ましましの音楽日記
G.ヴェルディの作品をこよなく愛するオペラ愛好家による音楽日記です。筆者が鑑賞した海外でのオペラやコンサートの模様や、筆者自身が日頃行っている音楽活動などについて、不定期に綴っていきます。
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欧州行き(13年8月)⑪―ロッシーニ音楽祭―ゼッダ指揮「湖の女」
8月23日、午前中は砂浜の散歩と買い物をして過ごす。ペーザロに来て5日目にして、ようやくこの地らしい昼の時間を過ごすことができた。なお、ロッシーニ音楽祭最終日ということもあって、2軒ある土産物屋の在庫はかなり底を尽きかけていた。次回は、買い物だけは早めに済ませておいた方が良さそうだ。

荷物をホテルに置いた後、今回のペーザロ滞在における最後の食事の場所に選んだのは、TRATTORIA "DA SANTE"。トマトベースのショートパスタと、エビのグリルが、いずれも美味しすぎた。リモンチェッロで締めくくり、大満足の昼食であった。これがこの後の禍になるのだが。

ホテルに戻り、しばし休息。そして目覚めると、外が暗い。なんと時間は午後8時。完全に寝坊である。大慌てでテアトロ・ロッシーニに走る。やはり昼の酒食は控えなければならない。

午後8時半前、テアトロ・ロッシーニへ。アルベルト・ゼッダ指揮ボローニャ市立劇場管弦楽団・合唱団による「湖の女(湖上の美人)」(演奏会形式)。ロッシーニ音楽祭2013を締め括る演奏会である。なお、この演奏会は、ポポロ広場の特設野外スクリーンでも中継されていた。

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第一曲「序曲と導入曲」では、まだ身体が温まっていないような感もあったが、第二曲の後半「エーレナとウベルトの二重唱」から徐々に体温が上がり、よいムードが流れ始めた。

第三曲の「マルコムのカヴァティーナ」で、アマルが圧倒的な存在感を示すと、劇場内の緊張感は一気に高まり、ロッシーニ以外の第三者に作曲が委ねられた第四曲の「ドゥグラスのアリア」も、熱気を保ったままスムーズに進行。第五曲「エーレナとマルコムの小二重唱」では、歌手とオーケストラを柔軟に操るゼッダの魔法のようなタクトに目が釘付けになった。

このまま順調に進むかと思いきや、第六曲「ロドリーゴのカヴァティーナ」に入ると雲行きが怪しくなり、最初はキレのあったスパイレスの歌唱にも陰りが窺われるようになった。何が起きたのかと不安になった矢先、突如、ゼッダの体調不良で、曲が中断。劇場内は、マエストロの容体を心配する声に包まれた。

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小一時間の休止の後、無事に演奏は再開された。舞台に戻ったゼッダは、再び元気な姿で指揮台に立ち、集まった聴衆を安心させた。

音楽的に最も充実していたのは、第七曲「第一幕フィナーレ」。このナンバーは、ロッシーニの天才的な構成力が発揮された傑作であるが、登場人物らの間で繰り広げられる内面的葛藤、力強さと安定感を兼ね備えた堂々とした行進、吟遊詩人たちの歌う讃歌の清らかな美しさなど、ゼッダは各場面の色合いを多彩な響きで明快かつ十分に引き出すことに成功していた。アンサンブルオペラの醍醐味が存分に味わえる演奏で、この部分が聴けただけでも満足といえる中身の濃いものであった。

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再び15分間の休憩を挟み、第二幕が開演。

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二回の休憩を経るという異例の展開ゆえ、オーケストラは、集中力を維持することに難儀していた模様。第一幕フィナーレと比べると、やや精彩さを欠く場面も散見され、縦の線がばらける瞬間も見られた。もっとも、音色の美しさが最後まで健在であったのは救いであった。

