ましましの音楽日記
G.ヴェルディの作品をこよなく愛するオペラ愛好家による音楽日記です。筆者が鑑賞した海外でのオペラやコンサートの模様や、筆者自身が日頃行っている音楽活動などについて、不定期に綴っていきます。
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欧州行き(12年8月)②―ハーディング指揮マーラーチェンバーオーケストラ「シューベルト&シューマン」
8月9日、午前8時すぎにホテルを出て、ゴンドラでピラトゥスを目指す。山肌には氷河の痕跡が荒々しく刻まれており、自然の雄大さにしばし心を奪われる。帰路はピラトゥス登山鉄道にて下山。筆者は朝早い出発であったため、合計5時間程で順調に往復できたが、正午の時点で地上駅には長蛇の列ができていて、かなり混み合っていた。

夕方7時前、カルチャー&コングレスセンター(KKL)へ。ダニエル・ハーディング指揮マーラー・チェンバー・オーケストラによる演奏会。シューベルトとシューマンの合唱曲が採り上げられた。

この日の座席は、昨日よりも6列後方のParkett rechtsの12列目右端。舞台から離れた分、音のバランスは良くなったが、紗幕の向こう側で演奏しているのを鑑賞しているかのような若干の遠さが感じられた。

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プログラム前半一曲目は、シューベルトの「水上の精霊たちの歌」。「人間の魂は、水に似ている(Des Menschen Seele Gleicht dem Wasser)」という一節により開始されるゲーテの詩に基づく合唱曲で、男声合唱と中低弦のみにより演奏される。岩壁から一筋の水が流れ落ち、湖へと至る流れに、人間の魂を重ね合わせたこの作品は、「水のいのち」の欧州版とでもいえようか。

バイエルン放送合唱団の男声合唱は、安定感のあるソフトな語り口で、厳粛さの中に人肌の温もりを微かに感じさせる美観が素晴らしい。無論、コーラスとしての完成度の高さは、申し分ない。ハーディングは、場面ごとの特色をきちんと描き分け、渋い響きの中から多彩な音色を引き出そうと試みており、作品に忠実な演奏を目指していた点は評価できる。

ただ、この日の演奏全般にいえることだが、ポーションの創り込みに注力した結果として、音楽的な流れが削がれる瞬間が散見されたのが残念。特にテンポのゆっくりな場面で、呼吸に推進力が伴ってこないため、停滞した印象になってしまう。前日のオープニング・コンサートと異なり、客席内の雰囲気も弛緩気味であったため、言葉と音楽の融合による感動的なクライマックスからは程遠かった。ヴィオラ6名、チェロ5名、コントラバス3名によるアンサンブルも、響きの透明度の点でパーフェクトとまではいえなかった。

プログラム前半二曲目は、シューマンの「夜の歌」。合唱、オーケストラともに、フルメンバーによる演奏である。編成が拡大したことにより、響きに華やかさが伴う。

バイエルン放送合唱団は、この作品でも、安定した合唱で、聴衆の期待に応えていた。これだけのクオリティを示してもらえれば、聴衆としては十分に満足といえる。フォルテでも、雄叫びにならず、伸びのある声が届いてくるのが素晴らしい。

ただ、上述のとおり、音楽の設計に関しては、ハーディングのアプローチは、成熟度が足りない。最も気になったのは中間部の強奏部分で、オーケストラが硬いアクセントを叩き込むため、合唱のソフトな響きと波長が合わず、テンポ感や音楽の進行に強引さが感じられた。プログラム前半一曲目と同様、個々のポーションは色々とこだわって創り込んでいることが窺えるが、例えば、ヴィブラートの掛け方一つを取ってみても、なぜそのような手法を採用するのかが見えず、全体としての統一感は薄かったように感じられた。

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休憩を挟み、プログラム後半は、シューベルトのミサ曲第6番。ミサ曲の傑作中の傑作であり、終曲Agnus Deiは、何度聴いても深い感銘を与えてくれる。

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バイエルン放送合唱団に代わって登壇したスウェーデン放送合唱団による合唱は、響きに華があり、筆者の座席にもその充実の歌声がよく届いてきた。高度なアンサンブルと抜群の安定感は、世界トップレベルの貫録を感じさせる。独唱陣も、ミサ曲に相応しい声の持ち主ばかりで、安心して心を委ねることができる。こうして一夜限りの真剣勝負の現場に立ち会えたことは、貴重な体験であったといえる。

