ましましの音楽日記
G.ヴェルディの作品をこよなく愛するオペラ愛好家による音楽日記です。筆者が鑑賞した海外でのオペラやコンサートの模様や、筆者自身が日頃行っている音楽活動などについて、不定期に綴っていきます。
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ラハティ行き(11年9月)②―シベリウス音楽祭第三日目
9月10日、午前中に旧市街を観光の後、再びシャトルバスにてラハティへ。シベリウスホール到着は、午後4時半。もう少し早く到着する手段があれば、プレトークで、マエストロによるシベリウス解釈に対する考え方を聴くことができたのだが、独り者の旅行ゆえ、交通の足を確保することが困難であり、断念。

シベリウス音楽祭の三日目。オッコ・カム指揮ラハティ交響楽団によるシベリウスの交響曲第5番、第6番、第7番の演奏会である。

この日の座席は、2.PARVI OIKEA(2nd Balcony)の最後列である5列目。もともと1stカテゴリーと2ndカテゴリーの売れ行きが良く、良席の残りが限られていたことに加え、前日とは異なり、今回は、若干遠くから全体を見渡してみたかったため、このチョイスに至った。頭上に屋根が迫り、音響が懸念されたが、音は若干遠いものの、バランスはよく、音の分離もよい。適度な残響も感じられ、頭上の屋根の存在は問題とはならなかった。音のイメージは、前日に想定したものからずれてはいなかった。このホールでは、カテゴリー分けに素直に従い、正面に位置する1stカテゴリーか2ndカテゴリーの座席を選ぶのが順当と思われる。

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プログラムの前半は、交響曲第5番。スケールの大きいグランディオーソ風の創りで、交響曲第3番や第4番とは、異なるスタンスが採られていたが、室内オケ編成のラハティ響では、響きの分厚さが出し切れず、若干物足りなさは残った。

第一楽章の冒頭は、ホルンによる深遠な響きで開始され、これに第一主題群を構成する木管楽器がいずれも伸びやかな歌で呼応する。北欧の自然が眼前に広がるようである。特に印象的であったのは、展開部において、ファゴットが第二主題に基づく半音階的楽句を呟く背後で、草原に吹く風のように、絶えず表情を変えながら、ひそひそと鳴り続ける弦楽器の刻み。ピアニシモの繊細さはもちろん、その表情の多様さは、彼らならではの技術といえるかもしれない。

前半のテンポ・モルト・モデラートは、やや慎重な運びであったが、これは後半に訪れるスケルツォ風のアレグロ・モデラートとの対比の観点からは、巧妙な選択であった。後半のアレグロ・モデラートは、快活で前向きだ。かといって勢いやパワーで押し切るわけでもない。あくまでも歌として成立する心地よいテンポ感。金管楽器の遠近法もフル活用され、惹き込まれているうちに、そのまま終結部へ。終わってみると、その卓越した構成力に改めて脱帽させられる。

第二楽章は、素朴な歌を主題とする変奏曲で、シンプルな構成だが、各変奏がどれも味わい深く、聴衆を飽きさせない。アレグレットの軽やかな音色は、自然と心が明るくなる。例によって、木管楽器の和音のベクトルが完全には揃い切らなかったのが惜しい。

続いて第三楽章。最初に登場する疾走するような弦楽器の刻みによる旋律は、切れ味がしっかりあるのに、響きも十分に伴っており、セクションとしてこういう奏法が徹底されているのは、さすがだ。ホルンによる鐘のモチーフに始まる部分も、すっきりとまとめられており、流れがよい。中程に訪れる弦楽器のトレモロ風の刻みの粒の揃い方も極めてハイレベル。コーダにおける名残惜しそうな弦楽器のニュアンスが印象的であった。

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休憩をはさみ、後半の一曲目は、交響曲第6番。結論から言えば、筆者が聴いた二日間の演奏会の中では、この第6番と、次に演奏された第7番が出色の仕上がりであった。第6番に関していえば、ラハティ響の持ち味が最も良く現れていたのではなかろうか。

第一楽章の冒頭、ヴァイオリンによるゆったりとした聖歌風の序奏主題が情感たっぷりで美しい。オーボエ、フルートの問いかけも、弦楽器の雰囲気とよくマッチしている。テンポを速めた第二主題も軽快で心地よい。展開部における弦楽器の下降音型も、素朴で純度の高い響きだ。金管セクションも遠くから登場し、適度なアクセントとなる。

