ましましの音楽日記
G.ヴェルディの作品をこよなく愛するオペラ愛好家による音楽日記です。筆者が鑑賞した海外でのオペラやコンサートの模様や、筆者自身が日頃行っている音楽活動などについて、不定期に綴っていきます。
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シカゴ行き(12年6月)②―ムーティ指揮シカゴ響「ブル6」(三日目・最終日)
6月24日午前は、ウィリスタワーのスカイデッキからシカゴの全景を眺め、シカゴ美術館を早回り2時間コースで一通り見学。ベタな感じだが、モネの作品群とシャガールのステンドグラスの実物には、驚きがたくさんあった。

その後、マイケル・ジョーダンズ・ステーキハウスでアメリカンステーキの塊と格闘し、ホテルで荷物をピックアップの上、午後2時頃、シンフォニーセンターへ。前日と同じく、リッカルド・ムーティ指揮シカゴ交響楽団による今シーズンの最終公演三日目。この日が千秋楽である。日曜日のマチネのためか、ホール内は前日よりもカジュアルな雰囲気であった。

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筆者の座席は、Terrace右側1列目。各奏者の動きが手に取るように分かる。舞台上の音が分離して聴こえ、また響きの奥行きは感じられないという難点はあるものの、楽器ごとの発音のタイミングまで確認できるので、それはそれで興味深い。前日の響きを思い浮かべながら、ディテールを観察することができた。

プログラム前半は、パガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番。

チェンの独奏は、前日と比べると、舞台に近くなった分、臨場感が増し、艶のある音色として伝わってきた。しかし、この作品で求められるようなバリっとしたヴィルトゥーゾ的な要素は、この日も浮かび上がらなかった。いわゆる難所では安全運転に徹さざるを得ず、音楽的な推進力を失ってしまったのが原因と思われる。チェンはコンサートマスターゆえ、オーケストラとのアンサンブルに関しては、自然体に収まるのだが、逆に言えば、全てが予定調和的であり、独奏としての存在感が失われてしまった感もある。技術的には、前日の演奏と一進一退の仕上がりで、シンプルなこの作品を聴かせることの難しさを実感させられた。

オーケストラに関しては、前日の結果を踏まえた微調整が加わり、より安定感の高い仕上がりになっていた。テラスで聴いて初めて分かった点としては、シカゴ響の弦楽器セクションが、イタリア的な八分音符のリズム感や響きを、彼らなりのセンスに基づき、メンバー全員で共有できていること。もちろんムーティの示唆によるところも大きいだろうが、あの粒の揃い方や切れ味は、リハーサルで訓練したからといってできる水準ではない。「ポン」というまとまりのある乾いた音色が舞台の全面から適度な厚みで鳴る光景は、目が覚めるようであった。躍動感を伴いつつ、シックな落ち着きも兼ね備えた響きゆえ、ロッシーニあたりを演奏すると、すごく映えるだろう。基本的にオーケストラの自主性に委ねつつ、要所でキリっと仕立てるムーティのタクトには、巨匠の風格が漂う。

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プログラム後半は、ブルックナーの交響曲第6番。

この日は、Terraceに座ったことで、響きのバランスやディテールの創り込みなど、前日には気付かなかった側面がたくさん見えてきた。

まず、音量的なバランスであるが、前日に座ったLower Balconyでは、金管セクションは、どちらかというと控え目で、丸みのある響きに聴こえていた。しかし、実際には、舞台上では、腰の据わった重量感のあるサウンドが鳴り響いていた。そして、金管セクションの響きに負けないくらいに、弦楽器セクションもしっかりと重く鳴っている。舞台上の音は、Balconyまで立ち上がる過程で、ホールの残響に包まれて、柔らかくシックにブレンドされるのだろう。随分と聴こえ方が違うものだと感じた。もっとも、ムーティのタクトの下では、豪快な鳴りっぷりで名高いシカゴ響も、鋭角的な発音をしないため、Terraceでもゴツゴツした感じには聴こえない。録音でもこの響きの感じが再現できていると素晴らしいのだが。

