ましましの音楽日記
G.ヴェルディの作品をこよなく愛するオペラ愛好家による音楽日記です。筆者が鑑賞した海外でのオペラやコンサートの模様や、筆者自身が日頃行っている音楽活動などについて、不定期に綴っていきます。
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ケルン行き(11年8月)②―バレンボイム指揮ウェスト・イースタン・ディヴァン管
8月28日午前、ドイツ国鉄でケルンからボンへ。所要時間は約30分。
ボン中央駅に降り立ち、ミュンスター広場のベートーヴェン像を拝んだ後、ベートーヴェンハウスへ向かう。希少価値の高い展示品が並んでいて、ザルツブルクのモーツァルトハウスよりも充実度は高かった。

正午すぎにケルンに戻り、クラウディウス・テルメというライン岸辺のスパ温泉に行ってみた。温泉施設ということだが、実際はサウナとプールが中心で、日本人が想定する温泉からは程遠い。混浴であることにも驚かされる。文化の違いをまざまざと実感。また、サウナに入っているうちに、眼鏡のレンズに傷がついてしまい、意気消沈。海外生活は、眼の前に立ちはだかる様々な障壁との闘いの連続である。

午後7時すぎ、昨夜に引き続き、フィルハーモニーへ。この日の演目は、ダニエル・バレンボイム指揮ウェスト・イースタン・ディヴァン・オーケストラによるベートーヴェン・チクルスの最終日。交響曲第9番のみの一曲プロである。

この日の座席は、正面中央の20列目。ステージの全体が見渡せる良いポジションだ。

20110828-01

全体を通じ、伝統的なドイツ系の「第九」の王道を行く演奏であった。基本的な方向性は、昨日と同じだが、交響曲第7番や第8番と比べると、目新しい仕掛けはあまり見られず、オーソドックスな解釈であったと思われる。

さて、実際の演奏の方だが、昨日と比べると、管楽器や弦楽器のハーモニーの和声感がより感じられ、アンサンブルの精度も上がっていた。

第一楽章に関しては、冒頭の1stヴァイオリンとチェロによる五度の下降形において、切り口が完全には揃わず、滲んでしまった点、また、チェロが大きなブレスで歌い上げている際に、1stヴァイオリンの16分音符によるスタッカートの音型が先走ってしまった点、バレンボイムが手綱を締めてテンポを前へ進めようとした際に、オーケストラ内に微妙な時差が生じた点を除けば、無難な仕上がり。音楽的には、16分音符を基調としたタイムフレームで、一瞬の隙もなく、密度の濃い響きで埋め尽くされており、よく練られていたが、オーケストラ全体としてのベクトルがもう少し揃うと、より求心力と緊張感のある演奏になったと思われる。

音楽的に最も充実していたのは、第二楽章。この楽章は、ルーティンワークに陥りがちで、フレーズの処理やアクセントがおざなりになりやすいのだが、この日は、冒頭のフォルティシモからよく鳴っていたし、スコアに描かれた様々なニュアンスやメリハリをしっかりと表現できており、旋律の移り変わりがよく浮かび上がっていた。イレギュラーに挿入されるアクセントやスフォルツァンドの数々を、無骨に全てこなせていたのは、驚きである。途中に置かれた3拍子風の旋律で、意図して舞曲風な軽快さを表現するなど、心憎い演出もあった。ダカーポ前の弦楽器のハーモニーの美しさは、特筆に値する。

オーケストラは、おそらく第二楽章で波に乗れたのだろう。続く第三楽章は、音楽という枠を超え、祈りの世界となった。
1stヴァイオリンによる第一主題の提示部分における弦楽器の響きの瑞々しさは、彼らならではの純度の高い響きだ。木管セクションも歌心満載の伸び伸びとした響きでこれに呼応する。続く2ndヴァイオリンとヴィオラによる第二主題は、意外にも、静寂の中で淡々と語る口調による表現で、これがまた心にじーんと響く。
全体を通じ、初々しい明るい響きで、かつ、折り目正しい節度のある展開なのだが、各々のメンバーの想いと歌心がたくさん詰まっていて、味わいのある世界が生み出されていた。

そして第四楽章。低弦による歓喜の歌の提示では、ピアニシモが極限まで追求されており、聴衆の心がグッと舞台上に集まる。ヴァイオリンが入るとテンポを速め、続くテュッティでは開放的で前向きな賛歌へと変わった。
独唱部分を経て、合唱が参加すると、ホールは豊かな響きで包まれる。バレンボイムによる合唱のコントロールは実に見事だ。
テノールの独唱、男声合唱を伴う軍隊行進曲を経て、オーケストラのみによるフーガに入っても、オーケストラは落ち着いていた。この部分は、余裕のない団体の場合、舞台上は、さながら戦場のようになってしまう。この日の演奏では、適度なバウンド感やアタックがあり、盛り上がりは十分だったが、荒れ狂うことはなく、次に控える歓喜の大合唱へのブリッジとしての役割を見事に果たしていた。
そして迎えた大合唱は、異様なまでに前向きであった。ここでの高揚は、特にこの楽章の後半で描かれる様々な苦悩や後悔との対比において、重要である。
バストロンボーンと低弦に導かれて始まる"Seid umschlungen, Millionen!"も、叫び声にならず、堂々としたもの。
木管楽器とヴィオラとチェロのアンサンブルに始まる"Ihr, stürzt nieder"の一節は、ことのほか美しい。あまり目立たないが、トロンボーンが神々しい格調高い響きで、全体を支えていた。この部分の末尾の女声合唱は、高音をピアニシモでキープしなければならず、難所の一つに数えられているが、響きが濁ることなく、安定感があった。
二重フーガも余裕のある立体的な表現。バレンボイムによる音量のバランスのコントロールは、完璧である。
Allegro ma non tanto以下も安定した進行で、クライマックスに向け、期待が高まる。この辺りから最後にかけては、合唱にとっては、体力的にキツイ箇所であるため、フォルテ一本調子になりがちだが、この日は、フレーズ感があり、起伏も伴っていたのは、秀逸であった。
最後も、爆演系に陥ることなく、聴き応えのある仕上がり。
全体を通じて、とても説得力のある秀逸な演奏であった。