第二楽章では、フルートとファゴットの冒頭主題が完璧に決まっていた。様々な楽器で執拗に繰り返される上昇音型における力の入り具合と抜け具合のバランスがまた絶妙。寂寥感に、懐かしさも伴い、情感豊かな仕上がりであった。

厳しい終結の第三楽章に続き、第四楽章の冒頭で弦楽器により奏でられるドリア旋法を基調とした旋律は、宗教的な雰囲気とともに、救済のニュアンスも伴う。この旋律におけるイントネーションは、母国語のニュアンスと直結していると思われる。ラハティ響による演奏は、単なる音符の演奏を超え、語りの域に入っていた。コーダにおける弦楽器の清らかな美しさも、筆者の心に深く刻み込まれた。

そして、二曲目の交響曲第7番は、白眉の名演。演奏者側もスイッチが入った感じで、そこには、心で奏でる音楽があった。もはや言葉で逐一説明するのもおこがましい。前作までの交響曲においてシベリウスが試してきた作風の数々、そして今回のチクルスで歩んできた演奏の全てが、一つの凝縮した世界として昇華した。シベリウスの到達した音楽の真髄を観た気がした。

カーテンコールでは、今回のマエストロの功績を称え、沸きに沸く。そんな中で、演奏されたアンコールは「フィンランディア」。様式性を保ったまっすぐな演奏。しかし、アンコールという場面ゆえの高揚感と溢れんばかりの情感で、涙が出そうになる。

演奏後は、場内総立ちのスタンディング・オベーション。たった二日間ではあったが、振り返ってみると、非常によい演奏会を経験することができたとしみじみと思う。

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終演は午後7時半。シャトルバスでヘルシンキに戻り、ガイドブックにも載っている有名レストランLappiで、サーモンとトナカイを食す。この国の食事事情を思い、正直あまり期待はしていなかったが、素朴ながらもキチンとした「料理」がなされていて、とても美味。日本人向けのサービスにも余念がなく、気持ちよくホテルに戻ることができた。

翌日の昼は、運河ルートのクルージングを楽しむ。夕刻、LH851便とLH1024便を乗り継ぎ、フランクフルト経由で、ブラッセルへ帰るはずだったが、何とまたもトラブル発生。ヘルシンキ発のフライトが機材の不調で1時間半の遅延。案の定、フランクフルトでの乗り継ぎに失敗し、エアポートホテルでの1泊を強いられた。日曜日のヘルシンキの街中は、ほとんどの店が定休日ゆえ、時間を持て余していたため、こんなことであれば、午後遅くに出発する直行便にしておけば良かったと後悔。結局、月曜日の早朝6時台に出発するLH1004便でフランクフルトを発ち、午前8時前にブリュッセルへ帰還。今回も色々あったが、欧州域内における文化と民族の違いを認識し、様々なことを考えさせられた3泊4日であった(ヘルシンキが日本人観光客だらけであったことにもちょっと驚かされた。)。


(公演情報)

Sat 10.9.2011 at 5 p.m. Sibelius Hall
Symphony No. 5
Symphony No. 6
Symphony No. 7

Okko Kamu, conductor
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[2011/09/13 06:30] | 海外視聴記(ラハティ) | トラックバック(0) | コメント(0) |
ラハティ行き(11年9月)①―シベリウス音楽祭第二日目
9月9日午前、SK590便とSK704便で、ストックホルム経由で、ヘルシンキへ。直行便であるKF802便を予約していたのだが、キャンセルになったということで、経由便への振替えを余儀なくされた。この便は、数日前にもキャンセルになっており、実際に登場してみると、KF802便の予約者は限られていたようであるから、間引きによるキャンセルである疑いが拭いきれない。

振替えの影響で、ヘルシンキ市街への到着は、2時間以上遅れた午後4時半すぎ。シャトルバスの出発まで30分もない。大急ぎで、宿泊先であるソコス・ホテル・プレジデンティーにチェックインをし、シャトルバスの出発場所へ急ぐ。午後5時、無事にシャトルバスに乗車し、ラハティへ。シベリウスホールまでは、1時間半の道のりである。

