ましましの音楽日記
G.ヴェルディの作品をこよなく愛するオペラ愛好家による音楽日記です。筆者が鑑賞した海外でのオペラやコンサートの模様や、筆者自身が日頃行っている音楽活動などについて、不定期に綴っていきます。
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欧州行き(12年3月)⑥―ティーレマン指揮ベルリンフィル「悲愴」
3月11日午後7時すぎ、フィルハーモニーへ。クリスティアン・ティーレマン指揮ベルリンフィルによる定期演奏会。ドビュッシーの「夜想曲」、メシアンの歌曲集「ミのための詩」、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」が採り上げられた。この日は、普段以上に観光客が多く、客席がなかなか落ち着かなかった。

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筆者の座席は、Bブロック6列目中央。実質的には4列目に相当し、過去の経験上、フィルハーモニーの中で最も音響の良い場所と認識している。ただ、この日は、弱音を基調に据えた音創りが徹底されていたため、舞台との間にやや距離感があったのは事実だ。

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プログラム前半一曲目は、ドビュッシーの「夜想曲」。この作品は、「雲」「祭」「シレーヌ」の三曲からなる。「雲」は、空の雲のゆっくり流れて消えてゆく様子を描写したもので、弱音器を伴う弦楽器がディヴィジにより細分化され、管楽器とともに淡い情景を描き出す、「祭」は、祭の盛り上がりと祭の後の静けさを描く、そして、「シレーヌ」では、ヴォカリーズ風の女声合唱が加わり、月の光を映してきらめく波とギリシャ神話等に登場する生き物であるシレーヌの神秘的な歌声が表現される、はずであった。
しかし、ティーレマンとベルリンフィルが表現したのは、そんな抒情的な情景では全くなかった。弱音を基調とし、まるで精密機械を組み立てるかのように、音のグラフィクス上で、一つひとつのパッセージを、極めて正確に落とし込んでいった。個々の部品が極限まで磨き込まれ、その接合に寸分の狂いもない。蚊の鳴くような小さい音量にもかかわらず、楽器の響きが健在なのは、彼らにしかできない芸当である。また、完全なる静寂の中で測られる部品間のバランスやその組み合わせも、驚異的な水準であった。音量が上がっても、オーディオのようにデジタルにダイナミクスが変化する。
フランス的な色気や洒落っ気からは無縁。音楽の流れや風景描写といった観念は完全に無視。そこに存在したのは、ミクロの世界の作り込みに命を懸けるドイツ職人芸であった。ワクワク感はゼロで、音楽的に全く面白味はないが、何かを狙っているのは確かであった(後述するとおり、プログラム前半は、プログラム後半に向けての壮大な前座であった。)。

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プログラム前半二曲目は、メシアンの歌曲集「ミのための詩」。ジェーン・アーチボルドが独唱を務めた。プログラムでは、全9曲が演奏される予定であったが、終演が遅くなりすぎるとの理由で、この日は、前半4曲のみが演奏された。時代が現代に進んだため、サウンドにモダンな刺激が混ざるが、基本スタンスは、前半一曲目のドビュッシーと同じ。そもそも作品の雰囲気が似ている上、メシアンがドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」に決定的な影響を受けたということも考え合わせると、演奏としての筋は一応は通っていた。

