違和感を覚える箇所もあった。例えば、第一楽章の展開部に入ったあたりで、急にテンポを加速させたが、流れが唐突であったため、内声部が置いてきぼり。また、第一楽章の再現部前の移行部をゆっくりなテンポにするため、その直前で無理やりテンポを引き延ばした数小節があったが、そこでもホルンセクションは困惑の表情を示していた。裏拍まで緻密に書き込まれているブラームスの作品では、テンポ変化にも周到なアウフタクトが求められる。問題が生じた箇所では、ラトルからホルンセクションや中低弦に対して視線が投げかけられることがなかったため、オーケストラ側からも疑問符が投げかけられていたように感じられた。

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プログラム後半の一曲目は、ヴェーベルンの「管弦楽のための6つの小品」。こういった現代作品になると、ラトルのセンスが光る。キレの良さと響きの鮮明さは、舞台上でも存分に堪能できた。第四曲において、金管セクションが魅せた、究極のピアニシモから壮絶のフォルティシモへの変容ぶりは、この日の白眉の一つといえる。金管セクションの並々ならぬ気迫を肌で感じられただけでも、筆者としては大満足であった。

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続いて二曲目は、シューマンの交響曲第3番「ライン」。充実した演奏であったと思われる。断片的フレーズの集積といった側面の強いシューマンの場合、ラトルとウィーンフィルのコンビは、非常に相性がよい。ブラームスにおいて見受けられたような齟齬は、シューマンでは一度も感じられなかった。

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ところで、この作品は、普通に演奏すると、シューマンのオーケストレーションの問題が次々と露呈してしまい、出来そこないの油絵のようになってしまう。そのため、音量のバランスを恣意的に調整したり、リズムを際立たせたりと、試行錯誤が色々と試みられているが、ウィーンフィルによる生演奏を体験してしまうと、そういった試行錯誤が陳腐なものに思えてならなくなる。楽曲の構成を十分に理解し、それに関する共通認識が確立されていれば、変な細工をしなくても、色彩感にあふれるシューマンサウンドが生まれる。ウィーンフィルの独壇場である。

全五楽章のうち、第三楽章では、筆者の目の前に陣取る3番4番ホルンが全休であったため、ようやく本来の音楽鑑賞をすることができた。弦楽器と木管楽器のコラボレーションが美しすぎて、筆者の心は瞬殺であった。また、第四楽章の弦楽器のピアニシモで、コンサートマスターのライナー・ホーネックが本気モードを一瞬窺わせたのを受け、オーケストラ全体の緊張感が一気に高まり、舞台上の響きが純度の高いものへと昇華した様子は、今でも脳裏に焼き付いている。

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終演後は、ケルントナー通りをプラプラ歩き、途中でシュプリッツァーを立ち飲みしつつ、ホテルに戻る。翌朝も早いので、この日はそのまま就寝。

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(公演情報)

Wiener Philharmoniker
Donnerstag, 14. Juni 2012 19:30

Interpreten:
Wiener Philharmoniker
Simon Rattle, Dirigent

Programm:
Johannes Brahms
Symphonie Nr. 3 F - Dur, op. 90
Anton Webern
Sechs Orchesterstücke, op. 6; Fassung 1928
Robert Schumann
Symphonie Nr. 3 Es - Dur, op. 97 ("Rheinische")
[2012/06/21 21:43] | 海外視聴記(ウィーン) | トラックバック(0) | コメント(0) |
ウィーン途中降機(年末年始11-12年)④―メスト指揮ウィーン国立歌劇場「こうもり」
1月1日午前、ホテルの前に広がる市立公園を散策の後、昼過ぎにNHウィーンエアポートホテルへチェックイン。しばし休憩。

午後5時前に、市内へ向かい、ケルントナー通りを歩く。前夜は空き瓶や何やらでゴミが散乱していた目抜き通りも、この時間には綺麗に片付けられていた。この街の治安は、こうした努力の積み重ねにより保たれているのだろう。