ただ、前日の奇跡を知る者としては、どこか醒めた眼で鑑賞せざるを得なかった。最大の問題は、歌の呼吸に気持ちが乗っていかないこと。サイレンスにおける内容の詰まり方の点で、前日とは天と地ほどの違いがある。管楽器と合唱との間には、言葉を伴うかどうかという根本的な違いがあり、アプローチの仕方を区別する必要がある。オーケストラに合唱を合わせさせるのではなく、合唱の言葉にオーケストラが寄り添う方が望ましい。ハーディングの指揮は、管弦楽の延長としての完璧さを追い求めるが故に、流れをブツ切りにしてしまった嫌いがあった。

個々の楽曲の中では、音楽自体に勢いがあるSanctusとAgnus Deiの完成度が高かった。合唱とオーケストラのテンポ感が見事に噛み合い、プログラム前半で感じたような違和感は、ほとんど感じさせなかった。他方、Gloriaは、アンサンブルがウルトラC級であるため、よく整理されていたが、音楽的にはもう一歩踏み込みたいもどかしさが残った。

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なお、全体を通じ、マーラー・チェンバー・オーケストラは、ハーディングの指示に忠実に、メリハリの効いた演奏を繰り広げていたが、ハーモニーの純度の点では、微妙なブレが生じる場面があり、響きによる覚醒までは演出できていなかった。

このように、この日の演奏は、かなり高い水準ではあったが、ルツェルン音楽祭という場に鑑みると、やや物足りなさを感じざるを得ない仕上がりで、あと一歩が欲しい、そんな印象の演奏会であった。

終演後は、前日と同じく、Hotel Rebstock併設のレストランに向かう。味、サービスともに、十分満足できる安心感がある。

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(公演情報)

Symphony Concert 1
Thu, 9 August 2012 | 19.30 | KKL Luzern, Concert Hall

Mahler Chamber Orchestra
Bavarian Radio Choir (D 714, Schumann)
Swedish Radio Choir (D 950)
Daniel Harding conductor
Mari Eriksmoen soprano
Bernarda Fink alto
Andrew Staples tenor
Andrew Kennedy tenor
Franz-Josef Selig bass

Franz Schubert (1797-1828)
“Gesang der Geister über den Wassern” (“Song of the Spirits over the Waters”), D 714

Robert Schumann (1810-1856)
“Nachtlied” (“Night Song”), Op. 108

Franz Schubert (1797-1828)
Mass in E-flat major, D 950
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[2012/08/20 18:18] | 海外視聴記(ルツェルン) | トラックバック(0) | コメント(0) |
欧州行き(12年8月)①―アバド指揮ルツェルン祝祭管「オープニングコンサート」
8月7日午前、NH209便にて成田からフランクフルトへ。座席調整の都合によるビジネスクラスへのアップグレードがあり、実に快適なフライトであった。この日はフランクフルトで1泊。8月8日早朝、搭乗予定であったLX1069便がキャンセルになったとの連絡が入る。若干の不安を抱きながら、フランクフルト空港の空港カウンターに行くと、出発時間の迫っていたLH1186便のスタンドバイを提供してもらい、予定よりも若干早くチューリッヒに到着。スターアライアンスゴールドの威力を実感した。

チューリッヒからルツェルンへは、国鉄での移動となる。正午前にルツェルンに到着し、宿泊先であるIBIS STYLES LUZERN HOTELにチェックイン。ルツェルンはホテル相場が観光地価格で割高だが、このホテルは、氷河公園の近くで立地もよく、値段もリーズナブル。エアコンと冷蔵庫はないが、浴槽はあり、3つ星ホテルとして満足できるレベルといえる。

8月8日夕方6時すぎ、カルチャー&コングレスセンター(KKL)へ。クラウディオ・アッバード指揮ルツェルン祝祭管弦楽団によるオープニング・コンサート。夏の音楽祭の開幕である。

この日の座席は、Parkett rechtsの6列目右端。昨年座ったBalkon正面席やGalerieの座席と比べると、音響は格段に良い。響きの印象としては、ドイツのモダンなホールに通ずるものがあるが、残響が多めなので、金属的な硬さは抑制されて感じられる。あと数列後方の中央付近に座れば、管楽器が視覚的にも聴覚的にも浮き立つとともに、両サイドのバランスが向上し、完璧な音像が愉しめたであろう。やはりこのホールのベストポジションは、平土間前方席であった。

