ましましの音楽日記
G.ヴェルディの作品をこよなく愛するオペラ愛好家による音楽日記です。筆者が鑑賞した海外でのオペラやコンサートの模様や、筆者自身が日頃行っている音楽活動などについて、不定期に綴っていきます。
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欧州行き(13年8月)④―ザルツブルク音楽祭―ハーゲン弦楽四重奏団「ベートーヴェンチクルスⅡ」
8月18日午後7時頃、モーツァルテウムの大ホールへ。

20130818-08

ハーゲン弦楽四重奏団によるベートーヴェン・チクルスの二日目。会場の雰囲気は、初日と変わらないが、小雨のぱらつく空模様で、特に後半は湿度が上がってしまった。

音楽祭サイトを通じて筆者が確保した座席は、平土間2列目中央。この至近距離で観るハーゲン弦楽四重奏団は圧巻であった。抜群の臨場感で、まるで彼らが自分のために演奏してくれているかのような錯覚に陥るポジション。体感する音量も初日とは段違いである。

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プログラム前半一曲目は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第1番。かなりクセのある解釈とアーティキュレーションで、変態的な様相を呈していた。

第一楽章では、第一主題のモチーフに妙なメリハリが感じられる。音量の強弱に応じて、音の長さやボウイングに変化をつけることで、見ていて飽きない造りになっているが、シンプルな記譜に照らすと、自由すぎる嫌いもあり、統一性を失っているようにも思われた。他方、第二主題は、舞うようなボウイングの連携による音の連鎖が美しく花開き、和声感も含め、心地よかった。即興的な演奏ではあったが、部分を愉しむという観点からは、悪くない演奏であった。

第二楽章は、伴奏型の八分音符の刻みが秀逸であった。土地に根差したリズム感覚は、淡々と進む足取りに、柔らかさと軽やかさを添える。第二ヴァイオリン以下による楽章冒頭の八分音符の刻みは、厳かな雰囲気を醸し出しており、好感を持てたし、第二主題開始時にヴィオラや第二ヴァイオリンに登場する2:1の音型には、墨絵のような美しさもあった。他方、主旋律を展開する第一ヴァイオリンは、吟遊詩人のような節回しであり、あまりにロマンチックな表情付けであったため、筆者個人としては終始違和感を覚えた。展開部に入ってからも、強奏部において、熱気はあるが、粗さも感じられ、感銘の度合いは下がってしまった。

第三楽章も、色々と手を加えすぎたように思う。アゴーギクに恣意性を感じる場面もあった。他方、舞曲的な中間部は、田舎の踊りを想起させるという意味で、新鮮さもあった。

第四楽章は、第一ヴァイオリンのルーカスに、アレっと思わせる瞬間が何度か見られる。速いパッセージのスピード感を演出しようとして、指がもつれてしまったのかもしれない。これに対して、レガートを主体とする中間部は、響きの拡がりに不足はなく、テンポ的にも快調な流れであった。楽章全般を通じて、パート間の鎹のような役回りを果たす第二ヴァイオリンのライナー・シュミットが実に良い働きをしていた。

というわけで、この作品は、一日目の最後に演奏された弦楽四重奏曲第6番と比べると、まとまりに欠くように感じた。

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これに対して、プログラム前半二曲目は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第16番。一曲目に演奏された弦楽四重奏曲第1番と比べても、輪をかけて変態的な演奏で、実に鮮烈な演奏であった。

とりわけ、エッジを効かせた即物的なスタイルの第一楽章は、まさにネタの宝庫。ある意味で楽譜に忠実であり、記譜に含まれる表現を際立たせた演奏であったが、各動機の特徴を極端に色付けすると、現代音楽に匹敵する衝撃の連続となることに驚かされた。際どい表現を押し出した直後に、スッと変身し、何事もなかったかのような涼しい顔で美しいレガートを弾きだす技術には、脱帽である。

粗野な感じを残す第二楽章も、第一楽章の延長で、剝き出しの岩が次々と飛び出してくるかのような、原色系の音色の連続であるが、紙一重のところで均衡が取れており、ベートーヴェンの頭の中を見ているかのような、不思議な感覚に襲われる。スケルツォに戻る直前の透明感にあふれる弱音の美の演出も巧みであった。

第三楽章は、筆者が聴いた二回の演奏会の中では、最高の緩徐楽章であった。Lento assai, cantante etranquilloという楽想記号から足しも引きもしない格調の高い演奏。肝心なところで客席の物音が絶えなかったのが非常に惜しまれる。ノイズの方を睨みつけるライナー・シュミットの視線が印象的であった。

第四楽章は、哲学的な意味の籠められた序奏部分の後は、むしろメリハリの効いた軽快なAllegroで、表面上は聴きやすく仕上げられていた。もっとも、天候の変化は急激で、破滅的なff、コンパクトにズシンと響くf、流れるようなp、愛らしいppに至るまで、表情が多彩で、かつ的確である。一瞬の静寂を演出する間の図り方も絶妙。

あえて直球勝負に挑んだこの作品は、ベートーヴェンの到達した孤高の精神性を生々しく語る名演であった。

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休憩を挟んで、プログラム後半は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第7番「ラズモフスキー」。文句なしの充実の演奏であった。

一日目にも感じたが、やはりハーゲン弦楽四重奏団の音色と趣向性は、中期の作品群において最も自然に反映される。快活な第一楽章では、ピリオド的なノンビブラートも含め、ビブラートの有無や程度を巧みに調節して聴かせていたが、どれも納得のゆく表現であり、恣意的な印象は全くなかった。ダイナミクスの完璧なコントロールも素晴らしい。断片的なレガートの処理や弱音における八分音符の粒立ちも魅力だ。夢を追い求め、絶えず前進を試みようとするベートーヴェンの姿が脳裏に浮かぶ演奏であった。