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休憩をはさみ、プログラム後半は、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。ここへ来て、プログラム前半の意図がようやく分かった。前半の二曲は、言ってしまえば、後半のためのリハーサル(試運転)で、オーケストラの精度を確認するとともに、聴衆の耳をも研ぎ澄ますための前座であった。
おそらく事前練習では、前半の二曲と同じく、オタク級のこだわりの下、細部まで徹底的に仕込みがなされたのだろう。精密機械の組立ては、後半も続いた。しかし、チャイコフスキーは、そこで止まらなかった。各旋律に内在するポテンシャルにより、推進力が自然融解的に発生し、音楽が脈々と流れ始めたのである。ティーレマンは、その兆候を察知するや否や、怒涛のごとくオーケストラを煽り、そして、一気に手綱を解放。これにより、ベルリンフィルが爆発した。精巧な構造物が巨大な化け物への変化した瞬間だ。
ffのサウンドは、見通しがよく、響きが濁ることはない。畳み掛けるように加わってくる動機の数々が、巨大な歯車となってガッチリと噛み合い、巨大な建造物の骨格をより強靭なものへと高めていた。これと対照的に、劇的なクライマックスを迎える第一楽章のアレグロ・ヴィーヴォや第四楽章の大詰めでは、痛烈な悲鳴が大きなうねりとなって襲ってきた。
他方、通常であれば、mfで弾き散らかされてしまう旋律の数々は、あえて音量を抑え、デリケートかつしなやかに歌われる。それに呼応し、伴奏パートの音量も極限まで絞り込まれているのが超人的。鳥肌が立つ瞬間の連続であった。
全体としては、いわゆるロシア風とは無縁。ワーグナーのようなチャイコフスキー。宇宙人の仕業としか思えなかった。「オーケストラって、こんなことまで出来るか」というのが筆者の率直な感想である。それでも、外面的にならず、内容が詰まっていたのは、ドイツ流の骨太さゆえであろうか。一般の聴衆にとっては「?」の連続であったと思われるが、オーケストラに携わる者にとって、この日の演奏会は、「事件」であった。

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カーテンコールは、異様な盛り上がり。その熱狂は、楽員らの退場後も収まらず、ティーレマンが再び舞台に呼び戻された。なお、この日は、午前中にフィルハーモニーで演奏をした早稲田大学交響楽団の学生と思われる集団がバックステージの客席を埋めた。ドイツの名立たる会場で自主演奏会を催し、加えて、こんな強烈な演奏会にも立ち会えるとは、何とも贅沢な話である。

終演後は、いつものようにリンデンブロイで、白ソーセージをあてにビールを2杯。ホテルに戻り、翌朝は午前3時半に起床。ベルリン中央駅からICE373でフランクフルトへ。Sバーンに乗り継ぎ、フランクフルト空港へ向かい、NH204便にて羽田への途につく。出張よりも忙しい今回の自主研修を無事に終了し、そのまま職場に戻った。

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(公演情報)

Sun 11. March 2012 8 pm
Philharmonie

Berliner Philharmoniker
Christian Thielemann Conductor
Jane Archibald Soprano
RIAS Kammerchor
Hans-Christoph Rademann Chorus Master

Claude Debussy / Nocturnes
Olivier Messiaen / Poèmes pour Mi
Pyotr Ilyich Tchaikovsky / Symphony No. 6 in B minor »Pathétique«
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[2012/03/13 22:06] | 海外視聴記(ベルリン) | トラックバック(0) | コメント(0) |
欧州行き(12年3月)⑤―ヴァイグレ指揮ベルリンコンツェルトハウス管「新世界より」
3月11日午後3時半すぎ、再びコンツェルトハウスへ。セバスティアン・ヴァイグレ指揮によるコンツェルトハウス管弦楽団による演奏会。ワーグナーの「リエンツィ」序曲、ゾンマーの歌曲、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」が採り上げられた。会場内は、このオーケストラを愛するベルリン市民を中心に、客席の8割程度が埋まっていた。

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コンツェルトハウス管の楽器配置は特殊だ。対抗配置に驚きはないが、舞台中央にコントラバスを横一列に並べ、ホルンを上手側の中央付近に配置しつつ、トランペットとトロンボーンと打楽器を下手側の奥に押し込むという不思議な配置である。明らかに下手側に偏っているが、このホールの特性を考えた場合、この配置がベストということなのであろう。実際に飛んでくる音色を聴き、納得が出来た。

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コンツェルトハウス管を聴くのは、今回が初めて。オーケストラとしての響きの重心は、やや低めで、渋めの響きとくすんだ音色がこのホールの音響にマッチしている。奏法は、いわば美しい楷書体で、音の立ち上がりの輪郭はクリア。フレーズ末尾の処理は繊細であり、早めに減衰するホールの余韻に委ねることで、フレーズをうまくまとめていた。弦楽器セクションのBowingの素晴らしさは、このホールに鍛えられたからであろうか。管楽器も弦楽器も、個々の技量という意味では、万全とはいえない(しかし、かなり高水準にはある)が、響きの創り方に関しては、特にハイレベルなセンスを兼ね備えていることが窺われた。そして、後述するとおり、このオーケストラは、変態集団でもあった。