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この日は、オープニング・コンサートということもあって、冒頭にドイツ語によるスピーチが催された。合計3名のスピーカーが登壇したが、3人目のハンス・キュングのスピーチが1時間近くに及ぶ大演説で、ドイツ語を解さない外国人らにとっては、まさに辛抱の時間。言語体系上、話が長くなることは、織り込み済みだが、もう少し短くてもよかったのではなかろうか。

さて、プログラム前半は、ベートーヴェンの劇音楽「エグモント」全曲。ジュリアン・バンゼの独唱、ブルーノ・ガンツのナレーションにより演奏された。

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この作品は、劇音楽という制約があるため、小さな動機をコツコツと積み上げながら音楽を組み立てる中期のベートーヴェンの特性があまり活かされておらず、音楽の構成面に弱さがある。それゆえ、現在では、序曲以外は滅多に演奏されることがない。

しかし、この日の演奏は、そういった音楽的な弱さを微塵も感じさせない素晴らしい演奏であった。序曲から終曲「勝利のシンフォニア」に至るまで、集中力が途切れるような瞬間は一度もなく、劇音楽としての完成度は非常に高かった。なお、アッバードらしいすっきりと明るいサウンドは、イタリアの太陽をイメージさせる音色で、アレグロでは、ロッシーニのような軽快さも垣間見られる。執拗に溜めることなく、前へ前へと運ぶ音楽設計は、いわゆるベートーヴェン像とは異なるため、賛否両論あると思われるが、流線型のフレージングは、作品の弱点を見事にカバーしており、この作品ではプラスに働いていた。他方、ffやsfでは、鳴りっぷりの良い金管セクションとともに、腰の据わった力感が演出され、全体を鳥瞰すると、ベートーヴェンのスコアに描かれた演奏効果がメリハリよく示されていたといえる。

最大の見物であったのは、ブルーノ・ガンツのナレーションとの白熱のコラボレーション。台詞と音楽が絶妙なタイミングで相互に掛け合いながら、圧倒的なパワーでもって高みへと昇っていく様子は、ベートーヴェンが描きたかった世界そのものであろう。オペラ指揮者アッバードの面目躍如たる熟練のタクトに目が釘付けであった。

一つ残念であったのは、ジュリアン・バンゼの独唱。この作品における独唱パートは、もともと華のあるものではないが、歌唱に力みが感じられ、パッとしない仕上がりになってしまったように感じられた。二日目、三日目と回を重ねるうちに、改善されてゆくであろう。

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ところで、近時のルツェルン祝祭管弦楽団は、アッバードの楽器といっても過言ではないほどに、音色に統一感がある。今回の場合であれば、薄めのビブラートにより演出されるしなやかな弦楽器サウンドは、雑味を一切含んでおらず、その純度の高さは他の追随を許さない。16分音符の刻みの粒立ちの良さ、ffでも音が荒れない美観は、高い技術力の現れであり、現代版ベートーヴェンの最先端を行くものであったといえよう。

なお、この作品におけるオーケストラの編成は、通常の16型の編成であったはずだ(筆者の座席からは、正確な数は確認できなかった。)が、昨年のブルックナーにおける21型という超巨大編成と比べると、コンパクトなサイズであったため、引き締まったサウンドで、全体の結束力はより高まっていたように感じられた。なお、弦楽器セクションに関しては、長年にわたりコンサートマスターを務めてきたコリヤ・ブラッハーが今回は参加していないなど、特にヴァイオリンのメンバーが若返った印象だ。この日は、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の第一コンサートマスタであるセバスチャン・ブロイニンガーがコンサートマスターを務めたが、全身を大きく揺らしながら演奏する彼の奏法は、他の奏者への合図という観点からはマイナスに働き、今回のような臨時編成オーケストラでは、裏目に出やすい。そのような状況下で、例年にも増して存在感を示していたのは、ヴィオラ首席のヴォルフラム・クリストであり、落ち着いた趣で、オーケストラ全体に目を配りつつ、中低弦を束ね、管楽器ともアイコンタクトを取り、アンサンブルを収斂させてゆくクリストの背中には、いぶし銀の威光が差し込んでいた。