第二楽章は、鋭敏さを存分に示しつつ、8分の3拍子というリズム感の様式から逸脱しなかったのが彼らのクオリティの高さの証。完璧なコントロールにより、立体的な音楽を構築することに成功していた。

第三楽章は、ただ黙って彼らの奏でる哀歌に集中するのみ。同じ目線で音楽を共有できる雰囲気が嬉しかった。

第四楽章も、スピード感とメリハリのある見事なロンドであった。軽快さから重厚さまで、幅広い音色のグラデーションが効果抜群である。適度に熱を帯びた演奏は、聴衆の気持ちを掴み、大喝采にて曲を閉じた。

アンコールは、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第3番第二楽章。メインの演奏の内容が濃すぎたため、あまり印象に残っていないが、多少興奮を醒まし、家路を迎えるための心の準備をするには、丁度良いデザートであった。

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今回は日程の都合により最初の二日間しか鑑賞できないが、彼らのホームグラウンドであるザルツブルクという最高の立地において、素晴らしい環境下で、実演に触れることができたことは、筆者にとっては、貴重な体験であった。ボウイングの感触や、フレーズの感じ方、テンポ感など、眼前で観察することで、初めて見えてきた要素もたくさんあった。日本を含むその他の国や地域のホールでは、気候の違いもあって、ハーゲン弦楽四重奏団の魅力をここまで直截的には実感できなかったであろう。演奏会としての充実度の高さに満足しつつ、雨の降りしきるザルツブルクの街中を歩き、ホテルに戻った。


(公演情報)

Beethoven-Zyklus 2
18. August, 19:30 Uhr, Mozarteum

Hagen Quartett
Lukas Hagen, Violine
Rainer Schmidt, Violine
Veronika Hagen, Viola
Clemens Hagen, Violoncello

PROGRAMM
LUDWIG V. BEETHOVEN • Streichquartett Nr. 1 F-Dur op. 18/1
LUDWIG V. BEETHOVEN • Streichquartett Nr. 16 F-Dur op. 135
LUDWIG V. BEETHOVEN • Streichquartett Nr. 7 F-Dur op. 59/1, "Rasumowsky"
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[2013/08/31 00:20] | 海外視聴記(ザルツブルク) | トラックバック(0) | コメント(0) |
欧州行き(13年8月)③―ザルツブルク音楽祭―ムーティ指揮ウィーンフィル「ヴェルディ/レクイエム」
8月18日午前10時半頃、祝祭大劇場へ。前日に引き続き、リッカルド・ムーティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団及びウィーン国立歌劇場合唱団によるヴェルディのレクイエムの演奏。独唱陣には、クラッシミラ・ストヤノヴァ、エリーナ・ガランチャ、ピョートル・ ベチャワ、ドミトリ・べロセルスキの4名が並ぶ。

祝祭大劇場内の雰囲気は、前日と同様。着飾ったセレブ達と観光客のマナーの悪さには、ため息の一つも付きたくなる。携帯電話の着信音が何度も鳴ったのは、この音楽祭の客層が年々低下していることの証左といえる。大声で誘導する日本人ツアーも見苦しい。少なくとも一昨年は見られなかった光景である。

20130818-01

音楽祭サイトを通じて筆者が確保した座席は、平土間1列目下手側。前日よりも1列後ろに下がっただけだが、下手側に寄ったこと、また10センチほど目線が上がったことから、管楽器の音色がより明快に聴こえるようになった。包まれるような臨場感が無くなり、1stヴァイオリンの直接音が若干気になったものの、全体の響きをより客観的に把握しつつ、ムーティの横顔とタクトを間近に見ることができるという意味で、前日との対比の観点からも、今回は良席に恵まれた。

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この日は、ベチャワが復調し、それに触発された独唱陣やオーケストラが本来の力を取り戻した。一夜明け、十分に休息を取ったオーケストラや合唱団が集中力を保てる環境が整ったことも大きく寄与したと思われる。前日に散見されたムラや乱れは何事もなかったかのように綺麗に修復されるとともに、外面的な演出効果は内面化を果たし、全ての要素が格調の高い世界観の下に結実していた。冒頭から結末まで、集中力が途切れる瞬間は皆無であった。これこそが現時点のムーティとウィーンフィル及びウィーン国立歌劇場合唱団の到達点。彼らによる2年前の演奏からは、隔世の感がある。最上のコンディションで迎えた千秋楽は、ヴェルディ生誕200年を祝うにふさわしい記念碑的な演奏となった。

この日の独唱陣は、ベチャワの復調を受け、4人が非常にバランスの良いアンサンブルを聴かせた。ストヤノヴァは、前日と異なり、冒頭から攻めの姿勢で、より踏み込んだ表現に磨きがかかる。ガランチャに関しては、前日の方が声に伸びがあったように感じたが、結果的に、独唱陣4人のバランスが整い、声楽カルテットの醍醐味が如何なく発揮されていたといえる。

20130818-03

ムーティの表情を見ながら聴いていると、新たな発見がたくさんある。この日のムーティのタクトは、第二曲「Dies Iræ」中盤から次第に熱を帯び、よりアグレッシブな指揮姿で音楽の流れをリードした。

