ましましの音楽日記
G.ヴェルディの作品をこよなく愛するオペラ愛好家による音楽日記です。筆者が鑑賞した海外でのオペラやコンサートの模様や、筆者自身が日頃行っている音楽活動などについて、不定期に綴っていきます。
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イタリア行き(14年3月)②―ルスティオーニ指揮スカラ座「イル・トロヴァトーレ」
3月7日午前8時55分、ローマ・ティブルティーナ駅からItalo9920にてミラノ・ポルタ・ガリバルディ駅へ。所用時間3時間20分。Primaの座席に乗車したが、想像以上に振動が大きく、あまり落ち着かない。車輌の綺麗さとサービス面で、イタリア国鉄よりはだいぶマシだが、総合評価としては、可もなく不可もなく。

午後1時前に宿泊先のウィンザーホテル ミラノへ。地下鉄リパブリカ駅からすぐの4つ星ホテルだが、内容的にはせいぜい3つ星レベルである。ミラノのごく普通のビジネスホテルの域を超えない。次回は別のホテルを選ぶであろう。

ランチは、ポルタ・ヴェネツィア駅から徒歩5分のResttorante Calaluna(レストランテ・カラルーナ)。注文したのは、定番メニューであるAntipasto CalalunaとLinguine ricci di mare。ここのウニのリングイネの美味しさは格別。2年半前にも訪れたことがあるが、今回も前回の印象通りの充実した食事を愉しむことが出来た。

ホテルに戻り、しばしの休息の後、午後7時半頃、ミラノスカラ座へ。ダニエレ・ルスティオーニ指揮による「イル・トロヴァトーレ」。

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筆者が発売初日に確保した座席は、Platea Fila F n.1/Sin。平土間6列目左端。歌手の声は飛んでくるが、オーケストラの左右のバランスは悪い。

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この日の上演に関しては、良くも悪くもスカラ座らしい「ふつう」の公演であった。潜在的な技術力の高さと圧倒的なパワーに関しては、疑う余地はない。ヴェルディの演奏にあたっては、ここのオーケストラの上手さは段違いだし、大人数による安定感抜群の輝かしい合唱の魅力は、他では味わえない。今回は、ルスティオーニが余計なことをしなかったため、スカラ座の音色そのものが鳴り、自分の耳のポジションを確認するという意味では、一応得るものはあった。

しかし、作品の上演という観点からは、それぞれのベクトルがバラバラの方向を向いており、劇としてのまとまりはあまり感じられなかった。第四幕になって心の通い合ったアンサンブルがようやく垣間見られたが、第一幕から第三幕までは、一体感を欠いた微妙な空気が舞台上を支配し、居心地が悪かった。歌手たちは、自分の見せ場で力を披露することのみに専念しており、ガラコンサートのようであったといっても過言ではない。そうした悪い空気を何とかよい方向へと引き戻した第四幕のレオノーラのアリア、マリア・アグレスタによる心に訴えかける歌唱が、この日の上演における唯一の救いであったように思われる。もともとは、ルーナ伯爵をレオ・ヌッチとマッシモ・カヴァレッティがダブルキャストで上演するということで話題になった今回の再演。この二人が相次いで降板したことで、プロダクション全体の士気が大きく損なわれてしまったようだ。

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キャスト陣自体は、充実のメンバーだった。マンリーコ役のマルセロ・アルバレスは、明るく伸びのある美声で、力強さから繊細さまで巧みに描き分け、最初から最後まで余裕の表情でこの難役を歌いきった。この作品のキーを握るアズチェーナ役には、ユカテリーナ・セメンチェクが配され、抜群の安定感と表現力で、作品全体の流れを牽引した。この二名の歌唱からは、明確な呼吸と表情が感じられるので、基本的にやる気のなかったオーケストラからも、この二名が歌うときに限っては、前向きな自発性が窺われたのが興味深かった。レオノーラ役のマリア・アグレスタは、前半はいま一歩であったが、第四幕で化けたので、結論としては悪くなかった。フェルランド役のユン・クワンチュルも与えられた役回りを無難に果たす。ルーナ伯爵役としてレオ・ヌッチの代わりに登板したフランコ・ヴァッサロは、破綻はなかったものの、肝心の第二幕のアリアでふらついてしまった感もあり、やや見劣りしてしまった。