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第八曲「ウベルトのカヴァティーナ」では、コルチャックが輝かしい美声で劇場内を魅了。第九曲「三重唱」では、ゼッダのタクトに気合いと熱気が帯び、触発されたオーケストラからも躍動感にあふれるサウンドが湧き上がった。キャスト陣も充実の歌唱で各役柄のキャラクターを演じ切っていたといえる。ロッシーニらしいアンサンブルのパワーに開眼させられた。

第十曲「マルコムのアリア」は、アマルが再び存在感を示す。後半のアレグロへの転換時に見られたゼッダによるテンポの機敏な引き締め具合と、それにはまったアマルの歌唱が相乗効果となって活気づき、劇場内は大喝采となった。

第十一曲「小カンツォーネ」で、第一幕冒頭のエーレナの歌が回帰されると、いよいよ劇は最終場面へと進行する。演奏会形式であるにもかかわらず、パッと舞台が開けたかのように、場の空気がガラッと変わったのには、衝撃を覚えた。第十二曲「合唱」を経て、第十三曲「エーレナのロンド=フィナーレ」は、充実のエンディングロール。感動的な幕切れとなった。

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カーテンコールは、マエストロを筆頭とする出演者全員に対する温かい賛辞に包まれた。街中がロッシーニの音楽に酔いしれる中、今年のロッシーニ音楽祭は閉幕となった。

今回、ゼッダの指揮する演奏に触れ、ロッシーニらしさ一端を初めて実感できたように思う。少なくともゼッダの指揮する演奏を日本で聴いた際には、ここまでのインパクトは感じられなかった。ロッシーニの音楽には、アドリア海に通ずる気持ちのよい青空と、ペーザロの街に受け継がれる家庭的な温かさが宿っている。音色は軽快かつ上品であり、しかも余韻に温もりが伴わなければならない。ヴェルディのようなストイックさとは、だいぶ違ったところにある。この感触がつかめただけでも、今回のペーザロ詣でには価値があったといえよう。

翌朝は、ゆっくりと起床し、身支度を整え、午前10時半にホテルをチェックアウト。タクシーで駅に向かい、午前11時16分発のIntercity606にてボローニャ中央駅を目指す。一等車は子供連れが大騒ぎをしており、全く気が休まらない。午後1時にボローニャ中央駅に到着し、連絡バスにて空港へ。手荷物ルールの変更の壁に阻まれ、荷物の分割に工面するも、何とか無事にチェックインを果たし、LH285便にてフランクフルトへ。セネターラウンジで3時間半をすごし、NH210便にて帰国の途につく。ANAの機内に入ると、CAから「おかえりなさい」と声を掛けてもらえ、心が休まる。機内では何もやる気力が起きず、ビジネスクラス最前列の閉鎖空間内で、ぐっすりと休息をとった。


(公演情報)

23 agosto, ore 20.30
Teatro Rossini

LA DONNA DEL LAGO
Melodramma in due atti di Andrea Leone Tottola
Esecuzione in forma di concerto

Direttore ALBERTO ZEDDA

Interpreti
Giacomo V DMITRY KORCHAK
Duglas SIMONE ALBERGHINI
Rodrigo MICHAEL SPYRES
Elena CARMEN ROMEU
Malcom CHIARA AMARÙ
Albina MARIANGELA SICILIA
Serano ALESSANDRO LUCIANO

ORCHESTRA E CORO DEL TEATRO COMUNALE DI BOLOGNA
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[2013/09/01 12:59] | 海外視聴記(ペーザロ) | トラックバック(0) | コメント(0) |
欧州行き(13年8月)⑩―ロッシーニ音楽祭―「アルジェのイタリア女」(その2)
8月22日、午前中はホテルの部屋で残務処理を行い、昼過ぎから海辺を散歩する。旅行の疲れと胃腸の不調により、何もする気が起きない。リベルタ広場のベンチで1時間半ほど日光浴をし、ホテルに戻る。