第一曲「Requiem et Kyrie」は、神妙な顔つきで演奏したくなる曲想だが、むしろムーティの表情は、柔和で前向きだ。響きの明るさを失わず、安定感のある導入であった。

第二曲「Dies Iræ」の力強さは、前日と同様。ベチャワの復調により、「Ingemisco」以降、尻上がりにテンションが高まっていった。「Confutatis maledictis」では、ムーティが特に熱い想いを注ぎ込み、微妙な揺らぎも含め、べロセルスキとオーケストラがまるで一つの生き物であるかのような動きを見せた。神業である。「Lacrymosa」では、序奏がゆったりとしたテンポ感で開始されたことを受け、ガランチャがたっぷりとした表情で歌い込む。前日とは異なる路線である。べロセルスキに橋渡しするあたりでは、軽やかなテンポ感に戻っていたが、この一瞬の駆け引きは見物であった。

第三曲「Offœrtorium」では、表現がさらに練りこまれ、完成度が高まる。「Hostias et preces tibi, Domine, laudis offerimus」の箇所は、この日のベチャワは綺麗にまとめていた。

第四曲「Sanctus」は、軽快さが増し、明るい前向きな音楽に仕上がった。楽想記号はleggero e stacc.であることからすると、納得のいく方向性である。最後に現れるオーケストラによる階段状のユニゾンに荒々しさが全くなかったのは、ウィーンフィルの卓越した技術力の表れ。なお、この日のムーティは、結尾の和音を拍子よりも長めに鳴らしたが、溢れんばかりの賛美の想いに自然と導かれたのであろう。

第五曲「Agnus Dei」では、オーケストラが柔らかな日差しのような音色で歌に寄り添い、何とも言い難い美しい世界を醸し出した。平和を求める「祈り」に包まれた。

第六曲「Lux Æterna」では、結尾に向け自信の漲った表情がステージ上から窺われた。全てが必然的に進行しているように感じられる。なお、曲の入りは、前日の鮮烈な印象とは異なり、温かい響きに感じられた。ここまで整えば、小細工的な仕掛けは不要である。

第七曲「Libera Me」も、非の打ちどころのない充実の進行。「Dies iræ」の再現部分に見られた振幅の大きな波は、巨大なうねりをもたらす。前日に不安のあった「Libera me」のフーガは、完璧に統制が効いていて、緩みは全くない。ステージ上の演奏者全員の力が結集したtutta forzaは、今回の演奏のクライマックスとして、聴衆全員の感涙を誘い、感動の渦巻く中、幕切れとなった。

20130818-04

世界最高レベルの独唱陣、合唱、オーケストラが本気で取り組んだ結果として生み出されたこの日の演奏は、一つの「事件」であった。技術的な完成度の高さはヴェルディの書いた音楽の無限の可能性を明らかにし、音楽に向かう演奏者たちの真摯な姿勢は聴衆の心を清らかにする。外連味のないチームプレイの結集から得られる一体感と充足感は、マエストロ・ムーティの包容力に由来するもの。聴衆のマナーの悪さを除けば、純粋な気持ちで音楽と向かい合える素晴らしいひと時であった。

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終演後は、クールダウンのため、しばし旧市街をぶらつき、落ち着いたところで、レストラン、シュティフツケラー・ザンクト・ペーターへ。メンヒスベルク山の岩盤をくりぬいた岩肌を利用しているため、夏場でも涼しいことが最大の取り柄かもしれない。2年前と同様、味は可もなく不可もなく。


(公演情報)

Wiener Philharmoniker • Riccardo Muti
18. August, 11:00 Uhr, Großes Festspielhaus

Riccardo Muti, Dirigent

Krassimira Stoyanova, Sopran
Elīna Garanča, Mezzosopran
Piotr Beczala, Tenor
Dmitry Belosselskiy, Bass

Konzertvereinigung Wiener Staatsopernchor
Wiener Philharmoniker

PROGRAMM
GIUSEPPE VERDI • Messa da Requiem
[2013/08/31 00:09] | 海外視聴記(ザルツブルク) | トラックバック(0) | コメント(0) |
欧州行き(13年8月)②―ザルツブルク音楽祭―ムーティ指揮ウィーンフィル「ヴェルディ/レクイエム」
8月17日午前10時半頃、ザルツブルク祝祭大劇場へ。リッカルド・ムーティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団及びウィーン国立歌劇場合唱団による演奏会。ヴェルディのレクイエムが採り上げられた。独唱陣には、クラッシミラ・ストヤノヴァ、エリーナ・ガランチャ、ピョートル・ ベチャワ、ドミトリ・べロセルスキを配し、万全の体制が整えられていた。

20130817-01

祝祭大劇場内には、着飾ったセレブ達があふれる。必然的に客席のマナーはかなり悪い。演奏中もノイズが絶えず、本当に音楽を聴いているのかという苛立ちすら覚える。前日にモーツァルテウムに集まった聴衆とは大違いだ。なお、日本人ツアーも複数来訪していたようだが、いくらなんでも祝祭大劇場のロビー内では、旅行会社の旗を振っての誘導はいかがなものか。

音楽祭サイトを通じて筆者が確保した座席は、平土間G列真ん中。オーケストラピットの最後部で、オペラ上演であれば指揮者が立つ場所である。祝祭大劇場の音響を考えると、最適な場所の一つであったと思われる。平土間席のセレブ達から発生するノイズの影響を受けにくいという意味でも、音楽に集中しやすい環境といえる。オーディオで聴くような、弦楽器を主体としたバランスの良い響きが堪能でき、鑑賞上のストレスは全くなかった。個人的には、マエストロ・ムーティの背中に視線が釘付けになる1時間半であった。