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筆者の座席は、1.Rang正面の1列目。午前中に平土間席で聴いた響きが1.Rang正面でどのように聴こえるかが関心事であった。

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プログラム前半一曲目は、ワーグナーの「リエンツィ」序曲。金管楽器の堂々とした鳴りっぷりが印象的であった。ホルンセクションからは、横一列に並ぶコントラバスと呼応して立ち上がった音が、より力強さを増し、ドイツらしいホルンの響きとなって客席に届いてきた。この充実感は、筆者がこれまでに体感した中では、暫定一位である。また、下手側の奥に押し込まれた金管・打楽器セクションからは、シューボックスの壁を最大限に活用した重く厚い響きが飛んできた。オーケストラ全体としては、冒頭からノリノリで、フレッシュな雰囲気を醸し出していたが、上滑りしないのはさすが。隅から隅までドイツ的であり、腰の据わったテンポ感やリズム感は、実に見事であった。

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プログラム前半二曲目は、ゾンマーの歌曲。エリザベート・クルマンが独唱を務めた。この作品に関しては、インターネット上にほとんど情報がなく、事前の予習は諦めざるを得なかった。作品としては、聴きやすい響きだが、地味な印象。オーケストレーションが室内楽的であり、この日は編成を絞って演奏されたため、このホールの響き方を知るにはよかったが、それ以上のものではなかった。なお、コンツェルトハウスは、歌手には優しくないホールかもしれない。舞台上で立ち上がる響きの中に独唱が取り込まれて埋没してしまうため、歌声が前に抜けてこないのである。同じシューボックス型でも、ホールによって全然変わってくるのが興味深い。

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休憩をはさみ、プログラム後半は、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。前述のとおり、この曲では、オーケストラの変態ぶりが如何なく発揮された。オーケストラの鳴り方は、とっても「ドイツ」な印象。骨太であり、腰の据わったテンポ感やリズム感は、さらに凄みを増した。フレーズのまとめ方も巧いが、それ以上に感心させられたのは、対旋律や伴奏型における音の押し出しの強さである。各奏者が最後のひと踏ん張りまできちんと仕事をするので、管弦楽の造形がより力強く浮かび上がる。他方で、管楽器を中心とした独奏(特に、クラリネット)がくすんだ響きと自由な歌回しにより良い味を出しすぎていて、かなり面白かった。ホルンソロの巧さも際立っていた。妥協のないドイツ人魂が脈々と流れているように感じられた。
なお、ヴァイグレの指揮は、テンポ感、ニュアンスの両面において、作為的かつ妙なもので、スコアを思い浮かべても、腑に落ちることはほとんどなかった。特に、第一楽章は、序奏から主部まで、常にちぐはぐな印象であった。もっとも、第二楽章以降は、実は、指揮者だけでなく、オーケストラも変態であることが分かったので、壮大なネタの宝庫として鑑賞する方向に切り替えたため、筆者個人としては、愉しむことができた。なお、第二楽章では、冒頭のイングリッシュ・ホルンの質素な歌い方、中間部の木管楽器の伸びやかさ、その後に現れる弦楽器の抑圧された響きなどが顕著だったが、この点は、ホールの淡い響きを活かした判断で、印象的であった。

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ベルリンというと、最初に思い浮かぶのは、ベルリンフィルだが、コンツェルトハウス管には、ホールと一体化した魅力がある。ホールが楽器とは、こういうことをいうのだろう。また、ドイツ人気質が色濃く残っており、オーケストラに携わる人には、是非とも現地で聴いてほしいオーケストラの一つといえる。日下紗矢子が第一コンサートマスターとして活躍しているという意味でも、日本人として応援したくなる。

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終演後は、まっすぐホテルに戻り、シャワーを浴び、夜の公演に備える。


(公演情報)