アウグスティーナーケラーでターフェルシュピッツを食べた後、国立オペラ座へ。この日は、フランツ・ウェルザー・メスト指揮ウィーン国立歌劇場による「こうもり」。年末年始恒例の演目だが、今回はメストが指揮台に立つということで、個人的に興味をそそられた。劇場内には、昨日のジルベスターコンサートにも増して、日本人観光客が多く見受けられる。旅行会社が主催するツアーの多くに組み込まれていたようだ。

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筆者の座席は、2.Rang Loge Links 13の1列目。気合いを入れて鑑賞する際には、いつもこの場所を選ぶことにしている。ちなみに今回は、左右に日本人だらけ。筆者は、いつものようにオンラインで事前予約を入れただけだが、それ以外の座席は、代理店経由で販売されていた模様。それを考えると、この座席を定価で確保できたのは、実は幸運だったのかもしれない。

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オットー・シェンク演出の舞台は、溜め息が出るほどに美しい。文字通り、絵になる舞台。これを生で見れただけでも、幸せな気分に浸れる。細部の装飾に至るまで、実によく手が込んでいて、その一つひとつが舞台を格調高く演出していた。こういう細やかな舞台は、忙しない現代社会では、もはや生み出されることはないだろう。

メストの「こうもり」は、いわゆるオペレッタの対極路線。ほろ苦さも含むロマンチックな物語として描こうとしていたように感じられた。生真面目だと批判する声が聞こえそうだが、筆者はこの方向性に共感する。

というのも、今でこそ、オペレッタの代名詞のように扱われているが、この作品のスコアに見られるシュトラウス2世の書法は、いわゆるウィンナワルツとは一線を画す革新的かつ挑戦的なものであり、とりわけ心理描写の巧みさの点で鋭い輝きを放っている。メストは、そこに正面から向き合おうとしていたと思われる。

クライバーのようにアグレッシブに攻めるわけでもなく、またドイツオペラの延長として重厚に鳴らすわけでもない。淡くソフトな響きの移ろいの中に、各主人公の感情をあぶり出し、ウィーンの一夜の物語を小気味よく浮かび上がらせたといったところであろうか。

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器楽的にみても、スコアの処理がとても秀逸。木管楽器やホルンの響きを効果的に活用し、オーケストラの響きに色彩感を与えるとともに、場面の変わり目に置かれたブリッジ的なフレーズを引き立たせることで、見事なまでに音楽がつながっていく。テンポのギアチェンジのスムーズさ、喜怒哀楽に呼応した響きの創り込みは、見事と言うほかはない。響きの中にわずかに陰を仕込み、音楽に奥行きを持たせようとしていたバランス感覚も素晴らしい。曲の途中で「音楽」の止まる瞬間が一度もなかったのには、驚かされた。

個人的に感銘を受けたのは、第一幕前半に現れる弦楽器の分散和音による伴奏。和声の遷移が透明感のある淡色系で導かれ、日没後の青白い空をイメージさせるようなスケールが広がった。また、第二幕のチャールダッシュをあっさり目に仕立て、息の長いフレーズ感と全体の構成を示そうという方向性も良かった。Dui-duも、完璧とはいえないまでも、弱音部分において、名残惜しさを窺うことができた。

もちろん、オペラ的(なお、オペレッタ的ではない。)な盛り上がりにも欠けるところはない。徐々にパワーを充電し、後半で小さな噴火の数々を伴いつつ、最後に一気に発散させる。第二幕で「雷鳴と電光」が挿入されたあたりから幕切れに向けての高揚は、演出の巧みさと相まって、圧巻であった。

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オーケストラに関しては、ウィーンフィルの響きは健在。流暢な旋律美と湧き上がる躍動感は、魅力的である。独特の味付けだが、響きの美しさは抜群だ。オーケストラが備える「引き出し」の数も豊富で、完全に徹底されてはいなかったものの、メストの解釈によく応えていた。ただ、序曲や第一幕の響きが落ち着かないのは、相変わらず。「こうもり」ですら粗くなってしまうのは、何か根本的な問題を孕んでいるように思われる。