20130817-02

この日は、三日間にわたり予定されている公演のうちの二日目にあたる。ムーティのタクトからは、可能な限り演奏者側の自主的なアンサンブルに委ねようという意図も窺われ、順調に音楽が流れる場面もあった。他方で、前日のドンカルロの上演や諸々の事情により疲労が蓄積したことに起因すると思われる集中力の緩みもあり、推進力やキレが失われる瞬間も散見され、ムーティがアンサンブルの立て直しに躍起になる場面も見受けられた。特にヴァイオリン陣は、ベストメンバーではなく、前方プルトと後方プルトの間に温度差もあり、セクションとしての自発性の乏しさが感じられた。管楽器や歌手、合唱は、メンバーが揃っていただけに、もったいない限りである。

独唱陣の中では、ガランチャの表現力と存在感がずば抜けていた。この作品の場合、メゾソプラノの語りが成功の鍵を握る。ガランチャののびやかな美声と豊かな声量、そして張りがあり、芯のある歌唱は、この役柄に申し分ない。全体を通じた安定感も抜群。内面的な強さを描き出したガランチャの歌唱は、極めて説得的であり、印象的でもあった。

ストヤノヴァの華やかな声は、この作品のソプラノに与えられた役柄を見事に演出した。メゾソプラノとのバランス上、ソプラノは出すぎない方がしっくりとくる。第七曲「Libera Me」において、一気にテンションを高め、聴衆の心に強く訴えかける音楽の運びは、流石である。

べロセルスキは、明るく伸びやかな美声で、総じて悪くはなかったが、場面によっては、もう少し押し出しの強さが欲しくなる箇所もあった。ただ、今回の4人の独唱陣のバランスを考えると、ムーティの意図は明快であり、考え抜かれた上でのキャスティングであったのであろう。ベロセルスキは、特にアンサンブルにおいて、良い仕事をしていた。

残念だったのは、ベチャワ。筆者は彼の実演に何度も触れてきたが、この日は本調子ではなく、声に輝かしさや伸びやかさが感じられない。最大の見せ場の一つ、第三曲「Offœrtorium」の「Hostias et preces tibi, Domine, laudis offerimus」において、声が引っ掛かってしまったのは、彼にとっても悔しい限りであろう。

4人の独唱陣は、現時点でこの作品を上演するにあたっては、最高のキャスティングと断言できる。声の特徴、バランス、役柄といったあらゆる面において、全てが腑に落ちるメンバー構成だ。翌日に予定される最終公演において、ベチャワが調子を戻してくれることを祈るばかりである。

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第一曲「Requiem et Kyrie」は、従前の解釈や手法と大差なく、導入に相応しい安定した演奏であった。シカゴ響との収録にも見られるが、たっぷりと歌う部分と、すっきりと前に流す部分のメリハリないし切り替えを狙うタイミングが素晴らしく、音楽の全体の進行をスムーズに引き立てていた。

第二曲「Dies Iræ」は、最も印象的であった。ffでも音が荒れず、細部までキチンと聴こえるのは、ウィーンフィルならではといえようか。オーケストラとコーラスが一体化し、全ての音が最上のバランスで豪快に鳴り響くと、聴き手の側の感涙のスイッチが入る。初体験の衝撃であった。

最初に音楽的な高まりを魅せたのは、バンダ・トランペットが加わり、一つのクライマックスを築く「Tuba mirum」。この日は、バンダ・トランペットがステージの両袖に配置されたため、筆者の座席では、正面と左右をラッパに取り囲まれる。圧巻であった。

この日のムーティは、どちらかというと、空間を広くとったドラマ性に重きを置き、グランディオーソなニュアンスに富んだタクトを選択していた。祝祭大劇場という場を意識した判断であろう。そのため、ウィーンフィルの底力が如何なく発揮されていたように思える。

その後は、前述のとおり、ベチャワが本調子ではなかったこと、客席の集中力が持続しなかったことなどが起因し、ガランチャの奮闘にもかかわらず、会場全体として覚醒する瞬間はしばらく訪れなかったが、「Rex tremendæ」におけるanimandoの追い込みは、ヴェルディの根底に宿るオペラ的なスペクタルの醍醐味が満載であった。また、「Recordare」は、ソプラノとメゾソプラノの二重唱における濃密なアンサンブルが見物であった。「Lacrymosa」は、どちらかというと、ベルカントの路線に従ったあっさりした演出。簡素な中に、切々とした涙が表現されていた。

第三曲「Offœrtorium」は、前述のとおり、ベチャワの不調により、最大の聞かせどころであるアダージョが潰れてしまった。ヴァイオリン独奏もホーネックが登板していれば、ホール内に豊潤な響きが立ち上がったに違いない。もっとも、後半部分におけるオーケストラの音色の創り込みは、さすがウィーンフィルという仕上がり。弦楽器の刻みで響きを高らかに膨らませ、一応のクライマックスを構築しつつ、歌に完全に寄り添ったユニゾンで厳粛な祈りを支え、トレモロによりmorendoを演出するあたりは、オペラを知り尽くした彼らならではの芸当といえる。

第四曲「Sanctus」は、落ち着きのある安定した演奏で、特に活き活きとした合唱が好演であったが、音楽的にはやや守りに入った感もあり、もう少し歓びが爆発しても良かったのではないかとも思われた。

第五曲「Agnus Dei」は、ガランチャの存在感が圧倒的。冒頭13小節間におけるガランチャの歌唱がこの曲の全てを決定づけた。ガランチャの強固な意志により、全体に一貫性が帯び、良いムードが末尾まで継続した。