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オーケストラは、第一幕など全くやる気が感じられず、どうなることかと思ったが、第二幕の幕切れでは、ようやくエンジンがかかって一応のクライマックスを構築し、第三幕以降も、徐々に気持ちがのり、最後はそれなりの仕上がりにはなった。しかし、この日の上演において、彼らが持つ本来の力の3割くらいしか出していないことは、前述のとおり。特に第一幕から第三幕までは、オーケストラピットの中からは、舞台上の歌手と一緒に音楽を創ろうという雰囲気がまるで感じられず、仕事人に徹した白けた表情であった。各奏者が周囲にあまり気を使わず適当に流し運転をしている箇所も散見され、通常であれば起こるはずのない時差がピット内で頻発していたのも問題。快速テンポの箇所で、幾度にもわたってホルンセクションの後打ちが八分音符一個分遅れて聞こえてきたのは、筆者の今回の座席の問題なのであろうか。

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ルスティオーニの指揮に関しては、一生懸命頑張っていることは伝わってくるものの、オーケストラからはあまり相手にされておらず、空回り気味。オーケストラにやりたい放題やられてしまったという感もある。また、各アリアのカバレッタで、アウフタクトに力が入りすぎ、導入のテンポが安定せず、前のめり気味になっていたのも若干ながら気になった。速めの展開で緊迫感を演出したいという意図もわかるが、歌い手の呼吸に合わせた余裕がないと本末転倒である。今回は、スカラ座の音色を邪魔しなかったという意味では、一定の評価は得られたであろうが、スカラ座の指揮台に立つだけのオーラは備わっておらず、まだまだこれからというところであろう。

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ウーゴ・デ・アナの演出は、巨大な舞台セットとともに、伝統的な設定で、見応え十分ではあるが、新演出から13年あまりが経過し、演出プランとしてやや鮮度を失いつつあるようにも感じられた。

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カーテンコールでは、それぞれの歌手に対して大きな喝采が贈られていたが、個人的にはあまり盛り上がれない一夜であった。

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終演後はホテルに直帰し、就寝。

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(公演情報)

Il trovatore
Giuseppe Verdi
Produzione Teatro alla Scala

7 Marzo 2014 ore 20:00

Direttore: Daniele Rustioni
Regia, scene e costume: Hugo De Ana
Luci: Marco Filibeck
Movimenti coreografici: Leda Lojodice
Maestro d’armi: Renzo Musumeci Greco

Il Conte di Luna: Franco Vassallo
Leonora: Maria Agresta
Azucena: Ekaterina Semenchuk
Manrico: Marcelo Álvarez
Ferrando: Kwangchul Youn
Ines: Marzia Castellini
Ruiz: Massimiliano Chiarolla
Un vecchio zingaro: Ernesto Panariello
Un messo: Giuseppe Bellanca
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[2014/03/16 15:14] | 海外視聴記(ミラノ) | トラックバック(0) | コメント(0) |
欧州行き(13年12月)⑤―ガッティ指揮スカラ座「椿姫」
12月31日午前4時すぎ、IC2434及びICE1616にてドレスデンからベルリンへ。そして、LX975便及びLX1628便にてチューリッヒ経由でミラノへ飛ぶ。ミラノ・マルペンサ空港の鉄道によるアクセスは、前回よりも格段に劣化した。渋滞を覚悟でバスを利用するか、頻度が少なく時間のかかるイタリア国鉄を利用するかの二択。要注意の空港である。

午後3時半すぎ、ようやく宿泊先であるHotel Brunelleschi Milanoにチェックイン。スーペリア・ルームにアップグレードしてもらえたので、快適なステイとなった。

午後5時半すぎ、ミラノ・スカラ座へ。ダニエレ・ガッティ指揮によるヴェルディ「ラ・トラヴィアータ」。ジルヴェスター公演ということもあり、会場内は着飾った人々で溢れていた。

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筆者が発売初日に確保した座席は、平土間3列目上手より。劇場のサイズが大きいため、響きに包まれるような感覚は得られないが、舞台とオーケストラの双方の臨場感が伝わってくるので、かなり良席の部類に入るであろう。上手側に寄ったことに伴うバランスの崩れは感じなかった。