午後4時半すぎ、シベリウス音楽祭2011の会場であるシベリウスホールに到着。

20110909-01

この日は、音楽祭の第二日目。オッコ・カム指揮ラハティ交響楽団による演奏会である。交響曲第3番、ヴァイオリン協奏曲、交響曲第4番の三曲が採り上げられた。指揮を務めるオッコ・カムは、この秋よりラハティ響の首席指揮者兼音楽監督に就任。今回の音楽祭は、その就任後の初の公式行事となる。なお、前日にも演奏会があり、そこでは、交響曲第1番と第2番が採り上げられたが、スケジュールの都合で、筆者は第二日目からの参加となった。

この日の座席は、PERMANTO VASEN(平土間)の12列目の下手側。この場所であれば、個々の楽器がバラバラに聞こえることもなく、全体の音像と細かいニュアンスの双方を楽しむことが可能である。

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シベリウスホールは、ラハティ湖畔に立つ客席数1200席程度の中ホールで、その美しい外観でも定評がある。クリアな音の分離と適度な残響は、ドイツのモダンなホールと方向性を同じくするが、箱が小さいため、拡散的にならず、また木造建築ならではの温もりも感じられ、心地よい。ピアニシモのニュアンスが際立つのも特徴的だ。

オッコ・カム&ラハティ響は、想像していた以上に開放的なサウンドであった。奇抜なアイデアはないが、音楽をまっすぐと見据えた男性的なスタンスが終始一貫しており、好感が持てる。

弦楽器セクションでは、楽器をよく鳴らす運弓が徹底されているので、力技にならず、柔らかい響きが立ち上がる。フレーズの処理も非常に丁寧で、響きのまとめ方も巧い。見る限り、基本に忠実なのだが、音色に北欧風の香りが伴うのが不思議である。フォルテでは、腰の据わった比較的重心の低いサウンドも聞かせるし、後述のとおり、弱音も洗練されている。表現の幅の広さは、欧州でもトップクラスといえよう。

木管楽器は、どの楽器も伸びのある良い響きを持っていて、聴かせどころでは、キラリと光るものを感じさせる。低音における若干暗めの響きも、どこか寂しさを感じさせ、魅力的だ。

金管楽器やティンパニは、決して音を荒らげないが、遠くから出現し、そして決め所でビシっと決めるこの安定感と存在感は、他ではなかなか聴くことのできない。

全体として特に印象的だったのは、ピアニシモの創り方。シベリウスの作品では、静寂が多く訪れるが、突然声を弱め、そして語らなくなる場面への運び方に関しては、ラハティ響は随一といえるかもしれない。
オッコ・カムは、あくまでも「オーケストラを主役に」というスタンスでの立ち振る舞いであったが、今回の音楽祭では、間違いなく彼の音楽観が浸透しており、今後が楽しみなコンビである。

さて、前半の一曲目は交響曲第3番。全曲を通じて、民謡調の旋律が多いが、母国語として奏でる彼らのテンポ感やリズム感は、実に収まりがよい。

第一楽章では、伸びやかに歌う旋律と、弦楽器のストイックな刻みが、完全に揃っていることに驚かされる。合わせることに注力しすぎず、音楽の流れが自然に表現できていることが素晴らしい。金管楽器も、森の奥から聴こえてきたかと思えば、充実のサウンドでもって我々の眼前に登場し、そして、すぐにいなくなる。シベリウスが考えたと思われる舞台上での遠近法が秀逸に浮かび上がっていたのが印象的であった。木管楽器のコラールの和音が定まらない箇所が散見されたのが、ちょっと残念。

第二楽章は、低弦のピッチカートとともに奏でられる弦楽器による分散和音風の動きの繊細な響きに心を奪われる。これに続く低弦の祈りの旋律は、陽と陰がくっきりと浮かび上がる響きで、とても美しかった。この楽章も、基本的には弦楽器が細かく刻んでいるのだが、この縦の線が全くぶれない中で、個々の旋律が伸びやかかつ自然に歌い上げられていたことに感銘を受けた。