また、細かいディテールの点で、ブルックナーの描いたリズムの複雑な絡み合いが、一寸の曇りもなく、絹織物のように織り込まれ、その結果として、ムーティらしい明るい色彩感が生み出されているということを、この日は再認識するに至った。響きに光沢を与えるリズム系や断片の引き立て方がまた巧い。さりげない創り込みが最高の効果をもたらしていた。

この作品の場合、特に第一楽章において4拍子系と6拍子系が行き来をするため、ブルックナーが慎重に記した楽想記号を踏まえ、念入りなテンポ設定を心掛けないと、継接ぎのような印象をもたらしやすい。筆者の知る多くの演奏は、この点で満足のいかないものが多かった。しかし、ムーティのドライブは、そういった懸念を一切抱かせないほどに全てが自然であり、時間軸の流れが完璧である。テンポの変わり目のスムーズさは前日も認識はしていたが、コンマ何秒のレベルでここまで精緻に仕上がっているとは思いもよらなかった。

しかも、そういった精緻なアンサンブルは、ムーティが物理的に合わせさせているというよりも、オーケストラの自主性により生み出されているあたりが、さらに驚愕である。じわじわと滲み出るようなアンサンブルとでも表現できようか。個々のポーションにおける動きを分析すると、ムーティは、リズムセクションの動き始めで、チラっと視線を送った後は、基本的には彼らに任せ、あえて背中を向けてしまう。そして、フレーズを奏でるセクションと見つめ合い、調性の変わり目など、要所において、さりげなくタイミングを示唆する。通常であれば、リズムセクションにもアウフタクトを送るが、ムーティは外見上はそういうアクションを起こさない。もちろん、テンポ感の齟齬が生ずる気配を感じると、腰元できっちりと叩きを示して、立て直しを図るが、ムーティは、ギリギリのところまで、あえてオーケストラの自主性に委ねてしまう。ただ、こういう様子を見て、ムーティが何もしていないと誤解してはいけない。ムーティは、眼と背中で、個々の楽員らと常に対話を繰り返している。あくまでも仲間の一人として舞台上に立つことにこだわりを持ち続けるムーティの音楽家としての基本スタンスに深い感銘を受けた。

さらに驚いたのは、個々の楽員とムーティとのアイコンタクトが笑顔にあふれていること。深刻な表情の場面の場合、音楽に陶酔し、怖い顔をする指揮者も多いが、ムーティは、そういった場面でこそ、個々の楽員と見つめ合い、笑顔で対話する。この仕草には、完全にノックアウトであった。そんなムーティが、第二楽章では、若干眼を伏せ、真剣な表情で音楽と立ち向かうので、第二楽章の音楽は、神業的な神秘性に包まれることになる。ほとんど動きのなかったムーティが、音楽的な高まりを前にして、スッと手を広げて楽員らのカンタービレを解放するや否や、舞台上からは、白鳥が羽ばたくように音楽が湧き上がり、至福の瞬間が訪れた。

書き出すとキリがないので、これくらいにとどめるが、ムーティという音楽家の凄さを目の当たりにした瞬間であった。

なお、この日はオーケストラにやや疲労が溜まっていたようで、前日と比べると、細部において落ち着きの失われかけた箇所も散見された。それゆえ、音楽的な完成度という意味では、前日の方が高かったようにも思われるが、ともあれ、シーズンの最後を飾るにはふさわしい素晴らしい演奏であったと感じた。

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終演後は、ブルーラインで、シカゴ・オヘア空港へ。順調だった初めての北米行きが崩れ始めたのは、この後であった。筆者は出張の目的地であるコロンバスへ移動すべく、シカゴ・オヘア空港に向かったが、なんとコロンバス行きのフライトのうち、この日の午後に予定されていた2便は、機材故障により欠航。筆者の搭乗予定であった午後7時40分発のUA3441便の欠航が決まったのは、午後9時半。筆者自身は、最終便の座席を何とか確保できたが、午後9時半すぎに予定されていた最終便は、機材到着の遅れにより、結局出発できたのは、午前2時。コロンバス空港のホテルにチェックインできたのは、午前4時半。機材故障については、まだ理解可能だが、キャンセルが決まった後のユナイテッド航空カスタマーサービスデスクにおける2時間待ちの状況は、さすがに我慢の限界であり、こうして筆者は、アメリカの洗礼を受けることとなった。