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さて、12月7日の開幕初日から噂で聞いていた(また初日の模様をテレビで視聴して認識していた)が、ディミトリ・チェルニアコフによる今回の演出は、実際に劇場で見ても、全く感銘を受けなかった。

このプロダクションについては、非難轟々で、既に色々なことが言われているが、筆者が問題視するのは、時代設定を現代に移したことでも、盛大な夜会の場面が陳腐なディスコ風パーティであったことでも、また、第三幕で用意されたヴィオレッタのベッドが羽毛布団一枚であったことでもない。第二幕第二場で、ヴィオレッタが独白するシーンで、突如として照明が落ちて、ヴィオレッタのみにスポットが当たるというのも、品がないとはいえ、間違いとはいえない。第三幕でヴィオレッタがアル中・薬物中毒に陥っているというのも、ギリギリ許容範囲内といえる。ハリウッド風な要素が混じっていることが問題なのではない。

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では、筆者が何を問題にしているのかというと、それはチェルニアコフによる読替えの不合理性と独善性である。付された演技が楽譜と符合しておらず、矛盾だらけであった。

第一幕で合唱が中座する際、ヴィオレッタ卒倒の瞬間が無視されていたのは、納得がいかない。健康的で勝ち気なヴィオレッタ像を打ち出し、アルフレードのことを冗談交じりに笑い飛ばすという演技自体は否定しないが、病気を患っているという陰の部分がないと、作品自体が成立しなくなる。また、最初から最後まで、ヴィオレッタとアルフレードの二人が相手を意識し合うという瞬間を見出せなかったのも、ストーリーの進行上、あまりにおかしい。ヴィオレッタのアリアにおいて、ヴェルディが籠めた淡い心情変化の数々が、演技の上で、ことごとく無視されていたのも、いただけない。

第二幕第一場の冒頭で、ヴィオレッタとアルフレードがいちゃいちゃしたのは、訳が分からない。台本上は、冒頭において、ヴィオレッタは登場しない。ここで登場してしまうと、その後の展開の中で、ヴィオレッタとアルフレードの間に生ずるすれ違いの数々は、説明が付けられなくなる。

第二幕第二場冒頭、アルフレードが最初から舞台上にいた理由は、全く不明。夜会の前座でアルフレードに照準が集まった場合、その後のアルフレード到来のシーンをどのように解すればよいのだろうか。「男爵を愛している」というヴィオレッタの言葉を受けて、客人を呼び寄せる場面でも、アルフレードが声を掛ける前に、既に客人が集まっていて、緊張感ゼロ。

第三幕前半、医師グランヴィルがアンニーナにヴィオレッタの病状を伝える場面で、ヴィオレッタに聞こえよがしに意地悪く伝えるという演技には、怒りすら覚える。バッカナーレにおいて、薬物の影響で、突如として元気になって踊り始める、というのも不可解。その直後のアルフレード登場による歓喜の場面と矛盾する。終幕フィナーレで、ヴィオレッタがアルフレードに写真を渡そうとするが、アルフレードが躊躇ったために、ヴィオレッタがそれを投げ捨てるというのも、作品の根幹を否定する行為である。

その他、全般的に下品なコメディのような演技が過剰に付されており、見た目がバタバタしていて騒々しい。第一幕は、飲み会のドンチャン騒ぎが行き過ぎているし、第二幕第二場は、各要素がバラバラでフォーカスすべき箇所が見つからない。

また、第二幕第一場は、演出家には退屈に写るのかもしれないが、この場面の立ち位置に関しては、動よりも静に軸足を移すべきである。ジェルモンの歌唱中に、ヴィオレッタがウロウロと歩き回ったり、アルフレードが神経質に野菜を切ったりピッツァをこねたりするというのは、目障り以外の何物でもない。

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ヴェルディの場合、演奏も演出も、楽譜に忠実であることが第一に求められる。役者の動きや表情から舞台効果に至るまで、全てが簡潔に表現されている。にもかかわらず、今回の演出では、その独善的な解釈によって、ヴェルディの意図が踏み躙られており、「最悪」の演出の一つといわざるを得ない。