ちなみに、この日のメンバーは、大晦日の「こうもり」から入れ替わりがあったようだ。コンサートマスターのシュトイデをはじめ、ジルベスターに出演していた面々が混じっている。この歌劇場のローテーションは、いつ見ても不思議だ。また、第三幕で、弦セクションのプルトが一つずつ減ったのは、省エネ志向の表れのようにも感じられた。

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キャスト陣の中で、筆者が注目したのは、アデーレ役のイレアーナ・トンカ。ロザリンデ、オルロフスキー、アデーレの三役につき、ダブルキャストが組まれていたが、トンカは、メストの指揮に乗って、全ての部分で、キリっと歌い上げ、そして演じ切った。

逆に、ロザリンデ役のイルディカ・ライモンディは、一人で足を引っ張ってしまった印象。I.ライモンディは、この日のみのスポット出演のため、やむを得ないところもあろうが、第一幕では、メストのテンポ感に乗れず、また第二幕では、守りに入った箇所では声が硬くなり、他方、チャールダッシュの高音は金切り声に近づくなど、残念な状況であった。いわゆる「こうもり」の伝統的な演奏スタイルなら、彼女の貫禄が活かされるのだろうが、この日は、ちょっと馬が合っていなかった。

アルフレード役のライナー・トロストも、出すぎず適度なアピールで、なかなかの好演。フランク役のアルフレド・シュラメクも、第三幕で地味に笑いを誘う。アイゼンシュタイン役のカート・ストレイトは、気合いで乗り切った感があったが、周りのキャストが脇を固めたため、全体としての印象は、そこそこ良かった。

なお、合唱団のキレの良さは、フォルクスオーパーとは比べ物にならないほどに光っていた。

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以上のとおり、全体としてみると、十分に満足できる公演だったといえる。ウィーン国立歌劇場の伝統に立脚した「こうもり」を愉しむことができた。

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ただ、公演の完成度という点では、まだまだ改善の余地がある気がした。というのも、メストの世界観が演奏者側において徹底できていないという点に加え、笑いを取ろうとする演技の数々(なお、個々の演技自体は、品位を保った高水準のものであった。)が、メストの音楽と不釣合いで、そこに違和感を感じざるを得なかったからだ。

オペレッタだから笑いを取らなければならないという観念は捨て、シェンクの美しい舞台と、メストのロマンチックな音楽をベースに、逆にオペラ的に仕上げてしまった方が面白かったのではなかろうか。

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終演後は、まっすぐホテルへ。翌朝は、ホテル内で過ごし、帰国に備える。昼前に空港に向かい、OS51便にて帰国。

この半年間は、吸収できるだけのものを吸収すべく、奔走してきた。これだけ集中して音楽を鑑賞できる機会は、二度と訪れないであろう。ブリュッセルを拠点としたヨーロッパ滞在を通じて、ボーダーレスなヨーロッパ社会に広がる文化的なグラデーションを感じ取ることができたのは、一つの成果といえようか。明日からは、筆者自身がこれらの経験を生かすステージが始まる。


(公演情報)

DIE FLEDERMAUS | Johann Strauß

01. Jänner 2012
19:00-22:30

Franz Welser-Möst | Dirigent
Otto Schenk | Regie

Kurt Streit | Gabriel von Eisenstein, Rentier
Ildikó Raimondi | Rosalinde, seine Frau
Stephanie Houtzeel | Prinz Orlofsky
Rainer Trost | Alfred, ein Tenor
Markus Eiche | Dr. Falke, Notar
Ileana Tonca | Adele, Kammermädchen Rosalindens
Peter Simonischek | Frosch, Gerichtsdiener
Alfred Šramek | Frank
Peter Jelosits | Dr. Blind
Lydia Rathkolb | Ida
Oleg Zalytskiy | Iwan
[2012/01/03 22:27] | 海外視聴記(ウィーン) | トラックバック(0) | コメント(0) |
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