出張の予定を無事に終了し、6月26日夜、UA3479便にてコロンバスからシカゴに戻る。出発が30分遅れたが、もともと全く期待していないので、もはやどうでもよい。午後8時半すぎに、宿泊先であるHotel Sax Chicagoに到着し、荷物を置くとすぐに、ブルーシカゴ・オン・クラークへ行き、午後9時からのステージを鑑賞。観光客向けのパフォーマンスという色が強かったが、ともあれ、ブルース発祥の地の雰囲気を一瞬でも楽しめたのはよかった。翌朝、ブルーラインでシカゴ・オヘア空港に戻り、NH011便にて帰国。アメリカを体感した後に受ける日本のおもてなし文化は格別であり、日本人であることの誇りを感じつつ、成田に到着。帰路はビジネスクラスだったが、貧乏性の筆者にとっては、これでも十分。むしろ往路で乗ったファーストクラスは、身の丈に合っていなかったと感じた。

今回の北米出張。アメリカという広大な土地を前に、筆者としては、白旗を振る以外のことができなかった。アメリカ人の中にも、フレンドリーな人や親切な人もたくさんいるし、今回の出張中に筆者が直接関わった方々は、すごく温かかった。しかし、アメリカ社会の基本が楽観主義かつ切捨て文化なので、幻滅する瞬間があまりに多い。欧州訪問とは違った疲労感を携えつつ、帰路に就いた。ボーダーウォッチに捕まることもなく、また銃の危険を感じることもなく、無事に帰国できただけでも、筆者としては一安心という今回の出張であった。


(公演情報)

Saturday June 24, 2012 3:00 PM
Symphony Center

Chicago Symphony Orchestra
Riccardo Muti conductor
Robert Chen violin

Paganini Violin Concerto No. 1
Bruckner Symphony No. 6
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[2012/06/28 17:45] | 海外視聴記(シカゴ) | トラックバック(0) | コメント(0) |
シカゴ行き(12年6月)①―ムーティ指揮シカゴ響「ブル6」(二日目)
6月23日午前、北米出張のため、NH012便にて成田からシカゴへ。マイルアップグレードにより、初めてのファーストクラス体験。座り心地は最高である。お料理は、冷菜はハイクオリティだったが、温菜には機内食の限界を感じた。高級ワインの数々も、空の上では舌の感覚が変わるので、ちょっと勿体ない。至れり尽くせりのサービスに若干恐縮してしまった。若造には早すぎたか。

午前8時半すぎ、シカゴ・オヘア空港に着陸。初めてのアメリカ。入国審査でちょっと緊張する。シカゴ郊外は、空が開放的で、土地も雄大。ブルーラインでダウンタウンに向かい、宿泊先であるハイアット・リージェンシー・シカゴにチェックイン。午後4時すぎまで仮眠を取った。

午後5時、シカゴに留学中の友人と待ち合わせて、Exchequer Restaurant & Pubで、シカゴ名物のリブとピザを食す。お約束通り、ピザの大きさに目が点になった。アメリカン・ドリームとは、言い得て妙であり、街全体に活力が漲っているのを肌に感じずにはいられない。ダウンタウンに並ぶ意味不明な高層ビル群は、この国のある部分を象徴しているように思われる。

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午後7時半すぎ、シンフォニーセンターへ。リッカルド・ムーティ指揮シカゴ交響楽団による今シーズンの最終公演二日目。パガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番とブルックナーの交響曲第6番が採り上げられた。

今回は出張が決まったのが数日前。シカゴ響のウェブを確認すると、ちょうどこの週末に公演がある。ほとんど残席がなかったが、定期会員からのリターンチケットと思われるLower Balcony中央7列目を確保。偶然とはいえ、最高のポジションで鑑賞することができた。シンフォニーセンターは、割とデッドで、音の分離がよい。ただ、舞台上で立ち上がった音を丸く収めてくれるので、非常に落ち着きのある響きが愉しめる。録音で聴くシカゴ響の音色とは、だいぶ違う印象を受けた。