第六曲「Lux Æterna」は、最初のトレモロで、ヴァイオリン陣が鮮烈な響きを演出し、音楽的な高揚が一気に高まった。この手法は、オペラ上演において流れが芳しくないときにウィーンフィルが使う常套手段であるが、最終幕に向け、ここぞというときに、突如として照明が転換したかのような演出効果を音で表現し、聴衆の心のスイッチを切り替え、そして、上演の満足度を高める技術は、筆者の知る限り、ウィーンフィル以外にはなし得ない芸当といえる。オーケストラが本気モードになれば、あとは流れに任せるだけである。第五曲で勢いに乗ったガランチャは、この曲でもさらに表現に深みを増し、独り舞台といっても過言ではない素晴らしい歌唱で聴衆を魅了した。

第七曲「Libera Me」は、それまで割と控え目であったストヤノヴァが、突如として感情を露わにし、語り始めた。ムーティのタクトにも熱い想いが迸り、ステージ上がクライマックスに向けて力強く前進を始めた。「Dies iræ」の再現部分では、ムーティは、冒頭でテンポを示した後は、あえてタクトを振らない。「Requiem æternam」の美しさは、言葉を失うレベル。最後の「Libera me」のフーガは、合唱の語尾が少し重く、流れが阻害される箇所もあったが、何とか持ちこたえ、tutta forzaを手堅くまとめて、幕切れとなった。

20130817-04

ウィーンフィルの巧さ、ウィーン国立歌劇場合唱団のクオリティは、言わずもがなではあるが、この日の演奏でも随所にその実力の高さが光っていた。個々の部分を取り出すと、世界一の完成度を誇っていたと断言できる。オケと歌のバランスや相性も含め、ヴェルディのスコアを理想的な状態で表現できるのは、彼らだけであろう。しかし、前述の通り、この日の演奏は、残念ながら、凝縮力が薄かった。ドイツ語圏の彼らにとって、異国の文化であるヴェルディのテンポ感やリズム感は、意識的に演じていないと、感覚にズレが生じてしまう。集中力が緩むと、音楽の流れの中に、妙な奥ゆかしさが生まれてしまい、ヴェルディらしい推進力やキレが失われてしまう。ムーティの描こうとしたヴェルディのレクイエムの作品像が半分も実現できていないもどかしさに、気持ちの整理がつかないまま、祝祭大劇場を後にした。

終演後は、いったんホテルに戻り、ぶらぶらした後、スティーグル・ブロイヴェルト(Stiegl Brauwelt)に足を延ばし、2.5リットルのビールで憂さ晴らし。日の入り頃にホテルに戻り、Wein & Coで入手したZweigeltとBlaufränkischと、駅前のスーパーで購入したハムやチーズで部屋飲みに徹する。


(公演情報)

Wiener Philharmoniker • Riccardo Muti
17. August, 11:00 Uhr, Großes Festspielhaus

Riccardo Muti, Dirigent

Krassimira Stoyanova, Sopran
Elīna Garanča, Mezzosopran
Piotr Beczala, Tenor
Dmitry Belosselskiy, Bass

Konzertvereinigung Wiener Staatsopernchor
Wiener Philharmoniker

PROGRAMM
GIUSEPPE VERDI • Messa da Requiem
[2013/08/30 23:25] | 海外視聴記(ザルツブルク) | トラックバック(0) | コメント(0) |
欧州行き(13年8月)①―ザルツブルク音楽祭―ハーゲン弦楽四重奏団「ベートーヴェンチクルスⅠ」
8月16日午前1時、NH203便にてフランクフルトへ、そして3時間の乗継でLH1102便にてザルツブルクへ。ビジネスクラスにアップグレードしたため、機内ではロッシーニの予習をするなど、快適に過ごせた。機内やラウンジの様子から、バカンスシーズンであることが如実に窺われる。

ザルツブルク到着は午前10時すぎ。気温は30度近いが、乾燥して清々しい青空である。この日差しを浴びると、欧州に来たなと思う。空港から市内へはバスを利用したが、中央駅に向かう道路渋滞の影響で、40分くらいを要した。今回の宿泊先は、中央駅から徒歩5分に位置するAtel Hotel Lasserhof。設備的には、冷蔵庫やWifiも含め、3つ星レベルとして必要なものが一通り揃っており、アメニティが貧弱な点を除くと、価格も含め、納得はできる。早めのチェックインが出来なかったので、ロビーで小一時間ほど残務を処理し、シュターツ橋からLinzergasseを新市街側に数分戻ったところにあるGablerbräuで、アンバービールとともに、グラーシュスープ、牛テールの赤ワイン煮をチョイス。香りの高いアンバービールとスパイシーな料理の組合せは上々で、価格的にもお手頃感がある。観光地価格のザルツブルクにおいて珍しく再訪してもよいと思えるレストランに巡り会った。

午後2時半頃、ホテルに戻り、チェックイン。3時間ほど休息を取り、午後6時半頃、モーツァルテウムの大ホールへ。

20130816-01

今回のザルツブルク音楽祭における隠れた目玉企画の一つ、ハーゲン弦楽四重奏団によるベートーヴェン・チクルスの初日である。祝祭大劇場とは異なり、セレブの社交界的な雰囲気は薄く、むしろ地元の音楽ファンや世界各地のコアな愛好家らが集まった模様だ。会場内のマナーは良く、安心して音楽に集中することができた。