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また、想定の範囲内ではあったものの、相変わらず気に入らないのがダニエレ・ガッティの指揮。聴いていてむず痒くなる場面の連続である。評価できるのは、カットなしで演奏したことくらいであろうか。

第一に、グランドオペラ的な構えを志向するアプローチだが、全体の見通しが悪く、緊張感に欠ける。出てくる響きは外面的で、澱んだ曇り空をイメージさせる。また、突如として、ピンポイントで激しく前進することもあるが、運び方が強引で、辻褄が合わない。他方、ゆっくりな箇所では、妙にロマンチックに作り込みすぎて、テンポを喪失しており、歌手らも、伸びきったバネのようにルバートを多用し、糸の切れた風船のように宙を彷徨う。また、曲を締め括る終止和音では、重厚さを演出するも、溜めすぎであり、曲本体から分離して聞こえる。ドイツオペラではないのだから、もう少し別の処理の仕方があるだろう。

第二に、旋律の処理にも、違和感を覚えざるを得ない。メロディの起伏にあわせた妙なメリハリは、こねくり回しすぎの過剰表現であり、管弦楽的にはあり得るかもしれないが、台詞と噛み合わないことが多く、チグハグさは否めない。ワーグナーみたいなうねりは、ヴェルディには相応しくないのではなかろうか。また、全般的にテンポ感やリズム感が重く鈍い。例えば、第一幕や第二幕第二場では、スタート時のテンポは悪くないのに、次第にテンポが遅くなり、歯切れが悪くなってゆく。これには閉口させられた。また、色々なことをやろうとしている割には、基本的なところで、細部の処理が雑になり、アンサンブルが乱れることも多数。もったいぶった溜めを作ったことで、オーケストラの発音がばらけてしまう場面も、少なからず見受けられた。スカラ座ほどの集団であれば、音楽の進行に予見可能性があれば、基本的な箇所であのような時差が生ずることは、通常はないであろう。

第三に、強奏部の音色に力みを感じる。平土間3列目で聴くと、オーケストラピットの壁の効果で音色がまろやかになるため、階上席で聴いた際に予想される音の硬さは抑制されていた。しかし、フォルテの箇所で、オーケストラの押し出しが強く、歌に対して油絵具で重ね塗りしたかのような覆いかぶさり方をしてしまっている。然るべきマエストロが指揮をすると、オーケストラが十分に鳴っていても、響きの解像度が高く、歌がオントップで乗っかるので、歌声が霞んでしまうようなことはない。もっとも、この点は、ガッティに限ったことではなく、近時のスカラ座で頻発する現象でもあるので、彼だけが責められる話ではないかもしれない。

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というわけで、初日の演奏に比べると、多少は馴染んだ感もあるが、依然として不可解な箇所の少なくない解釈・演奏であった。なお、オーケストラの状態はすこぶる良く、ガッティが余計なことをしない箇所では、スカラ座らしさが全開であった。抜群の安定感、そして「これがスカラ座の音だ」という自信に満ちた演奏は、世界一を自負するに値する水準にあったといえる。端々に垣間見られる職人的なプロ根性は素晴らしく、演奏面でのクオリティを格段に高めていたのは、疑う余地がない。この名人芸に間近に触れられただけでも、この日の収穫はあったと思われる。

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キャスト陣に関しては、ヴィオレッタを演ずるディアナ・ダムラウの独り舞台という位置づけが、より色濃く反映されていた。実際、ダムラウの歌唱と演技がずば抜けており、やや癖のある歌回しながらも、果てしない静寂から、ドラマチックな力強さまで、全てが結実していた。なお、初日に大ブーイングを喰らい、不貞腐れていた(と言われている)アルフレード役のピョートル・ベチャワも、この日は、会場に押し寄せた大応援団に支えられ、終始ご機嫌の表情であった。決め所でバシっと決まりきらないもどかしさはあるものの、カット無しという重圧の中、難所の数々を見事にクリアするとともに、巧みな台詞回しで全体をまとめあげ、賞賛に値する仕上がりであったといえる。ジェルモン役のジェリコ・ルチッチは、流石の貫禄で、計算高い雰囲気がジェルモンらしさにふさわしく、安定感の高い歌唱で観客を魅了した。また、この日の舞台で光っていたのは、アンニーナ役のマーラ・ザンピエーリと、ジュゼッペ役のニコラ・パミーオ。大御所二名による味のある歌唱と演技は、画面を通して見る以上に、オーラとして伝わってくる。この二名の立ち姿には筆者個人も非常に感銘を受けた。カーテンコールで大喝采を受けていたことは言うまでもない。