オーケストラは、技術的には万全とはいえないが、特にこの日は、チクルスの最終日ということもあり、個々のメンバーが心の底から音楽を愉しんでいる姿が手に取るようにわかり、プロオーケストラでは味わえない感動を呼び起こした。

合唱は、Vokalensemble Kölner Domが受け持ったが、これがまた上手かった。歌劇場の合唱団とは違い、響きがポリフォニックであるため、ベートーヴェンが描いた合唱の和声進行が見事にはまって聞こえる。これは、筆者にとって、初めての経験だった。

他方、独唱陣は、オーケストラや合唱の放っていたテンションの高さとは裏腹に、かなり醒めた感じ。声はよく通っていたが、感情が乗ってこない。バスのヴォルフガング・コッホによる冒頭のレチタティーヴォは、声を張り上げた棒読み的歌唱で、冒頭で低弦が築き上げた朗々とした威厳のあるレチタティーヴォにはそぐわなかった(そういえば、この人は、先日のザルツブルク音楽祭「影のない女」でも、こんな感じの歌い方であった。)。テノールのペーター・ザイフェルトは、一本調子で、表現に幅がない。ソプラノのアンナ・サムイルとメゾソプラノのヴァルトラウト・マイアーは、特に印象なし(もっとも、第九の場合、ソプラノやアルトは、若干控え目なくらいが丁度よいともいえる。)。聴くたびに思うが、第九の独唱は、ハズレが多い。独唱陣がアンバランスなケース、声だけに頼り内容を伴わないケース、逆に、表情を付けすぎて失敗するケースなど、失敗事例は山のようにある。筆者の経験上、変なストレスを感じずに安心して聴けたことは、あまりない。この日も、スター歌手を集めたキャスティングゆえ、大ハズレとはいえない(純粋に「声」という観点からは、聴き応えはあった。)が、内容的な詰めが甘く、もう少し作品を研究した上でステージに登場して欲しかった。

なお、この日はテレビ収録がなされており、そのカメラマン達の動きが舞台上の雰囲気を壊す場面が何度か見られた。こういう風景は、日本とあまり変わらない。残念な限りである。

カーテンコールは、またもやスタンディングオベーション。今回のチクルスでは、毎回恒例の儀式になっていたのかもしれないが、筆者の印象としては、この日の演奏は、正にそれに値する出来であった。バレンボイムは、独唱陣のカーテンコールはさっさと終わらせ、その後、オーケストラのメンバー一人ひとりと握手をして歩く。カーテンコールは20分以上続き、会場は和やかな雰囲気に包まれた。

20110828-02

今回の感想としては、次の二点。

第一に思ったのは、ベートーヴェンの後期交響曲の深さ。二晩でベートーヴェンの後期の交響曲3曲を続けて聴いたが、こうして並べて聴いてみると、それぞれの曲の個性が浮かび上がって興味深い。交響曲第7番もよく出来た作品ではあるのだが、どちらかというと中期の延長ともいえ、音楽的な完成度という観点からは、交響曲第8番の方がより勝っているように思えた。そして、音楽という次元を超えたパワーを持ち合わせているのが交響曲第9番。ここに至っては、小細工は無用であり、正面から素直に真摯に楽譜と向き合うことのみが求められている気がした。

第二に思ったのは、バレンボイムのマエストロとしての実力。彼は、ここぞというところに向けたお膳立てが非常に上手い。テンポの運びや、出すべきアウフタクトの選球眼が、卓越しているのだ。前に聴いたスカラ座来日公演「アイーダ」は、疑問符の連続であったが、この人が振るドイツものは、間違いないと思った。オペラも含め、是非ともライブで体感しておきたいマエストロの一人といえる。

終演後は、ペータース・ブラウハウスにて、Rheinischer Soorbrodeを。テーブルを同じくした老夫婦と交わした会話において、「今日の演奏はとてもよかった。なぜなら、最後がアグレッシブにならず、ディリジェントであったからだ。」と語っていたのが印象的であった。ドイツ人にとってのベートーヴェンとは、そういうものなのかもしれない。

翌朝、午前6時44分発のタリスで、ブリュッセルへ戻る。色々あったが、充実した週末であった。


(公演情報)

28.08.2011 Sonntag 20:00 Uhr
Kölner Philharmonie

Anna Samuil Sopran
Waltraud Meier Mezzosopran
Peter Seiffert Tenor
Wolfgang Koch Bass

Vokalensemble Kölner Dom
Eberhard Metternich Einstudierung

West-Eastern Divan Orchestra
Daniel Barenboim Dirigent

Ludwig van Beethoven
Sinfonie Nr. 9 d-Moll op. 125 (1822–24)
für vier Solostimmen, Chor und Orchester mit Schlusschor über Schillers "Ode an die Freude"
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[2011/08/30 05:12] | 海外視聴記(ケルン) | トラックバック(0) | コメント(0) |
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