Gesänge vom anderen Ufer

Sonntag, 11.03.12
16.00 Uhr | Großer Saal
Konzerthaus berlin

Konzerthausorchester Berlin
Sebastian Weigle
Elisabeth Kulman Mezzosopran

Richard Wagner / Ouvertüre zur Oper "Rienzi"
Hans Sommer / "Sapphos Gesänge" - Sechs Gesänge nach Texten von Carmen Sylva für Mezzosopran und Orchester op. 6
Antonín Dvorák / Sinfonie Nr. 9 e-Moll op. 95 ("Aus der Neuen Welt")
[2012/03/13 22:01] | 海外視聴記(ベルリン) | トラックバック(0) | コメント(0) |
欧州行き(12年3月)④―ブラームス「弦楽六重奏曲」
3月11日午前10時すぎ、コンツェルトハウスへ。1981年生まれの女流チェリストのソル・ガベッタとコンツェルトハウス管メンバーらにより、ブラームスの弦楽六重奏曲第一番及び第二番が演奏された。

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筆者の座席は、平土間7列目上手側。午後には、同じ会場の1.Rang中央の座席を確保済みである。異なる座席で聴き比べることにより、音響の良さで知られるこのホールの特性をつかむのが今回の課題だ。

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初めて体感したコンツェルトハウスの響きは、シックで落ち着いた印象。音の立ち上がりは、適度な余韻により、艶やかさを伴うが、思ったよりも響きの減衰が早く、それゆえ、響きが混濁しない。ホール内の空間が広めであることがプラスに働いているのだろう。もっとも、アムステルダムのコンセルトヘボウよりもこじんまりとしているので、響きが拡散することもない。実によく出来たホールである。シューボックス型のホールの中では、世界一なのではなかろうか。

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しかし、このホール特有の怖さもある。正しいBowingで弾いている限りは、非常に伸びやかな響きで応えてくれる。控えめなビブラートが効果的であり、ピッチカートも、正しく弾けば、響きがガラス玉のようにキュッとまとまるのも魅力的である。しかし、演奏者側に力みや乱れが少しでも加わると、途端に音色が潰れてしまう。迫力のある摩擦音は、哀しいくらいに埋もれてしまう。弦楽器奏者の実力が如実に表れるリトマス試験紙のようなホールだと感じた。

この日のメンバーは、基本的には、このホールの特性をよく理解しており、特に、第一ヴァイオリンのミヒャエル・エルクスレーベンと第一チェロのソル・ガベッタが控え目ながらも伸びのある響きを創り出すことに成功していた。ただ、いずれのメンバーも、熱くなると、音が荒れてしまっていたのが残念であった。

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なお、演奏の方だが、今回のために臨時に編成されたチームであるためか、最初から最後まで、寄せ集め的な印象が拭えなかった。プログラム前半の第一番は、曲の性格上、若々しさが前面に出てくるため、このホールの良い意味でマイナスな面が多く露呈してしまっていた。プログラム後半の第二番では、響きに多少の落ち着きが生まれ、特に、第一楽章提示部と第四楽章冒頭は、シックな空気の中に淡い響きがふわっと広がり、はっとさせられる瞬間が多く見受けられた。しかし、楽譜が複雑化すると、前半と同様の問題が再発してしまい、音楽的な完成度は高くはなかった。もう少し誤魔化しが可能なホールで演奏していれば、若々しい熱演として好意的に受け止めることができたであろう。

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ともあれ、今回のチームは、このホールの特性をつかむにあたっては、いろいろな意味で良い素材を提供してくれた。なお、このホールでは、吊りマイクが舞台上の天井付近に集中的に備え付けられていた。舞台上の響きが天井に向けてそのまま上昇し、そして天井から客席へと降り注ぐのであろう。そのことを考えると、このホールでは、正面席の方が音響が良さそうだ。

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終演後は、広場の隅にあるDom Curryで、カリーブルストを。その後、ハッケシャー・ホーフのカフェで昼食を摂りつつ、時間を潰す。日曜日の午後にこういう贅沢な時間の使い方ができるのは幸せなことだと感じた。


(公演情報)