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スカラ座のジルヴェスター公演は、舞台からもオーケストラピットからも客席からも、そのプライドの高さが滲み出る独特の空気に包まれていたが、空回りしている感も否めなかった。2014/2015シーズン以降のペライラ&シャイーによるスカラ座の復興が強く望まれる。

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終演後は、Il Ristorante Trussardi alla Scalaにて、大晦日のディナーコースを。洗練された食事及びサービス並びに値段設定に超一流としての風格を感じさせるが、ナルシスト度が高いようにも感じられ、「おもてなし」の心は感じなかった。年明け直後のドゥオーモ周辺は、多数の警官の見守る中、酔っ払いが乱射する爆竹が次々と鳴り響き、騒然としたムード。花火の残骸やら割れた瓶やらでゴミだらけである。落ち着いた空間で年明けを迎えられたことに価値を見出すべきであろうか。

翌日は、LH1857便にてミラノからミュンヘンへ。ミュンヘンの空港内にあるAirbräu で小休止し、セネターラウンジでシャワーを浴びた後、NH208便にて成田に飛ぶ。ウィーン・リング・アンサンブルのメンバーと同じフライトであった。彼らの1月6日サントリーホール公演が楽しみである。


(公演情報)

La traviata
Giuseppe Verdi
New Teatro alla Scala production

DIRECTION
Conductor: Daniele Gatti
Staging e sets: Dmitri Tcherniakov

CAST
Violetta: Valery: Diana Damrau
Flora Bervoix: Giuseppina Piunti
Annina: Mara Zampieri
Alfredo Germont: Piotr Beczala
Giorgio Germont: Željko Lučić
Gastone: Antonio Corianò
Barone Douphol: Roberto Accurso
Marchese d'Obigny: Andrea Porta
Dottor Grenvil: Andrea Mastroni
Giuseppe: Nicola Pamio
Domestico di Flora: Ernesto Petti
Commissionario: Ernesto Panariello
[2014/01/02 19:53] | 海外視聴記(ミラノ) | トラックバック(0) | コメント(0) |
欧州行き(12年6月)②―ノセダ指揮ミラノスカラ座「ルイザ・ミラー」
6月15日午前6時前にホテルをチェックアウトし、空港へ。OS511便にてミラノ・マルペンサ空港へ。到着後は、マルペンサ・エクスプレスにてミラノ中央駅へ向かう。午前10時すぎに、宿泊先であるクオリティ・ホテル・アトランティック・ミラノにチェックイン。このホテルは、昨年のミラノ訪問時にも滞在したが、利便性と使い勝手とコストパフォーマンスの良さから、一人で過ごすには十分なレベルにある。

しばし仮眠の後、お昼過ぎに、ポルタ・ヴェネツィア駅近くのレストラン、カラルーナへ。前菜を数点取り分けてもらい、サルディーニャ料理の定番であるウニのリングイネと手長エビのグリルをいただく。海の香りがソースと絡み合うウニのリングイネの美味しさに感激。一緒に出されたフォッカッチャがこれまた美味で、ついつい手が出る逸品。小奇麗な大衆食堂といった雰囲気で、サービスもよく、愉しくランチを愉しむことができた。

午後6時すぎ、ミラノで一番美味しいといわれるピッツェリア、スポンティーニへ。分厚いフカフカのマルゲリータのみを供するピッツェリアで、地元客にも観光客にも大人気のお店である。開店早々であったため、待たずに入ることができ、数分後に注文した普通盛りサイズのマルゲリータが出てきた。第一印象は、とにかく大きい。トマトソースとモッツァレラとアンチョビのコンビネーションは最高で、最初の数口は美味しかったが、ランチを食べ過ぎたこともあり、途中でギブアップ。隣で痩せ型のご婦人がお皿からはみ出るほどの大盛りサイズをニコニコしながら食べていたのを見て、戦意喪失しつつ、店を後にした。