午後7時前、テアトロ・ロッシーニへ。3日前に観た「アルジェのイタリア女」をもう一度観る。

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筆者の座席は、前日と同じく最前列中央。この距離で耳にするボローニャ市立劇場管の音色は、さらに綺麗で美しい。惚れ惚れしてしまうほどだ。

ダヴィデ・リヴァーモアによる今回の新演出の醜さは、前回の観劇を経て織り込み済みであり、ホセ・ラモン・エンシナール指揮が今一歩であることも分かっていたので、この日は、舞台上の歌手の細かい表情と、そして眼の前に陣取るボローニャ市立劇場管の奏法の観察に意識を集中させた。

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さすがに5回目の上演となると、キャスト陣には若干の疲れが見え隠れする。前日にリサイタルを行っているリンドーロ役のシー・イージェの声は、3日前の公演及び前日のリサイタルと比べると、特に第一幕において輝きに衰えが見られたように感じた。もっとも、第二幕では調子を上げ、第九曲「リンドーロのカヴァティーナ」は見事に決めてきた。なお、この点は彼の歌唱全般に共通するが、もう少しイタリア語らしく聴こえるようになると、鬼に金棒といえるであろう。発音の明快さはアジア人に共通する課題である。

他方で、今回、至近距離で観て、唸らされたのは、イザベッラ役のアンナ・ゴリャチョワ。やや暗めの声質ながら、表現の幅は多彩で、メリハリがコンパクトに効いている。前回はボックス席で聴いたため、声量不足に由来する弱さを感じたが、この日は特に不満を感じなかった。抜群のコントロールにより、モチーフの数々を繊細かつ丁寧に表現し、まとめあげていた。身体を張った演技も冴えており、暴走するムスタファと双璧をなす存在感を示していた。

4回目の上演と変わらず、体当たりの歌唱と演技で気を吐いていたのは、ムスタファ役のアレックス・エスポジト。この人のエネルギーには、恐れ入った。衰えを全く感じさせないし、演出上の都合で演技が荒れても、歌唱にブレが生じない。第一幕からのハイテンションを第二幕に向けてさらに高める気合いの入り様は、まさにブラボーである。今回の上演の成功は、エスポジトの圧倒的な牽引力に因るところが大きい。

アンサンブルに関しては、疲労の蓄積が災いして、例えば、第七曲「第一幕フィナーレ」の早口言葉は、前回の観劇時以上に崩壊しかけていたものの、むしろ最終公演ということで、出演者らの気迫と集中力は並々ならぬ水準にまで高まっており、想いの滲み出てくる上演になったと感じた。

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オーケストラピット内の面々も、実に楽しそうに演奏しており、演出はさておき、ロッシーニの描いた世界の素晴らしさに共感できた一夜となった。

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カーテンコールでは、リンドーロ役のシー・イージェ、イザベッラ役のゴリャチョワ、ムスタファ役のエスポジトに爆発的な拍手が送られ、非常に盛り上がった。なお、指揮者のエンシナールに対するブーイングは、天井桟敷から前回以上に激しく盛大に浴びせられていた。筆者が思うには、何もそこまでひどい仕打ちをしてやらなくてもよいのではないかとも感じたが。

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終演後は、前日と同じく、テアトロ・ロッシーニ近くのレストラン、Felici e Contentiのテラス席で、マルケ州の重めの赤ワインとともに、前菜盛り合わせとロッシーニピザを食す。しばらくすると、出演者メンバーも続々と店にやってきた。出演者と観客が、終演後に同じレストランで並んで食事をするという光景が当たり前に見られるのは、このペーザロの良さの一つである。


(公演情報)

22 agosto, ore 20.00
Teatro Rossini

L'ITALIANA IN ALGERI
Dramma giocoso per musica in due atti di Angelo Anelli
Nuova produzione