音楽祭サイトを通じて筆者が確保した座席は、平土間7列目上手側。壁に近かったためか、音が若干遠く感じる。もっとも、適度な余韻と明晰な響き、楽器間のバランス、そしてオーストリアの気候をそのまま音にしたかのような柔らかく艶のある音色は、演奏者の力量と聴衆のマナー水準が高ければ高いほど、より発揮される。逆に、演奏者の不注意やホール内のノイズが恐いほどに露呈するため、誤魔化しは全く通用しない。ホールが楽器であるという言葉がそのまま当てはまる数少ない音楽ホールであり、モーツァルテウムの大ホールは、ウィーンにゆかりのある室内楽演奏を鑑賞するには世界一の空間ではないかと感じた。

20130816-02

プログラム前半一曲目は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第11番「セリオーソ」。結論から言うと、この作品に関しては、硬さが出たのか、彼らの本来の実力が十分に発揮されないままに終わってしまった。

第一ヴァイオリンのルーカスがやや安定感を欠いたことが原因の一つと思われる。音をわずかでも外すと、それを包み隠さず客席に伝えてしまうこのホールの特性が災いした。また、彼らの演奏に時折見かけられる急ハンドルを切ったかのような場面転換は、作品の特性上、意図は理解できるが、この日の演奏のこの作品の演奏に限っては、唐突さを拭えず、やや作為的に聴こえてしまった。最初の曲ゆえ、演奏者側も聴衆側もお互いに様子見のような空気が漂っていたのも確かであり、演奏会の導入の難しさを実感した。

第一楽章は、そうした危うさが散見されてしまった感があり、良い部分もたくさんあったが、全体としてはいま一つな印象であった。

他方で、第二楽章に関しては、息をのむような瞬間の連続であった。静寂の中から厳かに奏でられるカンタービレは、フレーズの展開を経ても絶えず根底に流れ続けており、楽章全体の構成美を如何なく表現できていた。緩徐楽章における静かなカンタービレは、この日の演奏全体において一貫していた最大の特徴であった。

第三楽章は、スケルツォではあるが、あくまでも歌に立脚した節回し。巷には力技に終始してしまう演奏が多いが、そうした世俗的な演奏とは一線を画した解釈で、非常に好印象。通常であれば力が入ってしまう16分音符をスマートに収めて推進力に変える力量には、驚かされた。

第四楽章冒頭は、第二楽章と同様、節度のある落ち着いた響きが印象的。ただ、主部に入った後、fやffで示される長い音符につき、音を厚くしたり薄くしたりと、色々と使い分けがなされており、楽譜に根拠が求められるものの、違和感は拭えなかった。

この作品に関しては、客席の反応もいま一つで、拍手の量もそこそこであった。

20130816-04

これに対して、プログラム前半二曲目のベートーヴェンの弦楽四重唱曲第10番「ハープ」は、圧倒的な名演奏であった。

この作品は、ハーゲン弦楽四重奏団の持ち味が発揮されやすい作品といえるかもしれない。明るく伸びやかで艶のある音色、弱音になっても決して緩まないスピード感、歌を基調とした音楽設計、どの点においても、ベストマッチであった。また、この作品に関しては、伴奏型が複数パートに分散しているため、自然な流れを保つことが至難の業といえるが、同じ兄弟、同門下という他に例を見ない彼らから編み出される伴奏型の連携の良さは、他の追随を許さない。

第一楽章では、青春を駆け抜けるベートーヴェンの姿が浮かび上がった。中期の傑作の森を振り返るかのような充実の演奏。プログラム前半一曲目において散見された不安定さは全て解消され、演奏者側も聴衆側もテンションが一気に上がってきた。

第二楽章では、打って変わって、人生に苦悩するベートーヴェンの心の内側を静かに描き出す。カンタービレに依拠したフレージングの美しさは、さらに凄みを増した。第一中間部では、突如として空模様が変わったかのような、ハッとさせられる瞬間があった。

第三楽章は、Prestoの疾走感が半端ない。Pからfまで、攻めの姿勢を崩さず、随所に感情の爆発も見られた。

第四楽章は、変奏の冥利に尽きる。変奏を重ねても、絶えず主題に込められた歌が確実に感じ取れるあたりが素晴らしい。

プログラム前半を締めくくる充実の演奏に、会場内は、堰を切ったかのような拍手とともに、大歓声に包まれた。

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休憩を挟み、プログラム後半は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第6番。

初期に書かれた作品18の6曲目にあたるこの作品だが、ハーゲン弦楽四重奏団は、若き頃のベートーヴェンの作風の中に、彼の中期の作品に特徴的な青春を振り返るような様相や、後期の作品群に見られるような深遠さが既に見え隠れしていることを明らかにした。

第一楽章は、規定の枠組みの中で、多少の遊びを取り入れた柔軟な演奏。様式を崩さない処理が秀逸である。弾力性に富み、活力があった。

第二楽章は、この日の演奏のテーマともいうべき、カンタービレの美がこの楽章でも如何なく発揮された。明と陰の描き分けが巧みで、心の内側に沁み入る美しさであった。

第三楽章は、簡素ながらもキレのあるスケルツォで、粗野な側面が後期の作品にも相通ずる衝撃をもたらした。トリオの軽やかな運びは、主部と対照的で晴れやかな気持ちになる。喜怒哀楽の極端な変わり様は、ベートーヴェンの複雑性を物語っていた。