Brahms zu sechst

Sonntag, 11.03.12
11.00 Uhr | Großer Saal
Konzerthaus berlin

Michael Erxleben Violine
Teresa Kammerer Violine
Ferenc Gábor Viola
Justin Caulley Viola
Sol Gabetta Violoncello
Stefan Giglberger Violoncello

Johannes Brahms / Streichsextett B-Dur op. 18
Johannes Brahms / Streichsextett G-Dur op. 36
[2012/03/13 21:52] | 海外視聴記(ベルリン) | トラックバック(0) | コメント(0) |
欧州行き(12年3月)③―バレンボイム指揮ベルリン国立歌劇場「トリスタンとイゾルデ」
3月10日午前8時すぎ、ホテルをチェックアウトし、リヨン・サン=テグジュペリ空港へ。LX531便にてチューリッヒ空港へ、そしてLX966便に乗り継ぎベルリン・テーゲル空港へ。若干の遅れがあったため、冷や冷やしたが、午後3時すぎに無事に宿泊先であるマイニガーホテルベルリンハウプツバーンホフにチェックイン。荷物を部屋に入れ、その足でシラー劇場へ向かう。ベルリン中央駅前のホテルを確保して正解であった。

午後4時前にシラー劇場に到着。この日の演目は、ダニエル・バレンボイム指揮ベルリン国立歌劇場によるワーグナー「トリスタンとイゾルデ」。現代最高の「トリスタンとイゾルデ」として名高いこのコンビによる上演は、今シーズンはこの日が初日である。ウンター・デン・リンデンの歌劇場が2010年6月から3年間にわたり改修中のため、仮小屋であるシラー劇場にて上演を行っている。シラー劇場は、もともと演劇用の劇場で、900席ほどのこじんまりとした空間だが、ベルリン国立歌劇場は、そのハンディをものともせず、ワーグナーやその他の現代作品など、大がかりな演目の新演出ないし再演の数々を舞台に乗せ、快進撃を続けている。

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筆者の確保した座席は、Parkett rechts 7列目中央付近。年初の帰国直後から激務が続く中、現実逃避気味に各劇場のウェブを眺めていた際に、最後の一席が残っているのを発見し、思わず衝動買いしてしまったのが、今回の旅程の引き金となった。

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シラー劇場の音響は、響きがないといっても過言ではないくらいにデッドである。残響のない古い公会堂で聴いているような感じだ。オーケストラピットは、かなり深めにセットされ、客席との間の壁は、オーケストラに被さるような形状。いろいろと工夫が施されてはいるが、聴こえてくるサウンドは、スタジオで聴いているような生音。しかし、その結果として、オーケストラが実際に発しているサウンドに直に触れることができたため、筆者個人としては、大変勉強になった。

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ベルリン国立歌劇場管は、重心が低く、中身がぎっしりと詰まったドイツの伝統的な響きを継承する数少ないオーケストラの一つだが、そもそも個々の楽器の鳴り方自体が肉厚であり、巨大なうねりを伴っていることがよくわかった。楽器ごとの発音のタイミングの微妙な違いも納得である。残響の多いホールでは埋もれてしまう細かい動機の数々も明確に聴き取ることができた。さすがである。

さて、演奏の方だが、肉食系ワーグナーの王道を行くものであった。オーケストラは、ワーグナーの大管弦楽の醍醐味を躊躇なく豪快に表現するので、圧倒的。足し算を基調としており、オーケストラピット内からは容赦ない轟音が襲いかかる。声がかき消されるのは歌手のせいだ、とでも言わんがばかりの鳴らしっぷり。この日のキャスト陣でさえ、オーケストラが歌唱を超える瞬間が何度もあったのだから、明らかに鳴らしすぎである。それでも上演が成り立ってしまうのは、バレンボイム体制のベルリン国立歌劇場だからであろうか。