Direttore JOSÉ RAMÓN ENCINAR
Regia DAVIDE LIVERMORE

Interpreti
Mustafà ALEX ESPOSITO
Elvira MARIANGELA SICILIA
Zulma RAFFAELLA LUPINACCI
Haly DAVIDE LUCIANO
Lindoro YIJIE SHI
Isabella ANNA GORYACHOVA
Taddeo MARIO CASSI
ORCHESTRA E CORO DEL TEATRO COMUNALE DI BOLOGNA
[2013/09/01 12:43] | 海外視聴記(ペーザロ) | トラックバック(0) | コメント(0) |
欧州行き(13年8月)⑨―ロッシーニ音楽祭―「なりゆき泥棒」
8月21日午後7時すぎ、テアトロ・ロッシーニへ。1987年制作の「なりゆき泥棒」の再演である。このマニアックな演目の上演を任されたのは、中国の女流指揮者、リン・イーシェン。

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筆者の座席は、前日に同じく最前列中央。この日の上演に関しては、残念ながら、第一曲「序曲と導入曲」から、音楽的な違和感でいっぱいになった。

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問題の所在は、リン・イーシェンの指揮に求められると思われる。全曲を暗譜で振る意気込み、そして細かいニュアンスを一つひとつ棒で示そうとする丁寧な姿勢は、日本の音楽大学であれば評価されるであろう。勉強を重ねていることは感じられるし、やりたいことも分かる。しかし、出てくる音楽は、生気を失っており、およそロッシーニらしくない。

バトンテクニック的には、曲の冒頭からテンポを伝えきれていない点が最大の問題といえる。曲が始まっても、オーケストラピットや舞台上には、様々な「迷い」が渦巻いているのが手に取るように分かり、数小節を経過してようやくテンポが落ち着くという場面が散見される。また、押し付けるような打点がオーケストラの音を下向きに誘導し、厚い雲に覆われたかのような音色になっていたのも望ましくない。力が入りすぎなのではなかろうか。さらに、フレーズの末尾でセンチメンタルになりすぎて、テンポ感を喪失するのも、他の作品であればともかく、ロッシーニにはふさわしくない。音楽が止まってしまい、聴いている方も息が詰まりそうになる。全てを細かく振ろうとすると、こういう悪循環が生まれてしまうのであろう。

昨年の記憶では、このオーケストラは、ここまで下手ではなかったと思うが、tuttiの和音の音程があからさまに乱れたり、死んだ魚の目のような艶のない響きを発したりしていたのは、指揮者のタクトに起因していたと疑わざるを得ない。ヴァイオリン奏者の視点から見ても、あんな風に振られたら、ああいう音の出し方になってしまうだろうと納得がゆく。イタリアものは、こねくり回さず、シンプルにスパッと指揮した方が良い結果が生まれるはずである。それにしても、指揮者の力量がここまで如実に音に表れるというのは、恐ろしい話だ。他の歌劇場であれば、もう少し取り繕ってくれるであろうし、バレないで何とかなってしまうものである。反面教師的な観点から、非常に勉強になった。

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他方、キャスト陣は、粒ぞろいであった。指揮の未熟さから、前半は、躍動感がなく、惨憺たる状況にあったが、実力のある歌手陣が揃っていたことから、後半は、むしろ歌手のテンポで音楽が進行を始め、オーケストラも自然とそちらに吸い寄せられていった。その結果、指揮者が余計な手出しをする余地が少なくなり、舞台に活気が生まれてきたため、舞台という観点からは、それなりに愉しむことはできた。

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演出に関しては、古典的ではあるが、安心感があって良かった。マルティーノが客席から登場したり、オーケストラピット内に飛び込んだり、奇抜な動きはあったが、嫌味がないので、素直に受け入れられる。舞台美術上は、旅籠の一室とエウゼービオの家に関し、外壁や家具類の絵を垂れ幕に描くという手法で表現していたが、陳腐に見せないあたりは、熟練の技と言えようか。垂れ幕の活用は、吊りとの効率的な組み合わせにより、スムーズな場面転換の実現にも寄与していた。