第四楽章冒頭は、後期の作風を完全に先取りしている。30歳前後で既にここまで完成された世界を築いていたベートーヴェンの偉大さには、驚かされる。主部は、軽やかかつしなやかなアレグレットで、スムーズな展開であるが、ところどころ立ち止まったり、口を閉ざしたり、多面的な性格が織りなす。このあたりを明快に描き上げたハーゲン弦楽四重奏団によるこの日の演奏は、チクルス初日の最後を飾るにふさわしい充実の演奏であった。

満場の拍手に応えて演奏されたのは、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第8番第二楽章。想いのこもった熱い演奏であった。

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終演後は、帰路にあるCrown Plaza Hotelに併設されたPitter Gartenにて、軽く夕食を摂る。中庭のテラスで飲むビールは旨いが、料理の質はあまり褒められたものではない。さっさと切り上げて、ホテルに戻り、就寝。


(公演情報)

Beethoven-Zyklus 1
16. August, 19:30 Uhr, Mozarteum

Hagen Quartett
Lukas Hagen, Violine
Rainer Schmidt, Violine
Veronika Hagen, Viola
Clemens Hagen, Violoncello

PROGRAMM
LUDWIG V. BEETHOVEN • Streichquartett Nr. 11 f-Moll op. 95, "Quartetto serioso"
LUDWIG V. BEETHOVEN • Streichquartett Nr. 10 Es-Dur op. 74, "Harfenquartett"
LUDWIG V. BEETHOVEN • Streichquartett Nr. 6 B-Dur op. 18/6
[2013/08/30 00:23] | 海外視聴記(ザルツブルク) | トラックバック(0) | コメント(1) |
ザルツブルク行き(11年8月)⑥―ムーティ指揮「マクベス」
8月16日、この日は夕方まで特に予定はない。折角の機会なので、市街の観光スポットを巡ることとした。訪れたのは、ホーエンザルツブルク城塞、パパゲーノ像、モーツァルト広場、モーツァルトの生家、大聖堂という超定番コース。いずれも行くこと自体に価値がある場所といえようか。

さて、昼食は、超高級レストラン、ゴルデナー・ヒルシュにて。牛肉をゼラチンで固めた前菜、団子スープ、子牛のソテーに、赤ワイン(Jois 2007/Markus Altenburger)を合わせてみた。前菜は、基礎がしっかりしている上に、柑橘系ソースがとても良いアクセントになっていた。団子スープも、純度の高いコンソメ、余計な味付けがなく肉本来の旨みが活かされた肉団子、それらの掛け合わせにより広がる豊潤な味わいは、一流レストランの成せる技である。子牛のソテーも、ソースとの相性がよく、洗練された雰囲気を醸し出す。そして、これら全てがワインと抜群のコラボレーションを創出する。パンケーキ&デザートワインで締め、今回のザルツブルク滞在中で初めての至福の食を愉しめた。値段は、他の有名レストランの倍になるが、昨今の円高の情勢下では、都内の良い感じのビストロで食べたのと同じくらいであり、超一流のサービスも考え合わせると、十分に納得が行くレベル。ザルツブルク滞在中、ゆっくりと時間がとれるときを狙って、是非一度は訪れてみたいレストランの一つといえる。

昼食を終え、ぶらぶらと街を歩き、ホテルへ戻り、夜に備えてしばし仮眠。午後6時半すぎにホテルを出て、フェルゼンライトシューレへ。この日の演目は、ムーティ指揮によるヴェルディ「マクベス」。今回の旅程は、このためにあったといっても過言ではない。前評判も高く、会場に入る前から心が高まる。なお、今回の座席は、前から17列目の下手側ブロック。舞台からの距離も近く、臨場感をもって楽しめるポジションだ。

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午後7時半、マエストロが登場し、開演。2回の休憩を挟み、午後11時15分に終演。あまりの素晴らしさに、もはや説明不能。言葉に置き換えようとすると、途端に、あの「響き」の数々が矮小化され、陳腐化してしまう気がして、筆が進まないが、それでもあえて説明を試みると、概ね以下のとおり。

今回は、何といっても、弱音の表現が極限まで洗練されていたことに、大変な衝撃を受けた。

「マクベス」において、ヴェルディは、主役のベル・カントを否定し、マクベスやその夫人の歌唱部分のほとんどを「朗唱」により構成した。それゆえ、内面表現については、小さい声で台詞として語られる場面が多い。オーケストラが創出した「静」の空間においては、そうした言葉の一つひとつが異常な緊張感を持って、観客の心に届いていた。

いわゆるアンサンブル・フィナーレにおいても、合唱の音量が絶妙にコントロールされており、各役者による心境の独白が、小さな声であるにもかかわらず、自ずと浮かび上がっていた。また、通常であれば歌い散らかしてしまうことの多い独唱や合唱の箇所も、音楽的に丁寧にまとめられ、息の長いフレーズ感が生み出されていた。

管弦楽の手法との関係でも、「マクベス」では、ヴェルディは、動きのない静寂の持続により不安と緊迫を表現することに成功しているが、ムーティ&ウィーンフィルの創出した「静」の響きの透明感は、異様なほどの劇的効果をもたらしていた。あれだけのピアニシモは、他のオーケストラでは実現できないのではなかろうか。

こうした「静」の持続を通じて劇場内に充填されたエネルギーは、クライマックスを前に頂点に達し、劇的かつ情熱的でありながらも、格調の高い緊迫したフォルテシモに結実していた。淡く繊細な質感と色彩感、そして音楽的な見せ場を創出する巧さといったウィーンフィルの持ち味を知り尽くしたマエストロ・ムーティによる、正に歴史に残る芸術的解釈であったといえる。