プログラム後半は、モーツァルトのレクイエム。バイエルン放送合唱団とスウェーデン放送合唱団の混成チームによる合唱がとにかく素晴らしかった。幾度となく耳にしてきた作品ではあるが、今回初めて気づかされた部分も多く、モーツァルトが遺したハーモニーの深遠さに改めて感銘を受けた。

アッバードの指揮は、レクイエムの宗教音楽としてのキャラクターに強く引き寄せたアプローチ。バッハのカンタータに通ずるような合唱を主役に据えた音楽創りを志向する。言葉とブレスの結びつきが実に自然かつスムーズで、休符やちょっとした間も含め、時間軸上のあらゆる瞬間が「祈り」で満たされていた。

発せられる音の数々は、どこまでも清らかであり、ドラマ的な要素は全て捨象されている。ノンビブラートの古楽奏法による簡素で控え目なオーケストラの音色が、その印象をさらに強くする。この綺麗ごとに徹したかのような演奏スタイルは、批判も多いであろうが、キリスト教の立ち位置を踏まえると、納得の行く解釈である。使用する楽譜の違いなど、もはやどうでもよい。

指揮台の上のアッバードは、音楽の方向性を手元で小さく示す以外は、ほとんど動きを見せず、舞台上の各演奏者を静かに見つめ続ける。フレーズに籠められた静かな躍動感により演奏者全員のポテンシャルが引き出され、それらが舞台上で同一のベクトルの下に昇華してゆく光景は、宗教的儀式のようであった。冒頭のIntronitusから尋常ではない緊張感に包まれていたが、Sequentiaの5曲目Confutatisの終盤で、sotto voceが究極のppで演出されると、ホール内は真の静寂に包まれた。これに続くLacrimosaでは、客席で静かに目頭を熱くするジェントルマンらの姿が殊に印象的であった。Lux aeternaの最後の和音が鳴り響いた後に会場を支配した1分超の静寂がこの日の演奏の全てを語っていた。拍手をしようという気持ちすら起きなかったのは、初めての体験である。

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オーケストラに関しては、クリストの率いる中低弦による通奏低音が神業である。過不足のない厳かな歩みは、レクイエムに相応しい理想の響きであった。合唱を支えるトロンボーンセクションも、合唱と完全に同化しており、驚異的なクオリティといってよい。

この日の演奏における唯一のマイナスは、独唱陣の人選。マーラーの一千人交響曲を演奏するために呼ばれたスター歌手らであり、声の特性上、モーツァルトのレクイエムは、完全にミスマッチである。四重唱の場面などは、ヴェルディのレクイエムではないかと錯覚するほどであった。

今回のオープニング・コンサートでは、もともとマーラーの一千人交響曲が予定されていたが、芸術上の理由によりプログラムが変更された。振り返ると、この判断は適切であったと思う。超巨大編成のマーラーの作品を完璧に仕上げるだけのキャパシティが今回のルツェルン音楽祭にあったかといえば、その答えはNoであろう。

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終演後は、昨年と同様、Hotel Rebstock併設のレストランでディナーを。ルツェルン市内ではトップランクのレストランであり、静かな中庭で落ち着いて食事が愉しめる。筆者以外にも演奏会後のグループが数組訪れていた。


(公演情報)

Opening Concert
Wed, 8 August 2012 | 18.30 | KKL Luzern, Concert Hall

LUCERNE FESTIVAL ORCHESTRA
Bavarian Radio Choir
Swedish Radio Choir
Claudio Abbado conductor
Juliane Banse soprano (Beethoven)
Bruno Ganz narrator
Anna Prohaska soprano (Mozart)
Sara Mingardo alto
Maximilian Schmitt tenor
René Pape bass

Ludwig van Beethoven (1770-1827)
Incidental music to Goethe’s tragedy “Egmont” for soprano, narrator and orchestra, Op. 84

Wolfgang Amadé Mozart (1756-1791)
Requiem in D minor, K. 626 (edition by Franz Beyer/Robert Levin)
[2012/08/20 18:04] | 海外視聴記(ルツェルン) | トラックバック(0) | コメント(0) |
ルツェルン・チューリッヒ行き(11年9月)②―バレンボイム指揮シュターツカペレ・ベルリン―Boulez&Wagner
9月18日午前10時すぎ、カルチャー&コングレスセンター(KKL)へ。この日は、ルツェルン音楽祭2011夏の最終日。バレンボイム指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ・ベルリン)による演奏会だ。ブーレーズ「ノタシオン」と、ワーグナー「ワルキューレ」(第一幕)が採り上げられた。