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プログラム前半は、シカゴ響のコンサートマスター、ロバート・チェンを独奏に迎え、パガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番。

この作品は、構成が弱いため、独奏者に何か強烈なアクがないと、表面的な印象にとどまってしまう。その点で、チェンの独奏は、破綻のない無難なスタイルで、小綺麗にまとめていたが、残念ながら、ヴィルトゥーゾ的な華はない。すごく真面目な演奏で、個性は感じられなかった。コンサートマスターという職責にありながら、よく弾いていたとは思うが、第三楽章中盤に登場するフラジオレットの連続する難所は壊滅しており、集中力を切らさないことが至難の業であった。

オーケストラは、当然のことながら、完全に伴奏役であるが、弦楽器を主体としたやわらかくシックな響きで、うまく流れを作っていた。響きの重心がやや低めなこと、リズム感にアメリカ的な明るさが窺えることがこのオーケストラの特徴かもしれない。単純な構造の伴奏型に爽やかな風を送り込んで、大人の音楽のテイストに仕立てるムーティはさすがである。

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プログラム後半は、ブルックナーの交響曲第6番。久しぶりに涙腺が緩んでしまった。

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この作品の場合、強奏部分をひたすら押しまくる力技の演奏も考えられるが、ムーティがシカゴ響の金管セクションのスイッチを入れたのは、第一楽章の練習番号Nのfffと、第四楽章の最後の16小節間のみ。その他は抑制の効いたハーモニーで美しくまとめており、このメリハリが劇的な効果を生み出していた。

また、弱音部が実によく研ぎ澄まされており、シカゴ響の柔らかなサウンドが十二分に活かされていたのも、この日の演奏の特徴の一つ。複雑に絡み合うパッセージが淡く美しく組み合わされ、絵巻物を鳥瞰しているかのような錯覚に陥る。断片的な旋律の数々に歌心を注ぎ込み、瑞々しく歌い上げたあたりは、キリっとしたリズム型とも相まって、ムーティ流のブルックナー解釈といえよう。とにかく全てが完成されていた。

音楽が神業の領域に達したのは、第一楽章のコーダである。パルジファルの聖金曜日の音楽にも通ずる崇高さだ。筆者の涙腺は、すでにこの段階で開いてしまった。

そしてこの日の白眉は、第二楽章。この楽章は、ブルックナーの緩徐楽章の最高傑作と筆者は認識する。ムーティは、「きわめて壮重に」という楽想記号に忠実に、かなりスローなテンポで、一歩ずつ歩むが、強い信念と優しさに満ちたその響きには、神が宿っており、現世への様々な想いと決別しつつ、残された人生を歩む巨匠の心の浄化の過程を追体験しているような錯覚に陥った。ディミニエンドを伴う小休止における神秘的な美しさの数々は、言葉では表現し難い。

第三楽章のスケルツォは、軽やかなステップと懐かしさの入り混じる愛らしい仕上がり。

第四楽章は、「動きを持って。しかし速すぎないように」という楽想記号通りの安定感のある進行。オーケストラのテンションが高いので、自然と中身の詰まった音楽が連なる。終盤でオーケストラが若干弛緩気味になったが、ムーティの巧みなアウフタクトでうまく帳尻を合わせ、最後の大団円まで到達。最終和音の後、一瞬の間があって、嵐のような拍手とブラボーがホール内から湧き上がった。

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ムーティ&シカゴ響。シンフォニー指揮者としての巨匠の完成型を実現する最高のコンビである。巨匠の背中から広がる音楽のスケールの大きさは、シンフォニーセンターという器を超越していた。進行とともに内面からじわじわと満たされてゆく精神的な充足感がたまらない。明日はどのような演奏を聴かせてくれるだろうか。今から愉しみでならない。

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(公演情報)

Saturday June 23, 2012 8:00 PM
Symphony Center

Chicago Symphony Orchestra
Riccardo Muti conductor
Robert Chen violin

Paganini Violin Concerto No. 1
Bruckner Symphony No. 6
[2012/06/28 17:41] | 海外視聴記(シカゴ) | トラックバック(0) | コメント(0) |
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