無論、単に音が大きいのではない。ダイナミクスレンジが極限まで広げられ、逆に、最弱音は耳を澄まさないと聴こえないほど。また、動機の色分けも明快であった。「憧れの動機」や「愛の動機」等は粘着的かつ官能的に、「愛の死の動機」や「嘆きの動機」等は深い呼吸で、そして「航海の動機」やその他のリズミカルな断片的動機はクリアなタッチでというように、ピアニストでもあるバレンボイムの感性が随所に光っていた。「心の動揺の動機」が畳み掛けてくる箇所や、「死の動機」を金管楽器が吠える箇所は、尋常ではなかった。

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キャスト陣は、トリスタン役のイアン・ストレイ、イゾルデ役のイレーネ・テオリン、マルケ王役のルネ・パーペのみならず、ブランゲーネ役のエカテリーナ・グバノヴァ、クルヴェナル役のマルティン・ガントナーも含め、実に充実していた。通常公演、しかも再演で、これだけの水準を打ち出せるのは、驚異的である。トリスタン役のストレイは、第一幕と第二幕では、見せ場以外で守りに徹しすぎる傾向にあったが、第三幕はエンジン全開で、何かに憑かれたような異常さに心を打たれた。クルヴェナル役のガントナーの美声との相乗効果により、白熱の第三幕は、とりわけ感動的であった。イゾルデ役のテオリン(もともとはワルトラウト・マイヤーが予定されていた。テオリンは、どこかで見たと思ったら、昨年の新国立劇場の「トリスタンとイゾルデ」に出演していた。)は、冒頭から圧倒的な声量で存在感を示すが、全体を通じてパワーで押し切った感もあり、日本人の感覚からすると、もう少しデリカシーないし陰影に富んだ表現が欲しかった(当初の予定通り、マイヤーが出演していれば、印象もだいぶ変わったであろう。)。もっとも、カーテンコールはすごい盛り上がりぶりで、ドイツ人的には、これでよいのかもしれない。なお、第二幕は、煮え切らないトリスタンと一本槍なイゾルデが並行線で、緊張感がやや薄かったが、幕切れでマルケ王役のパーペが観客全員の期待をさらい、終わりよければ全て良しといった感じであった。考えてみれば、マルケ王役は、登場シーンが少ないにもかかわらず、第二幕と第三幕のクライマックスを飾るため、ある意味でおいしい役どころである。

クプファーの演出は、よく知られているように、中央に舞台セットを一つ置く以外には何もないが、実演で見ると、この置物の中に多彩な表情が織り込まれていることが体感でき、いわゆる現代の省エネ舞台とは一線を画す素晴らしいプランであることが手に取るようにわかった。それにしても、シラー劇場という非常に限られた空間の中で、ここまでの舞台に仕上げるベルリン国立歌劇場の舞台スタッフの実力は、相当なものである。

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なお、全体的に、観客のマナーも良かった。第三幕の幕が下りても、数秒間にわたり沈黙が保たれたのには、大変感銘を受けた。そして、カーテンコールでは、客席全体から怒涛のごとくブラボーが湧き上がった。そこには、ワーグナーに熱狂するドイツ人の姿があった。日本だと、自己顕示欲の強い一部のワグネリアンらが騒ぎ出し、こういう雰囲気にはならないだろう。

終演後は、ブランデンブルク門前のレストラン、テオドール・トゥーハーにて夕食を摂る。落ち着いた雰囲気ゆえ、個人的にはお気に入りの場所である。

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(公演情報)

Tristan and Isolde
Richard Wagner

Sa 10 Mar 2012 | 16.00 h
Staatsoper im Schiller Theater

Conductor : Daniel Barenboim
Director : Harry Kupfer

Tristan : Ian Storey
King Marke : René Pape
Isolde : Iréne Theorin
Kurwenal : Martin Gantner
Melot : Reiner Goldberg
Brangäne : Ekaterina Gubanova
A shepherd | Voice of a young sailor : Florian Hoffmann
A steersman : Arttu Kataja
[2012/03/13 21:47] | 海外視聴記(ベルリン) | トラックバック(0) | コメント(2) |
ベルリン行き(11年12月)②―鈴木指揮ベルリンドイツ響―バッハ&モーツァルト
12月18日午前、Sバーンにてオラエニンブルグへ。ザクセンハウゼン強制収容所の跡地を見学した。この収容所は、1936年に建てられ、1945年までに10万人以上のユダヤ人が犠牲になった。ミュージアムには、生々しい過去が留められている。人間として一度は足を踏み入れておくべき場所といえよう。戦争の記憶を後世に伝えようとする彼らの努力には、見習うべきところが多いと思われる。