この日の座席は、3.Galerie linksの中央付近。平土間でいうと、前から12列目くらいの位置だ。昨日と異なり、舞台上の音がよくブレンドされ、心地よい残響を伴う。しかし、先月座ったBalkon正面席とは異なり、過度の残響によって音像の焦点がぼけることもなく、音の分離はクリアだ。また、4.Galerieのように、舞台上の反響板に遮られることもない。過去4回の中では、音のバランスの最も良い座席であった。

プログラムの前半は、ブーレーズ「ノタシオン」。原曲は、1945年に作曲されたピアノ独奏のための「12のノタシオン」で、このうちの数曲が1978年、1984年、1998年に、管弦楽版としてリメイクされている。管弦楽版におけるオーケストラは超巨大編成で、舞台上を埋め尽くす様を見るだけでも圧巻である。

今回は、「Ⅰ‐Ⅲ‐Ⅳ‐Ⅶ‐Ⅱ」の順序で演奏された。しかも、曲ごとに、最初に、バレンボイムがピアノで原曲を演奏し、その直後に、バレンボイムが指揮台に立って管弦楽版を演奏する、という凝った趣向の構成。こういう芸当ができるのは、バレンボイムだけだろう。

こうして原曲と管弦楽版を並べて聴いてみると、色々と発見があって面白い。原曲はいたってシンプルだが、これが管弦楽版になると、前衛的な現代音楽に化ける。しかし、核となる部分は、原曲と共通しており、妙に惹き込まれる。音楽の持つパワーと緊張感が並外れているのだ。この分野に関しては、筆者は無知に等しいが、ブーレーズのこの作品は、傑作といわれるだけあって、巷に氾濫する複雑怪奇な現代音楽の数々とは、一線を画していることがよく分かる。

シュターツカペレ・ベルリンも、緻密かつ精巧なアンサンブルで、文字通り巨大なスコアに描かれている音像を的確に浮かび上がらせていた。バレンボイムのバランス感覚にも驚かされた。

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そして後半は、ワーグナー「ワルキューレ」第一幕。オーケストラに脱帽である。管弦楽曲を演奏していたときとは、響きがガラリと変わった。

全ての響きが結晶化しており、和声進行は完全にはまっている。旋律は歌心に溢れ、ドイツの歌劇場らしい重心の低いフォルテも感じられる。ピアニシモの響きの純度も高く、トネリコの木に刺された剣をジークムントが引き抜く場面など、色彩感も十分。とりわけ、フンディングの動機等におけるホルンセクションの完成度の高さは、特筆に値する。管弦楽という観点から、文句のつけようがない。

さらに驚くべきは、歌を邪魔することが一切なかったことだ。ウィーンなどでは、オーケストラが出すぎることも珍しくない。もちろん、シュターツカペレ・ベルリンも、オーケストラが主役を張るべきところでは、前面に登場する。しかし、歌が始まると、声が浮かび上がるように、全体のバランスが絶妙にコントロールされているのだ。響き自体は、どちらかというと地味な印象ともいえるが、ワーグナーの音楽を純粋に味わうことを考えると、実はこれくらいの按配が丁度良い。例えていうなら、キチンと仕事がなされた和食といった感じだろうか。

バレンボイムのスコアの読みの深さも卓越している。正面からの真っ向勝負で、隙がない。様々な動機が有機的に結びつき、大きな流れが生み出される。他の指揮者との格の違いは、明白であった。現代最高のワーグナー指揮者の称号に偽りはない。

歌手に関しては、ジークムント役のペーター・ザイフェルトは、楽譜に目を落とす時間が長すぎ、バレンボイムの設定したテンポ感に乗ってこない。タイミングが常に後よりで、音楽の流れを阻害していた。バレンボイムは、先振りのアウフタクトを何度も出して、ザイフェルトを引きつけようとするも、効果なし。リリックで聴きやすい声だが、流れが悪く、また表情にあまり変化もないので、だんだん飽きが出てきた。ハイトーンでは、相当気合いが入っていたようだが、他の部分がいまいちなので、それだけの印象に終わってしまった。

フンディング役のクワンチョル・ヨンは、安定感のある歌唱ではあったが、役柄に見合ったオーラは感じられず、こちらもいま一歩。

総じて良かったのは、ジークリンデ役のニーナ・シュテンメ。目立つわけではないが、一歩退いたポジションから、諭すような歌唱で、役柄に見合った懐の深い表現が聴けた。音楽的な安定感も文句なし。