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他方で、この日のウィーンフィルは、前日聴いたヴェルディ「レクイエム」のときと比べると、よりイタリア的な方向にシフトしており、岩盤を背後に持つフェルゼンライトシューレの響きとも相まって、33歳のヴェルディの若さや勢いも見事に表現されていた。とりわけ第二幕第三場は、文字通り、イタリアであった。舞台上で役者が演技をすることも踏まえ、テンポには多少の余裕が与えられており、歌手が自然に歌えるように配慮されていたが、かといって流れが停滞することはなく、スピード感も適度にあり、王道を行く解釈であった。

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最も感情が揺さぶられたのは、やはり第四幕。第一場では、マエストロ・ムーティは、それまでは控えていた溢れんばかりの歌心を舞台に注ぎ込んだ。涙無しには聴くことができない感動的なシーンであった。そして、第二場もこの雰囲気で進めるかと思いきや、ここで奏でられたヴァイオリンのメロディは、意外にも簡素で、哀しさも感じさせるもの。確かにストーリーを考えれば、このコントラストは、非常に合理的で説得的である。第三場では、マクベスの死によりそのまま幕を閉じる初版が採用され、劇的な高揚感はひとしおであった。

マエストロ・ムーティは、この日は、非常に若々しい指揮ぶりで、全体を引き締めるとともに、「マクベス」の巨大な世界観を創出していた。音符の一つひとつ、台詞の端々に至るまで、マエストロによる最高の解釈が徹底され、そして磨き上げられていた。リハーサルにおいては、相当入念な準備がなされたのだろう。ヴェルディの上演は、やはりこうでなければ。
なお、この日のウィーンフィルのメンバーは、「影のない女」や「レクイエム」と比べると、必ずしもベストメンバーというわけではなかったようで、テンポの落ち着きの悪い箇所や、綻びが生ずる箇所などが、若干ながら見受けられたが、そういう兆候が見られると、マエストロ・ムーティは、スッと立ち上がり、簡にして要を得た合図をもって、瞬時にアンサンブルを立て直す。
ともあれ、70歳とは到底思えないパワーと迫力である。

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ペーター・シュタインによる今回の新演出は、シェイクスピアの世界をシンプルに表現した正攻法で、オペラというよりも、戯曲としての上演にこだわったものであった。フェルゼンライトシューレの舞台の持ち味もよく活かされており、オーソドックスでありながら、切れ味のある見ごたえのある舞台であった。音楽を邪魔することがなく、ストーリーの理解を妨げるような余計なモノも出てこないにもかかわらず、なるほどと思わせる要素が随所に垣間見られるというのは、さすがである。

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なお、キャスト陣では、マクベス役のジェリコ・ルチッチとマクベス夫人役のタチアナ・ゼルジャンが、「朗唱」という基本を踏まえた上で、声を張り上げることなく、多彩な表現力をもって数々の苦悩を描き出していた点が素晴らしかった。マクダフ役のジュゼッペ・フィリアノティも、第四幕の独白とアリアを、出すぎず引っ込みすぎず、適度な存在感をもって伸びやかに歌い上げていた。

繰り返すが、今回の「マクベス」は、マエストロ・ムーティによる歴史的名演である。終演後のカーテンコールは、もちろんブラボーの嵐。でも、マエストロは、一歩下がって、他の演奏者全員を称える姿勢。これだけの名演、通常であれば、延々と続くと思われるカーテンコールも、マエストロのバイバイという合図をもってあっさりと終了。こういう立ち振る舞いが自然にできるような男性に自分もなってみたいものである。

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終演後は、感動を胸に、そのままホテルへ。購入したワインでグラスを傾けながら、就寝。ザルツブルク最後の夜は、こうして更けていった。

翌日は、シュティーゲル・ブロイ(Stiegl Brauwelt)で工場見学とランチ。その後、いったんホテルに戻り、そこから車で空港へ向かい、OS924便にてウィーンへ、そしてSN2908便に乗り継ぎブリュッセルへ。深夜0時半前に自宅に戻った。


(公演情報)

Giuseppe Verdi • Macbeth
Oper in vier Akten
Neuinszenierung
In italienischer Sprache mit deutschen und englischen Übertiteln

LEADING TEAM
Riccardo Muti, Musikalische Leitung
Peter Stein, Regie
Ferdinand Wögerbauer, Bühnenbild
Annamaria Heinreich, Kostüme
Joachim Barth, Licht
Lia Tsolaki, Choreografie
Heinz Wanitschek, Kampfszenen
Thomas Lang, Choreinstudierung

BESETZUNG
Željko Lučić, Macbeth
Tatiana Serjan, Lady Macbeth
Dmitry Belosselskiy, Banquo
Giuseppe Filianoti, Macduff
Antonio Poli, Malcolm, König Duncans Sohn
Anna Malavasi, Kammerfrau der Lady Macbeth
Gianluca Buratto, Arzt
Andrè Schuen, Diener Macbeths
Liviu Gheorghe Burz, Mörder
Ion Tibrea, Ein Herold
Michael Wilder, Erste Erscheinung
Benedikt Gurtner, Zweite Erscheinung/Fleance
Philipp Schweighofer, Dritte Erscheinung
Robert Christott, Stephan Schäfer, Volker Wahl, Drei Hexen
Wiener Philharmoniker
Mitglieder der Angelika Prokopp Sommerakademie der Wiener Philharmoniker, Bühnenmusik
Konzertvereinigung Wiener Staatsopernchor
[2011/08/18 21:20] | 海外視聴記(ザルツブルク) | トラックバック(0) | コメント(0) |
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