そして、午後7時半すぎ、スカラ座へ。ジャナンドレア・ノセダ指揮によるヴェルディ「ルイザ・ミラー」。6月6日に初日を迎えた今シーズンのプレミエである。この日は、Aキャストによる上演で、豪華キャストがラインナップしていたが、ロドルフォ役が予定されていたマルセロ・アルバレスが降板し、Bキャストでこの役を務めるピエーロ・プレッティが代役を演じた。

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筆者の座席は、Palco n. 10 ORD.IIIの1列目。中央上手側だが、舞台が見切れることはなく、視覚的には適度であった。馬蹄の3層目ゆえ、音響的にも悪くはない。

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上演の方だが、この日は、ミラー役のレオ・ヌッチの輝かしい歌唱と存在感、これが全てであった。第一幕のアリアからパワー全開。立ち姿のみで全てを語る演技力にに脱帽である。第三幕のルイザとの二重唱は、この日の上演のクライマックスであった。特に、ルイザの手紙を発見した際にミラーが見せる父親の絶望感は、重かった。ヴェルディの思い描いた父親像をこれほどまでに完璧に体現できる歌手は、他にいないだろう。幕切れの直前でやや失速気味になったが、70歳を迎えた巨匠の体当たり的な歌唱と演技に、劇場内からは熱い賛辞が送られた。

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もう一人、気を吐いていたのは、ロドルフォ役の代役を務めたプレッティ。開演前にアルバレス降板がアナウンスされた際、劇場内は深いため息に包まれたが、そんな懸念を吹き飛ばす素晴らしい出来。後半は尻上がりに調子を上げ、幕切れはプレッティの独壇場であった。

ヴルム役のユン・クヮンチュル、ヴァルター役のヴィタリ・コワリョフ、フェデリカ役のダニエラ・バルチェッローナも、安定した歌唱と演技で十分に満足できる水準にあったが、ヌッチ様を前にすると、存在感が霞んでしまう。ちょっと可哀そうな気もした。

他方、ルイザ役のエレーナ・モシュクは、ルイザの内面の葛藤を多彩な表情で描き分けていた点は高く評価できるが、歌唱面、特に高音部の不安定さが気になった。調子が万全ではなかったのかもしれない。

というわけで、キャスト陣に関しては、スカラ座の名に恥じない立派な仕上がりであった。

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問題は、ノセダの指揮である。

ノセダの指揮に関しては、2010年7月のトリノ王立歌劇場の日本公演「椿姫」で経験済みであり、暑苦しい指揮姿と執拗に煽りまくるテンポ感が良くも悪くも特徴の一つであることは、事前に認識はしていた。しかし、今回のような指揮振りだと、文句の一つや二つは言いたくなる。

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第一の問題は、アレグロのテンポ感の欠如。ノセダは、アレグロになると、船を漕ぐようなアクションで執拗にテンポを煽る。そのため、時間軸の中に「遊び」がなくなり、ただ単に突進しているように聴こえてしまう。無論、歌手にブレスをする暇はなく、基本的に置いてきぼりになる。全幕を通じて、ノセダ風の煽りがプラスに働いたのは、第三幕終盤のルイザとロドルフォの二重唱におけるアレグロ・アジタートの箇所くらい。その他の箇所では、音楽が上滑りしてしまい、ヴェルディの意図した本来の効果は、およそ生まれてこなかった。初期から中期のヴェルディでは、エネルギーの爆発が随所に登場するが、だからといって、テンポを煽りまくればよいというものではないだろう。フォルテも音が荒れて汚いし、4拍子が全て2拍子に聴こえてしまっていたのも、大いに問題。

第二の問題は、刻みにおけるリズム感の欠如。レガートなフレーズに大きな起伏を持たせるアプローチは、アイデアとしては面白いし、それ自体は何ら有害ではない。にもかかわらず、チグハグに聴こえる箇所が多かったのは、レガートなフレーズとその旋律の背後で堅実に刻み続ける中低弦やホルンセクションとの関係が整理できていなかったからと推察される。刻みが書き込まれている箇所では、フレーズに歌心を注ぎ込むにしても、テンポ感が弛緩しないように注意する必要がある。一定の厳格な時間軸の中にフレーズを流し込むという意識が薄かったようだ。また、場面によって、音が長かったり短かったり、響きが丸かったり荒かったりと、刻みのパートにおける奏法上の一貫性の無さも、全体の構成の弱さを助長していた。