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終演後は、テアトロ・ロッシーニ近くのレストラン、Felici e Contentiへ。店内は、終演後の観客で溢れていたが、室内の1席を無事に確保できた。このレストランは、店員の愛想が良く、居心地がよい。注文した魚介のリゾットは、今回の旅行の中で1、2を争う美味しさであった。こうして、一日の最後にようやく満足度を高めることができ、気分よく帰路につく。翌日夜のディナーの予約をして、ホテルに戻った。


(公演情報)

21 agosto, ore 20.00
Teatro Rossini

L'OCCASIONE FA IL LADRO
Burletta per musica in un atto di Luigi Prividali
Produzione 1987, riallestimento

Direttore YI-CHEN LIN
Regia, scene e costumi JEAN-PIERRE PONNELLE
Ripresa della regia SONJA FRISELL

Interpreti
Don Eusebio GIORGIO MISSERI
Berenice ELENA TSALLAGOVA
Conte Alberto ENEA SCALA
Don Parmenione ROBERTO DE CANDIA
Ernestina VIKTORIA YAROVAYA
Martino PAOLO BORDOGNA
ORCHESTRA SINFONICA G. ROSSINI
[2013/09/01 12:29] | 海外視聴記(ペーザロ) | トラックバック(0) | コメント(0) |
欧州行き(13年8月)⑧―ロッシーニ音楽祭―シー・イージェ・ベルカントコンサート
8月21日、この日も午前中はホテルの室内でみっちり仕事。半ば諦めの境地。

午後1時頃、昨年も訪れたレストラン、Il Cantuccio di Leoで昼食を。お店の方に顔を覚えられていた。マルケ州の赤ワインに満足。

午後5時前、アウディ トリウム・ペドロッティ(ロッシーニ音楽院ホール)へ。

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シー・イージェによるベルカントコンサート。採り上げられたのは、ロッシーニ、モーツァルト、グノー、チレア、レハール、ドニゼッティの歌曲やアリア。多彩な顔ぶれが並んだ。

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筆者の座席は、最前列中央。視界を遮るものは何もなく、シー・イージェの若々しい声を十分に堪能することができた。

シー・イージェは日本の東邦音楽大学で学んだ後、オーストリアで研鑽を積み、2008年にコンクールで優勝してからは、欧州の檜舞台で活躍を続けており、日本にもしばしば来日し、演奏会に出演。ロッシーニ音楽祭には、2008年の「ランスへの旅」でデビューして以来、2012年を除き、毎年出演を果たしている。

クリアに伸びる高音、そして、端正で完璧なテクニックと音程の正しさは、歌唱の安定を支え、どの作品を聴くにあたっても安心できるという絶大な信頼感をもたらしている。表現面でも、彼の歌唱からは、知性の高さとともに、内面に宿る力強さが感じられる。加えて、立ち振る舞いの中に、お育ちのよさと日本流の腰の低さも伴い、舞台マナーの観点からも好印象。

この日は、そんな彼のオールマイティぶりが如何なく発揮されていたといえる。イタリア、オーストリア、フランスと、時代も国も異なる作品の数々を、的確に歌い分け、一つのコンサートとしてまとめあげる力量は、たいしたものである。

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正味1時間。休憩なしの盛りだくさんの内容に、集まった聴衆は大いに盛り上がった。

終演後は、夜公演までの間、近くの書店や土産物屋で時間を潰す。

(公演情報)