夕方、ツォー駅前のクリスマスマーケットを散策。こちらは、遊園地のような雰囲気だ。遅めの昼食を済ませ、いったんホテルに戻る。

午後7時頃、フィルハーモニーへ。鈴木雅明指揮ベルリン・ドイツ交響楽団による定期演奏会。バッハの管弦楽組曲第1番及びカンタータBWV63、並びにモーツァルトの大ミサ曲が採り上げられた。鈴木は、ここベルリンでも、バッハ演奏の権威としてその名が轟いている。日本人として悦ばしい限りである。

筆者の座席は、Bブロック6列目中央。6列目といっても、前2列は両端のみなので、実質的には4列目に相当する。前日の予想通り、この座席では、Aブロックの上空を通過した音の塊がそのまま届いてくる。フィルハーモニーの中で最も音響の良い場所といえるだろう。今年5月にBブロック7列目の端の方で聴いたときは、音がだいぶ遠く感じられたので、このホールの場合は、絶対に中央よりの座席を選ぶべきである。

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プログラム前半一曲目は、バッハの管弦楽組曲第1番。

鈴木流のアーティキュレーションが徹底されており、ディテールまで丹念に創り込まれている。全てが計算され尽くされており、音符の一つひとつに息吹が吹き込まれていた。
キビキビとしたリズム感や、柔和かつ流暢な語り口が、バランスよく織り込まれているのも秀逸。各舞曲の面白さが見事に浮かび上がる。声部の分離が非常に明晰であったのにも驚かされた。
手垢が洗い流され、瑞々しい素肌が戻ってきたかのような新鮮な響きが楽しめた。

演奏後は、弦楽器と同じく細かいパッセージの連続を強いられるオーボエとファゴットの奮闘ぶりに、熱い拍手が贈られた。

プログラム前半二曲目は、バッハのカンタータBWV63「キリストの徒よ、この日を掘り刻め」。バッハがワイマールの宮廷楽師長に任命された1714年のクリスマスに演奏された曲で、冒頭と最後に祝祭的な合唱曲が置かれ、その間に内省的な5曲のレチタティーボないしアリアが配されている。

この日は、祝祭的な合唱曲については、目の覚めるような華やかな響きで聴き応えがあったが、中間に位置するレチタティーボないしアリアは、独唱陣の出来が芳しくなく、かなり残念な印象だった。
テノールのロター・オディニウスは、声の伸び、表現の幅ともに、上々であったが、ソプラノのシモナ・シャトゥロヴァーは、どこか声に引っ掛かりがあり、キレがない(調子が悪かったのかもしれない。)。アルトのアネッテ・マルケルトは、顔の表情は多彩だが、声は暗くて単調。細かい動きがモゴモゴし、眠くなる。バスのドミニク・ヴェルナーは、体格の割りに響きが薄く、母音のふくよかさが届いてこない。
耳を澄ますと、オーケストラに関しては、精緻に構築されていることに気付かされた。しかし、曲の構成上、主体は独唱で、オーケストラは伴奏にすぎないため、独唱が潰れると全てが台無しになる。
バッハのカンタータを聴くには、ホールが大きすぎたのだろうか。
ともあれ、バッハの難しさを改めて痛感させられたプログラムであった。

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休憩を挟み、プログラム後半は、モーツァルトの大ミサ曲ハ短調K.427。楽器の編成もやや大きくなった。

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第一曲キリエは、神妙な趣きで音楽が進行。テンポ感といい、響きの重さの加減といい、この時期のモーツァルトの理想的な展開である。無論、従前の演奏スタイルの追認ではなく、アーティキュレーションの洗い直しがなされているため、響きの純度は高く、そして新鮮である。バッハではやや大味な印象であったRIAS室内合唱団も、大ミサ曲では、むしろその響きがプラスに働き、適度なボリューム感で音楽の流れを支えていた。