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終演は午後1時すぎ。ルツェルン中央駅から国鉄でチューリッヒに向かう。


(公演情報)

Sinfoniekonzert 34
So. 18. September 2011 | 11.00 | KKL Luzern, Konzertsaal

Staatskapelle Berlin
Daniel Barenboim Dirigent
Nina Stemme Sieglinde
Peter Seiffert Siegmund
Kwangchul Youn Hunding

Pierre Boulez (*1925)
Notations I-IV und VII
Fassungen für Klavier und für Orchester

Richard Wagner (1813-1883)
Die Walküre, Erster Akt
[2011/09/20 03:05] | 海外視聴記(ルツェルン) | トラックバック(0) | コメント(0) |
ルツェルン・チューリッヒ行き(11年9月)①―バレンボイム指揮シュターツカペレ・ベルリン―Mozart&List
9月17日早朝、LX771便にてチューリッヒへ。国鉄を乗り継ぎ、午前10時半にルツェルンに到着。この日の宿泊は、ホテル・レブストック・ルツェルン。先月の訪問時に併設のレストランに感銘を受けたことから、ここに宿泊することとした。午前11時にもかかわらず、部屋の準備が出来ているとのことで、早速チェックインさせてもらった。スモールシングルルームゆえ、設備は三ツ星レベルだが、中庭に面した最上階で、静かであることが嬉しい。スイスの物価の高さを考えると、相対的に手頃な価格で宿泊できる良いホテルといえる。

お昼前に前回の訪問時に見学できなかった氷河公園とムーゼック城壁を見学。その後、有名レストラン、プフィスターン(Pfistern)に行ったが、ここは、これまでの欧州生活の中でもワーストを飾るほどのサービスレベル。昼時にも関わらず、注文が通るのに小一時間、しかも注文内容が間違っている。こちらがクレームを言ったときの対応も非常に好戦的。味は悪くはないが、平凡。にもかかわらず、価格は、日本人の感覚に照らして、想定の2倍以上。再訪はあり得ない。

ホテルに戻り、しばし休憩を取った後、カルチャー&コングレスセンター(KKL)へ。この日は、ダニエル・バレンボイム指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ・ベルリン)による演奏会。モーツァルトのピアノ協奏曲第22番変ホ長調K.482と、リストのダンテ交響曲が採り上げられた。

この日の座席は、2.Galerie rechts。舞台の真横の席で、バレンボイムの姿を横から観察することができるという意味では、勉強にはもってこいのポジションである。舞台上の生音が直接聴こえるが、音の分離は良く、響きもそれなりに落ち着いて聴こえる。サントリーホールのRBブロックの最前列の音響をベースに、音の分離と生々しさを加えたような感じであった。

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前半は、モーツァルトのピアノ協奏曲第22番変ホ長調K.482。バレンボイムによる弾き振りである。

バレンボイムによる独奏は、モーツァルトの演奏の一つの完成形だ。澄んだピアノ、毅然としたフォルテ、随所に見られる微妙なニュアンスなど、熟慮を重ねた結果として生み出される自然でシンプルな音楽。天才の成せる技といえようか。

シュターツカペレ・ベルリンも、ドイツの伝統を感じさせるキチンとした響きで、腰の据わった安定感が頼もしい。響きが滲んだり、機動性を欠いたりする箇所もそれなりに見られたが、総じて悪くない仕上がり。

なお、この日のバレンボイムは、ピアノを弾きながら、オーケストラに対して、手で、そして視線で、的確なアウフタクトを出し、アンサンブルを整えていた。バレンボイムの発するオーラがオーケストラを包み込み、全てがバレンボイムの想定の中で進行していたことに驚かされる。巷には、弾き振りと称しつつも、実際はコンサートマスターが指揮者の役回りを果たすというタイプの演奏が多く見られるが、バレンボイムの下では、そのようなチグハグさは皆無だ。これこそ、真の弾き振りといえる。

第一楽章の冒頭は、意外にも素朴な出だし。抑制の効いた木管楽器のハーモニーが心地よい。バレンボイムらしい折り目正しい演奏スタイルで、深いブレスのカンタービレも織り込まれる。
第二楽章も、冒頭から研ぎ澄まされたピアニシモ。今回の音楽祭のテーマである「夜」をイメージさせる深遠な「静」の世界。響きの移り変わりが異様な緊張感を持って聴衆に迫る。
第三楽章は、ロンド形式だが、過度に楽しげになることもなく、落ち着きのある適度なスピード感。「夜」はさらに深まり、後半は夜想曲を思わせるような色彩感も醸し出されていた。