21 agosto, ore 17:00
Auditorium Pedrotti

Concerti di Belcanto

Yijie Shi
Hana Lee, pianoforte

Gioachino Rossini (‘La promessa’ dalle Soirées musicales; l’Aria ‘Que les destins prospères’ del Comte Ory; l’Aria di Ramiro ‘Sì, ritrovarla io giuro’ dalla Cenerentola)
Wolfgang Amadeus Mozart (l'Aria di Tamino 'Dies Bildnis ist bezaubernd schoen' dal Flauto magico e l'Aria di Ferrando 'Un'aura amorosa' dal Così fan tutte)
Charles Gounod (la Cavatina ‘Salut! demeure chaste et pure’ del Faust)
Francesco Cilea ('E' la solita storia del pastore' dall'Arlesiana)
Franz Lehár (l’Aria di Sou-Chong ‘Dein ist mein ganzes Herz…’ dal Das Land des Lächelns)
Gaetano Donizetti (l’Aria di Fernando ‘Spirto gentil’ da La Favorita).
[2013/09/01 12:21] | 海外視聴記(ペーザロ) | トラックバック(0) | コメント(0) |
欧州行き(13年8月)⑦―ロッシーニ音楽祭―「ギヨーム・テル」
8月20日、午前中はホテルの室内でみっちり仕事。休暇といっても名ばかりで、この地に無事に来られただけでも感謝しなければならない。

午後1時半頃、雨の降りしきる中、昨年も訪れたレストラン、TRATTORIA "DA SANTE"に早足で向かい、魚介のタリアテッレやフリットを食す。地元の陽気な食堂の雰囲気は健在であり、なかなか満足のゆくランチタイムを過ごせた。

午後5時前に、シャトルバスにてアドリアティック・アレーナへ。ミケーレ・マリオッティ指揮による「ギヨーム・テル(ウィリアム・テル)」。ファン・ディエゴ・フローレス出演で話題になっていた新演出の演目で、この日は4回目の上演にあたる。

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ROF事務局から筆者に割り当てられた座席は、1列目中央。アドリアティック・アレーナは、音響が良いわけではないので、中央よりのなるべく舞台に近い場所の方が望ましい。最前列のど真ん中というのは、最上のポジションである。ちなみに、この日以降も、最前列中央の座席が続くが、アミーチ会員発売初日の早朝に申込みを送付したのが功を奏したようだ。

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非常に有名な序曲は、静寂なカンタービレと快活なテンポ感が適度に演出され、オペラの始まる期待感を高めるには十分な演奏であった。ボローニャ市立劇場管の醸し出すカンタービレは、上品で美しい。残念だったのは、ハウリング風の高音の金属音が終始鳴り続けていたこと。序曲終了後、客席後列から「うるさい。音を止めろ」といった趣旨の声がかかり、これに同調する者と、その男性を制止しようとする者との間で、一糸触発の論争が繰り広げられるも、音が止まないので、マリオッティは諦めてタクトを振り始める。この殺伐とした空気は、ロッシーニ音楽祭らしくて愉しい。なお、金属音は、第一幕の途中で止み、それほど甚大な影響はもたらさずに済んだ。

第一曲「導入曲」に入ると、オーケストラは、序曲とは異なり、ふくよかな音色で情景を描く。この変化は、なかなか見物であった。アレーナの奥から聴こえてくるアルペン・ホルンの距離感が想像をかきたてた。

ところで、今回のグラハム・ヴィックによる新演出は、近代の戦時下における支配者の被支配者に対する様々な暴力を直視するもので、不合理な隷属関係や、パワハラやセクハラの実態を暴くもの。作品に刻印された影の部分に光を当てることで、現代社会に対して問題提起をしようというものと理解でき、筋の通った説得的かつ意義のある演出と考えるが、聴衆の受け止め方は多様であったようだ。ともあれ、第一幕冒頭から、軍隊に監視される中で、民衆が必死に床を磨くという設定で、平和な香りのする音楽とのギャップが異様な緊張感を醸し出していたことは確かだ。

今回の演出の特徴がより鮮明に表れてきたのは、第五曲のダンス・シーン。3組の新郎新婦による6人のダンスではあるが、バレエというよりも、モダン・ダンス風の振り付けにより、圧政者に踏みにじられる民衆の姿が象徴的に提示され、聴衆の反応は微妙になる。