さらに問題なのは、音楽の組立てがシンフォニックな方向に傾きすぎていたこと。そもそもヴェルディの作品では、台詞調の箇所も多く、歌詞の内容や舞台上の演技の都合により、ちょっとした揺らぎが入ることが予定されている。それゆえ、オーケストラだけで一つの管弦楽作品のように演奏されてしまうと、歌手は手足を縛られた状態での歌唱を余儀なくされ、ぎこちなさが倍増してしまう。また、オーケストラ側としても、歌手に合わせるためには、いったん創り込まれた流れを断ち切って、再度の調整が必要になるため、瞬時の反応が難しくなる。ベートーヴェンやチャイコフスキーなら、ノセダのような表情付けでもよいかもしれないが、ヴェルディに関しては、逆効果と感じた。ノセダのベースに流れるのは、オペラ指揮者としての柔軟性よりも、シンフォニー指揮者としての統率力なのだろう。全体を通じ、オーケストラの方ばかりを向いて指揮する時間が非常に長かったが、歌手に対してあまり関心がないのではなかろうか。

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演奏自体を客観的にみれば、個々のポーションに関しては、音色の創り込みの点で関心させられる部分も多かったし、ヴェールのようなきめ細かい響きや、腰の据わった弦楽器の音圧など、さすがスカラ座といえる箇所も見られたが、全体としては、あまりに行き当たりばったりで、方向性がバラバラなため、スカラ座の備えているであろう本来の力は、完全に空振りであった。

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マルトーネの演出は、舞台の前方にベッド等の小物を置き、舞台の後方に森をイメージさせる木々を配するものだが、セットありきの演出プランで、可もなく不可もなくという印象。ハッとさせられるような瞬間はなかった。また、音楽的に舞台上で静寂を保って欲しいところで、合唱が無造作に足音を立てて移動する場面が何度かあり、それにより舞台全体の緊張感が殺がれていたのも問題であった。

この日は、申し分ないキャスト陣を配したスカラ座によるヴェルディ上演にもかかわらず、空席が多かった。加えて、昨年7月の訪問時と比べると、さらに観光客の割合が高かったように感じた。上演中も私語やフラッシュ撮影が止まず、緊張感が削がれる。イタリア国内の歌劇場に関しては、どこも経営難に陥っているが、この日の風景は、近時のスカラ座の運営面での迷走ぶりを露呈するものであったように感じた。

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終演後は、ホテルに戻り、仕事のメールをチェックするなどして就寝。

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(公演情報)

Luisa Miller
Giuseppe Verdi
New Teatro alla Scala Production

15 June 2012

Direction
Conductor / Gianandrea Noseda
Staging / Mario Martone

Cast
Il conte di Walter / Vitalij Kowaljow
Rodolfo / Marcelo Álvarez
Federica / Daniela Barcellona
Wurm / Kwangchul Youn
Miller / Leo Nucci
Luisa / Elena Mosuc
Laura / Valeria Tornatore
Un contadino / Jihan Shin
[2012/06/21 22:10] | 海外視聴記(ミラノ) | トラックバック(0) | コメント(0) |
ミラノ・ヴェローナ行き(11年7月)①―スカラ座「アッティラ」
7月8日午後、SN3157便にてミラノへ。ミラノマルペンサ空港の混雑のため、到着が30分遅れた上、空港からのプルマンも渋滞に巻き込まれたため、宿泊先であるクオリティ・ホテル・アトランタに到着したのは18時過ぎ。チェックイン後、すぐにシャワーを浴びて、スカラ座へ向かう。

この日の演目は、ヴェルディが32歳のときに書き上げた名作「アッティラ」。
発売初日にインターネットで押さえた座席は、ガレリアIの真正面の1列目。音響の観点からも、また舞台鑑賞の観点からも、ベストの席である。