第二曲グローリアは、七つの部分からなるが、一つ目の「いと高きところでは」は、フーガがガッチリと組み合わさり、見事な仕上がり。勢いに任せて破綻しがちな曲だが、鈴木はしっかりと手綱を締め、リズムの弛緩を防ぐ。指揮者としての力量も相当なものだと感じた。
他方、二つ目の「われら主をたたえ」は、ヴェロニク・ジャンスによる独唱だが、これは頂けなかった。16分音符のパッセージが団子状になってしまい、オーケストラの好サポートをぶち壊し。
三つ目の「主の光栄の大いなるがために」で、腰の据わった弦楽器と、トロンボーンに支えられた合唱が、荘厳な響きを創出するも、四つ目の「主なる天主」では、シャトゥロヴァーとジャンスの二重唱がチグハグで、全然噛みあわない。前者は必死で守りに徹しているような歌い方、後者は尖ったアクセントと団子状の16分音符、聞くに堪えなかった。
五つ目の「世の罪を除き給う」は、この日の一番の聴き処。厳格な付点のリズムに導かれ、二部合唱とトロンボーンを軸にした管楽器の響きが溶け合い、堂々としたラルゴの曲想の中に、深い感情が注ぎ込まれた名演であった。
六つ目の「そは主イエス・キリスト」は、相変わらず独唱が冴えなかったので、印象は乏しいが、七つ目の「イエス・キリスト」は、一つ目と同様、合唱とオーケストラによるフーガの完成度が素晴らしく、感銘を受けた。

第三曲クレドは、二つの部分からなるが、一つ目の「われは唯一の天主を信ず」は、シンプルにまとめられ、また、二つ目の「人体をうけて人となり」では、シャトゥロヴァーが、弱い線ながらも、何とか無難に歌い上げ、無事に通過。

第四曲サンクトゥス、第五曲ペネディクトゥスの重唱部分を卒なく終え、最後は合唱が入り大いに盛り上がって曲が閉じられた。

カーテンコールでは、合唱に対する拍手がとりわけ盛大であった。独唱陣に対する拍手は芳しくなかったが、オーケストラの各セクションに対しては温かい拍手が贈られた。フィルハーモニーの聴衆は耳が肥えている。

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ベルリン・ドイツ響は、今回初めて実演に接したが、とても真面目なオーケストラで、一つひとつの演奏会に真摯かつ一生懸命に取り組んでいる様子が好印象であった。もちろん、一流オーケストラの素質は十分に兼ね備えていて、その技術水準は、他のドイツの主要オーケストラと肩を並べるレベルにある。在京オーケストラは、音楽的あるいは技術的な安定性の点で、大きく水をあけられているといわざるを得ない。ベルリンのクラシック音楽層の厚さを実感した。

なお、上述のとおり、この日の演奏会では、独唱陣の完成度の低さがベルリン・ドイツ響及びRIAS室内合唱団の献身的な努力を無に帰した箇所があまりにも多かった。彼らの演奏が非常に良かっただけに、独唱陣の低迷が非常に心残りである。

20111218-05

日曜日の夜は、繁華街といえども、人は少ない。終演後は、そのままホテルに戻り、部屋でビールを飲み、就寝。
翌朝は、午前8時50分発のSN2580便にてブリュッセルへ。この日は、珍しく全てが時間通りに進んだ。正午前に職場に到着し、仕事をこなす。


(公演情報)

Sun 18. December 2011 8 pm
Philharmonie

Deutsches Symphonie-Orchester Berlin
Masaaki Suzuki Conductor

Simona Šaturová Soprano
Véronique Gens Soprano
Annette Markert Contralto
Lothar Odinius Tenor
Dominik Wörner Bass

RIAS Kammerchor
Hans-Christoph Rademann Chorus Master

Johann Sebastian Bach
Orchestral Suite No. 1 in C major BWV 1066
Christen, ätzet diesen Tag

Wolfgang Amadeus Mozart
Mass in C minor K. 427
[2011/12/20 07:58] | 海外視聴記(ベルリン) | トラックバック(0) | コメント(0) |
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