第六曲の合唱は、ジェミが弓の競技で高得点を上げるという場面ゆえ、明るく盛り上がるが、続く第七曲「第一幕フィナーレ」では、今回の演出のコンセプトが前面に登場し始める。父メルクタールが逮捕された後に、見守る民衆の前で、兵士たちが集団リンチを加える場面は、あまりに生々しく、目を覆いたくなるほど。音楽的には完成度が高く、高揚感も抜群であったが、演出の過激さに言葉を失った聴衆は、素直に賛辞を贈ることができない状況にあった。

一回目の休憩を挟み、第二幕の開演。

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第一幕の仕上がりがよかったためか、第二幕ではやや緊張感が緩んでしまった。アルノール役のフローレスの歌唱が入って、何とか全体が立て直され、音楽が先に繋がったのが救いであったが、特にアリア的な曲想の箇所において、マリオッティとマティルデ役のマリーナ・レベッカとの相性はいまいちと見受けられた。

第十一曲「三重唱」は、ドラマに進行があるので、勢いに乗れるが、第十二曲「第二幕フィナーレ」は、どこかチグハグである。舞台上に置かれた合計12頭の実物大の馬の置物が次々と横倒しにされ、集まった愛国者たちの掲げる旗を立てるための台として流用されていたが、滑稽さと意味不明さを拭えない。また、音楽的には、スイスの三つの州から男たちが山を越えて歩んできて合流するという感動的な場面であるものの、マリオッティの設定したテンポは、仲間たちが一つに結集する感動を伝えるには、あまりにあっさりとしていて、物足りなさを残した。

二回目の休憩を挟み、舞台は最大の見物である第三幕へと進む。

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第十三曲「セーヌとマティルデのエール」は、レベッカとフローレスの絡みが微妙で、印象は薄かったが、その後は過激な演出と相まって音楽的な緊張感も高まり、完成度の高い上演となった。

今回の演出の最大の問題作は、長大なダンス・シーンである。第十四曲「行進曲と合唱」、第十五曲「パ・ド・トワとティロル人の合唱」、第十六曲「パ・ド・ソルダ」では、舞踏会の場を主催するオーストリア軍兵士ら(支配者)によるスイスの民衆ら(被支配者)に対する肉体的あるいは性的な暴力の数々が繰り広げられ、優雅な音楽と舞台上の演技とのギャップは、恐ろしいほどの緊張感を生み出していた。この場面終了後の場内からは、盛大なブーイングが飛んでいたが、多少のブラボーもあり、殺伐とした空気に包まれた。ただ、筆者の目線からは、この演出は的を射ていると思われる。支配者側にある兵士らが踊る姿を優美に描くだけでは、この場面に共存する支配者側と被支配者側との対立構造が浮かび上がらない。また、ここまで徹底的に暴力を表現することにより、次の場面で、ゲスレルの命令により、テルがジェミの頭に置いたリンゴに矢を放つことの理不尽さが印象付けられ、内面的な葛藤を鮮烈に描くとともに、この作品の有する現代的な価値、さらには、現代社会の抱える多様な矛盾点を浮かび上がらせるのではないかと思う。この日の上演では、舞台上の役者らの体を張った迫真の演技、そして、オーケストラによる渾身の演奏により、圧倒的な高揚が生み出されており、筆者自身は周りの眼を恐れつつも、心の中で静かにブラボーを送っていた。

そして迎えた第十七曲「第三幕フィナーレ」は、オペラ的な観点からは、稀有の盛り上がりが実現したといえる。ジェミ役のアマンダ・フォーサイスの子役としての力強さに導かれ、テル役のニコラ・アライモの歌唱に火が付き、感動的なクライマックスが構築された。ゲスレル役のルカ・ティットートが、聴衆から嫌われることを承知で、悪役らしい見事な表情を演じてみせたのもポイントが高い。