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スカラ座のヴェルディ、かつ新演出となれば、出演者達の気合いの入り方も相当なものとなるのだろう。この日は、前奏曲から心を奪われた。
弦楽器のユニゾンで奏でられるメロディが、なんと美しく、そして切なく心に響くことか。幕開き後も、スカラ座の実力が存分に発揮された。
アレグロの鼓動、カンタービレの伸び、レチタティーボのメリハリ、どれも理想形である。
とりわけ、伴奏形の基本であるズンチャカチャッチャの持つ推進力は、特筆に値する。頭打ちや裏打ちの響きの充実、タイミングの適切さ、そして自然さは、いまだかつて聴いたことがない。エネルギッシュな曲の冒頭に魅せるコントラバスの身体を張ったffは、狙いすぎである。あの巧妙な「溜め」は、いったい何に由来するのだろうか。

アッティラは、若書きの作品ゆえ、演奏に際しては、オーケストレーションの弱さが課題となる。また、よく知られているように、アッティラは、当初台本を手がけたソレーラが個人的な事情により台本未完のまま放置したため、ピアーヴェが引き継いで完成させたという経緯がある。それゆえ、第2幕後半からのドラマの展開が不合理で説明不足の箇所が多い。

しかし、マエストロ・ルイゾッティは、スコアにはないメリハリを意図的に付け、また時にはスコアの指定以上にテンポを撒き、作品の弱さを秀逸にカバーしていた。これが恣意的にならないところが素晴らしい。加えて、若きヴェルディ特有の感情の爆発を、フル編成のオーケストラの迫力をもって随所に創出し、気が付けば、あっという間の2時間強であった。

ヴェルディを知り尽くしたプロフェッショナル達による真剣勝負、これぞスカラ座のヴェルディそのものであった。

辛口で有名なスカラの聴衆も冒頭から大絶賛。プロローグ前半から「マエストロ・ブラボー」の声がガレリアの座席から飛ぶ。
この日は、ダブルキャストのB組による公演であったが、キャスト陣も非常に充実しており、安心して最後まで聴くことができた。技巧的に高度な箇所も難なく処理されており、余計な不安は無用である。ドラマの流れも、キャストの立ち位置や演技により、シンプルかつ分かりやすく描かれていた。
一つ難点を挙げれば、ヌッチ様に貫禄と存在感がありすぎ、主役であるアッティラが若干陰に隠れてしまったことだろうか。しかし、イタリア人によるアッティラ、そして演出上も、戦火によって破壊されたスカラ座を想起させる設定になっていたことを踏まえると、これはこれでありだったかもしれない。終演後のカーテンコールでも、ヌッチ様への聴衆の熱狂ぶりは尋常ではなかった。

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スカラ座のヴェルディは、一つの完成形といえるだろう。しかし、これは誰にも真似することができない文化である。少なくともヴェルディの生存中は、このような豪華さは具体化はしていなかったはずであり、より簡素なものが念頭に置かれていたに違いない。個人的には、ヴェルディの作品の持つ魅力について、さらなる勉強の必要性を痛感した一日であった。

20110708-04

終演後は、L・グランド・ホテル・エ・デ・ミランに併設された老舗レストラン「ドン・カルロス」にて夕食を。このホテルは、ヴェルディが暮らし、没したホテルとしても知られている。スカラ座から徒歩ですぐの場所にあり、終演後でも落ち着いて食事が摂れるのは魅力である。室内には美術館のような装飾で、雰囲気は申し分ない。
この日は、自家製パスタとチキンのラビオリ風、そしてチョコレートソースを食したが、味は悪くはないというレベル。サービスは一流だが、値段の高さを考えると、CPとしてはあまり良くない悪いかもしれない。ともあれ、気分よくレストランを後にし、ホテルに戻り、そのまま就寝。


(公演情報)

Attila
Giuseppe Verdi
New production of the Teatro alla Scala

8 July 2011

DIRECTION
Conductor: Nicola Luisotti
Staging: Gabriele Lavia

CAST
Attila: Michele Pertusi
Ezio: Leo Nucci
Odabella: Lucrecia Garcia
Foresto: Fabio Sartori
Uldino: Gianluca Floris
Leone: Ernesto Panariello
[2011/07/10 01:39] | 海外視聴記(ミラノ) | トラックバック(0) | コメント(0) |
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