第三楽章のモデラートでは、ヴァイオリンにより延々と繰り返されるピアニシモによるオブリガートが、細い糸のように絡み合い、その繊細さにしばし浸る。アレグロの冒頭の中低弦によるコラール風の旋律も、よく楽器が響いており、シベリウスサウンドを満喫できた。クライマックスに向けて弦楽器の刻みが醸し出すスケールの大きい空間は、北欧の森の中を思わせる。

二曲目のヴァイオリン協奏曲の独奏を務めたのは、フィンランド出身のヴァイオリニスト、エリナ・ヴァハラ。「引き算」の部分をキチンと盛り込んだ清楚で端正な演奏を基調とするが、心の内に秘めるパッションは、伸びやかに歌う旋律の随所に見え隠れし、好感度は高い。喚き立てたり、弾き散らかしたりするような箇所は、一度もなかった。この曲の場合、技術の披露に終始したり、パワーで押し切ったりする演奏が多く見られるが、エリナ・ヴァハラのように、シベリウスの音楽に真摯に向かう姿勢は、現代では特に貴重だろう。細かいパッセージで音が外れる箇所がいくつか見られたが、何よりも音楽が充実していたので、個人的には気にならなかった。

ラハティ響も、「協奏」曲という言葉の意味を実感できる演奏。筆者自身、これまでに、実演も含め、何度も聴いてきた作品ではあったが、それでも、目から鱗という箇所が多数あった。音の噛み合わせが明快に浮かび上がっており、初めて認識できた音型やオーケストレーションの構造が多数あった。

第一楽章の冒頭の弦楽器による静寂は息を呑む美しさで、遠くから聴こえる素朴なクラリネットも聴衆の気持ちを盛り立てる。随所に現れる合いの手や、またオーケストラだけによる演奏部分も、適度に情感を伴った格調の高いサウンドで、バランスがよい。末尾も煽りすぎることがなく、第一楽章の終結に相応しい締めくくりであった。第二楽章では、冒頭のホルンの和音が見事な空間を創出。ヴァイオリンの歌を見事に引き出した。第三楽章は、低めの重心で切れのあるダンスで始まるが、3拍子の拍子感が感じられるとともに、土臭くならないのは、流石である。

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プログラムの後半は、交響曲第4番。曲全体が暗闇に覆われており、不安や悩みが前面に押し出される。不気味な響きも随所に現れる。しかし、突如として、喜びや勇気が訪れ、それがすぐに消えるあたりが、当時のシベリウスの心境を如実に表しているように思われる。
この日のオッコ・カム&ラハティ響は、そうした複雑な心境を、管弦楽的な観点から分析的に浮かび上がらせることで、この曲の姿を的確に表現し、そして純度の高い演奏を示していた。室内楽的サウンドが見事に描き分けられており、水彩画を見ているようであった。

第一楽章では、弦楽器のさざ波を思わせる刻みが、舞台上からふわっと立ち上がり、それに管楽器が呼応する場面は、特に印象的であった。

第二楽章も、弦楽器のリズムの彫りが深い。

そして、第三楽章。冒頭のチェロによる瞑想、そして、クライマックスにおける弦楽器のユニゾン風の旋律、いずれも心に深く訴えかける。

第四楽章は、それまでの陰鬱な雰囲気から打って変わって快活な音楽で始まるが、長続きはせず、様々な心情が交錯する。聴衆としても、流れを追いかけるのに苦労をする作品だが、オッコ・カムの的確なコントロールにより、一つひとつ納得しながら鑑賞することができた。

この日は、短いアンコールも演奏され、和やかな雰囲気で終演となった。

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終演は午後9時半。シャトルバスでヘルシンキに戻り、ホテル近くのストリートバーで、軽食を済ませ、ホテルへ。繁華街の中心に位置するため、夜中まで騒音が聞こえる。ヘルシンキのナイトライフは、相当長い模様。
ちなみに、このホテルは、4つ星の格付けだが、いわゆる大箱ホテルによく見られる接客サービスのレベルであり、また思わぬところでサービスや設備に不足や抜けがあるなど、いまいちな印象であった。値段相応ということであろうか。


(公演情報)

Fri 9.9.2011 at 7 p.m. Sibelius Hall
Symphony No. 3
Violin Concerto
Symphony No. 4

Okko Kamu, conductor
Elina Vähälä, violin
[2011/09/13 06:29] | 海外視聴記(ラハティ) | トラックバック(0) | コメント(0) |
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