引き続き上演された第四幕は、予想に違わず、アルノール役のフローレスが第十八曲を力強く歌い上げ、聴衆の喝采をさらった。

第十九曲「第四幕フィナーレ」は、エドヴィージュ役のヴェロニカ・シメオーニが母性愛に満ちた素敵な歌唱をみせると、マティルデ役のレベッカからもより自由度の高い伸びやかな表現が聴けるようになり、幕切れを迎える準備が整った。最後に、全員で「自由よ、天から降り来たれ」と唱和する中、ジェミが天に向かって階段を昇ってゆくシーンには、思わず胸が熱くなった。

この日の上演は、第二幕で若干の緩みがあったものの、ヴィックの提示した問題演出とマリオッティの意図した音楽が高い次元で結びつき合い、総合的にみて、オペラ上演としての充実度と完成度が高かったといえる。奇抜な表現や解釈も、回数を重ねるうちに、演奏者側にしっかりと練りこまれ、安定感が生まれてきていたように思われる。

コンサートマスターを筆頭に、ボローニャ市立劇場管の気合いの入り様は、相当なものであり、この上演にかける意気込みの高さが窺われた。合唱の充実度も申し分ない。ボローニャ市立劇場のオーケストラと合唱団は、響きの純度とクオリティが高く、粒揃いであるので、本当に巧いと思う。

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マリオッティの指揮も、細部の音色にまでこだわった創り込みで、この作品のロマンティックな側面を弾きだしつつ、熱いタクトで舞台を牽引し、今回の上演で任された大役を十分に果たすとともに、余りあるだけの実力と存在感を示していた。ただ、振り返ると、マリオッティが今回引き出した音楽は、ロッシーニというよりは、むしろ初期のヴェルディに近く、もう一歩成熟が欲しいようにも思われる。ロッシーニの音楽の場合、どこか家庭的で、明るく温かい色彩を纏っていた方が、オーケストレーションとの関係で、しっくりくるのではなかろうか。

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キャスト陣の中では、やはりアルノール役のフローレスの存在感が頭一つ抜けていた。フローレスが歌うと、歌の呼吸からアウフタクトが感じ取れるので、オーケストラは自然に寄り添えるし、音楽の進むべき方向も明快に分かる。テル役のアライモは、第三幕に照準を合わせた歌い込みで満足できる仕上がりであったし、ジェミ役のシメオーニが凛とした姿で役柄を演じ切り、舞台全体を引き締めていた。マティルデ役のレベッカも、この難役を手堅くまとめあげていたといえる。このように、歌手のバランスが最上級レベルで揃うと、ロッシーニの歌劇に潜在するパワーが存分に開花し、本来の魅力に迫ることが可能になる。これだけ高水準の上演は、全世界を探しても、ペーザロ以外では実現できないと断言できるであろう。

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終演は午後11時半。シャトルバスで市内に戻り、この日の出演者が集うレストラン、Pizzeria Restaurant Donn'Amaliaへ。打ち上げの風景を横目で観察しつつ、パスタを食して早々にホテルに引き揚げた。

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(公演情報)

20 agosto, ore 18.00
Adriatic Arena

GUILLAUME TELL
Opéra en quatre actes di Étienne de Jouy e Hippolyte Bis
Nuova coproduzione con la Fondazione Teatro Regio di Torino

Direttore MICHELE MARIOTTI
Regia GRAHAM VICK

Interpreti
Guillaume Tell NICOLA ALAIMO
Arnold Melchtal JUAN DIEGO FLÓREZ
Walter Furst SIMON ORFILA
Melchtal SIMONE ALBERGHINI
Jemmy AMANDA FORSYTHE
Gesler LUCA TITTOTO
Rodolphe ALESSANDRO LUCIANO
Ruodi, Pêcheur CELSO ALBELO
Leuthold / Un Chasseur WOJTEK GIERLACH
Mathilde MARINA REBEKA
Hedwige VERONICA SIMEONI
ORCHESTRA E CORO DEL TEATRO COMUNALE DI BOLOGNA
[2013/08/31 23:58] | 海外視聴記(ペーザロ) | トラックバック(0) | コメント(0) |
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