後半は、リストのダンテ交響曲。

第一楽章の冒頭から大迫力の爆演。ワーグナーを髣髴させる管弦楽の大スペクタル。こういう激情的な場面においては、歌劇場付きオーケストラが醸し出すドラマ性と緊張感が非常にマッチする。もしこれがオペラで、しかも舞台付きであったら、いきなり涙するかもしれない。バレンボイムここにありと言わんばかりの気合いの入った演奏で、一気に惹き込まれた。中間部は、リストらしい非常に詩的なオーケストレーションで、色彩感も十分。音色は地味なのに、色彩感がキチンと出ているところが驚きである。もっとも、たまにバレンボイムがスコアを凝視する(なお、一般論としては、楽譜が完全には頭に入っていない場合に、こうした行動を採りやすい。)箇所があり、そういう箇所で音楽の流れが若干停滞気味であったのが残念。

第二楽章は、マニフィカートをモチーフにした曲だが、バレンボイムは、その宗教的ニュアンスに溺れることなく、純音楽的に事を進める。マニフィカートの台詞を下敷きにしたと思われる弦楽器による旋律は、格調高く歌われ、それゆえに聴衆の心に直接届く。クライマックスで、パイプオルガンの背後から聴こえてきた女声合唱は、まさに天から降り注ぐ光のようであり、ことのほか美しかった。なお、第二楽章の後半は、バレンボイムもスコアを閉じ、暗譜でタクトを振る力演。

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終演は午後8時半前。会場全体が巨匠バレンボイムに対して賛辞を称する中、閉幕となった。

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終演後は、徒歩でホテルに戻る。ライトアップされたカペル橋、そしロイス川周辺の街並みが美しい。

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ホテル到着後は、ホテル併設のレストランで、ビーフコンソメスープとルツェルン湖で捕れた淡水魚のソテー、そしてチーズの盛り合わせ。合わせて、Petite Arvine AOC Valais 2009という白ワインをボトル一本勝負。最後にスイスの地酒シュナプスも。とにかく今日は飲みたい気分なのだ。お料理も前回訪問時の印象を裏切らない秀逸な仕上がり。さっぱりした味付けだが、日本人であれば、この美味さと繊細さは理解してもらえるはずだ。スイスのチーズは、ブラッセルで食すものよりもフレッシュな感じで、これも美味。ルツェルン訪問時には是非とも訪れたいレストランの一つといえる。

午後11時半ころ、残ったワインを部屋で飲みつつ、この日記のドラフトを作成し、就寝。


(公演情報)

Sinfoniekonzert 33
Sa. 17. September 2011 | 18.30 | KKL Luzern, Konzertsaal

Staatskapelle Berlin
Zürcher Sing-Akademie (Einstudierung: Timothy Brown)
Daniel Barenboim Dirigent und Klavier

Wolfgang Amadé Mozart (1756-1791)
Klavierkonzert Es-Dur KV 482

Franz Liszt (1811-1886)
Eine Sinfonie zu Dantes "Divina Commedia" S 109
[2011/09/20 03:02] | 海外視聴記(ルツェルン) | トラックバック(0) | コメント(0) |
ブレゲンツ・ルツェルン行き(11年8月)④―ハーディング指揮マーラー・チェンバー・オーケストラ「魔笛」
8月21日夕方6時すぎ、ハーゲン弦楽四重奏団の演奏会の後、そのままカルチャー&コングレスセンター(KKL)へ向かう。夕方は、ダニエル・ハーディング指揮マーラー・チェンバー・オーケストラによる「魔笛」(セミ・コンサート形式)である。

今回の座席は、4.Galerie linksの中央付近。首から先を右斜め前方に出さないと、十分な視野や音響を確保できないのが辛いが、音は天井まで飛んでくるので、まずまずのポジションだ。

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この会場では、4.Galerieの舞台袖付近の座席と同じ高さに巨大な反響板が吊り下げられており、舞台上の音は、この反響板を介して平土間に下りていく設計になっていると思われる。正面奥側の4.Balkonも洞窟のように奥まった位置にあり、音響的に最も優れているのは、結局、平土間の真ん中あたりなのだろうか。不思議なホールであった。

ハーディングは、マーラー・チェンバー・オーケストラの洗練された音色と機動性を活かし、随所に美しい音像を描いていた。オーケストラがオペラ慣れしていないところが新鮮である。

ただ、特に第一幕で感じたことだが、それぞれのパーツを美しくまとめようとするがあまり、音楽的に立ち止まる箇所が多かったように思えた。音楽はそれなりに流れているし、幅広さやシャープさなど、表現力も多彩なのだが、ストーリーが前に運んでいかないのだ。

加えて、ハーディングは、アクセントを強調するときや、音楽をパッと開けさせたいときに、左手を胸のあたりから斜めに鋭く振り下ろす仕草を多用するが、繰り返し強調される若干大袈裟なアクセントは、発音を荒くするし、音楽の流れもぶつ切りにするので、演奏効果や舞台効果の観点からはウケがよいかもしれないが、筆者としては、反面教師的に観ざるを得なかった。

キャスト陣の中で、最も喝采を集めたのは、夜の女王役のマルティナ・ヤンコヴァ。二つあるアリアのいずれにおいても、超絶技巧の披露といった感はなく、全体を音楽的に手堅くキリッと仕上げ、圧巻であった。パパゲーノ役のニール・デイヴィスは、コミカルな演技が板についていて、それ自体も素晴らしかったが、歌唱部分も、軽やかでありながら、バリトンらしい深みのある響きで、存在感を示していたのが印象に残る。タミーノ役のアンドリュー・ステープルズは、豊麗な美声で、この役柄らしい純粋な青年像を描き出していた。アリアは美しく、そして雰囲気も出ていた。ザラストロ役のアラステア・マイルズは、徳の高い賢人というこの役柄の持ち味を上手く出せていて、好演。

他方、パミーナ役のケイト・ロイヤルは、卒なくこなせてはいるものの、声に伸びが足りない。第二幕終盤のアリアはしっとりと聴かせたものの、全体としては印象が薄かった。三人の侍女は、声によるアンサンブルを意識した配役で、健闘していたが、ところどころ音程の収まりの悪い箇所があり、そこが残念。

あまり目立たなかったが、今回の公演を陰で支えていたのは、アーノルド・シェーンベルク合唱団である。高い技術に依拠した格調高い合唱で、歌劇場付きの合唱団とは一味違った純音楽的なコーラスを聴かせていた。

なお、会場内には、開演前から効果音の雷鳴が轟いており、拍手なく、そのまま開演。台詞部分は、腹話術によりなされ、これがドイツ語を解す人々には大ウケだった模様。ちょっとした小道具をピンポイントで活用し、ステージの背後に白黒のイメージ映像を映し出すなど、演出にも工夫があった。

20110821-04

終演は午後9時45分すぎ。予想よりも遅くなった。急ぎ足で会場を後にし、荷物をピックアップして、ルツェルン中央駅へ。そして、国鉄を乗り継いで、午後11時45分ころ、空港近くのホテルへ。
翌朝は、早朝7時すぎのLX786便にてブリュッセルへ飛び、そのまま職場に向かう。


(公演情報)

Sinfoniekonzert 8
So. 21. August 2011 | 18.30 | KKL Luzern, Konzertsaal

Mahler Chamber Orchestra
Arnold Schoenberg Chor (Einstudierung: Erwin Ortner)
Daniel Harding Dirigent
Alastair Miles Sarastro
Andrew Staples Tamino
Kate Royal Pamina
Albina Shagimuratova Königin der Nacht
Neal Davies Papageno
Mari Eriksmoen Papagena
Martina Janková Erste Dame
Wilke te Brummelstroete Zweite Dame
Kismara Pessatti Dritte Dame
Stephen Gadd Sprecher, Erster Priester
Alexander Grove Erster Geharnischter, Zweiter Priester
Vuyani Mlinde Zweiter Geharnischter
Mark Le Brocq Monastatos
Christopher Widauer Erzähler

Wolfgang Amadé Mozart (1756-1791)
Die Zauberflöte KV 620. Grosse Oper in zwei Aufzügen auf ein Textbuch von Emanuel Schikaneder
Dialogfassung und halbszenische Einrichtung von Andrew Staples
[2011/08/23 06:43] | 海外視聴記(ルツェルン) | トラックバック(0) | コメント(0) |
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