ましましの音楽日記
G.ヴェルディの作品をこよなく愛するオペラ愛好家による音楽日記です。筆者が鑑賞した海外でのオペラやコンサートの模様や、筆者自身が日頃行っている音楽活動などについて、不定期に綴っていきます。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[--/--/-- --:--] | スポンサー広告 |
コンポージアム2011「サルヴァトーレ・シャリーノの音楽」
1月17日午後7時前、東京オペラシティコンサートホールへ。同財団主催のコンポージアム2011「サルヴァトーレ・シャリーノの音楽」という演奏会を鑑賞した。なお、筆者にとっては、今回が帰国後の最初の演奏会鑑賞。初回を飾るにふさわしい内容だ。

集まった聴衆の大部分は、業界関係者、音大生、ディープな音楽愛好家らと思われる。会場内の雰囲気は、通常のクラシック演奏会とは明らかに違っており、演目のマニアックさにもかかわらず、1階席と2階席は、座席の7割近くが埋まっていた。シャリーノの作品を知る人のみが集まったためか、静寂を愉しむという共通認識が常時保たれていたのは、とてもよかった。

当日券で購入した座席は、2階バルコニーR1列18番。ステージの最前部の真横に相当する。ステージ右側が一部見切れるが、舞台上のほぼ全面を間近に観察することができる。シャリーノの作品の場合、特殊奏法のオンパレードであるため、楽器に携わる者にとっては、この座席はベストポジションである。無論、音響も申し分ない。

演奏されたのは、「オーケストラのための『子守歌』(1967)」、「フルートとオーケストラのための『声による夜の書』(2009)」、「電話の考古学―13楽器のためのコンチェルタンテ(2005)」、「海の音調への練習曲―カウンターテナー、フルート四重奏、サクソフォン四重奏、パーカッション、100本のフルート、100本のサクソフォンによる(2000)」の4曲。いずれも日本初演。前半3曲は、東京フィル、後半1曲は、洗足学園音楽大学フルートオーケストラ&サクソフォンオーケストラが演奏を担当した。

一曲目は、「オーケストラのための『子守歌』(1967)」。舞台上には、70以上のソロ楽器が4つの異なるグループに分かれて並ぶ。大草原を風が吹き抜けるように、舞台の端から端へと、音のウェーブが数回立ち上がった。トランペットのマウスピースを使用した寝息も地味に愉快。後期の作品におけるような感覚に対する働きかけは感じられないが、その革新性は、現在の目線で見ても健在である。

二曲目は、「フルートとオーケストラのための『声による夜の書』(2009)」。シャリーノは、この作品について、室内楽と交響曲、ソロと「トゥッティ」の境界を揺り動かそうとする野心的な試みであるとする。初期の作品と比べると、シャリーノの書法が格段に洗練され、また響きが丸みを帯びてきていることが窺える。1曲目では、音響効果の域を超えないように感じた特殊奏法の数々だが、2曲目では、あたかもそれらが大きなキャンバス上で関連付けられ、描写的に構成されているかのようだった。フルートという楽器から発せられる千変万化な響きとそれを支える超絶技巧の数々にも、興味をそそられたが、それ以上に、シンプルなオーケストラ編成から生み出される不可思議な音像が筆者の中に秘めていた新たな扉を開こうとしていたように感じられたのは、一つの驚きであった。曲の進行とともに、シャリーノの音の世界に包み込まれ、半ばトランス状態に陥ったのは、筆者自身のここ10日間ほどの激務に伴う疲労の影響だけではないだろう。

三曲目は、「電話の考古学―13楽器のためのコンチェルタンテ(2005)」。弦4人、管6人、ピアノ1人、打楽器2人という室内楽編成である。シャリーノによれば、この作品では、音楽がまるで電話の信号音を模倣したような形になっていて、楽器の奏でる音が電話回線の無機質な音の背後にかき消されてしまうとある。不可思議な奏法や聴いたことのないような無機質な音の塊の効果により、作品としての面白さは十分に兼ね備えており、構成面でもよく練られている感じがしたが、シャリーノが曲目解説で述べるような携帯電話に支配された現代社会に対する痛烈な批判ないし皮肉という側面は、それほど伝わってはこなかった。

休憩を挟み、四曲目は、「海の音調への練習曲―カウンターテナー、フルート四重奏、サクソフォン四重奏、パーカッション、100本のフルート、100本のサクソフォンによる(2000)」。息の音や、管楽器のキータップも、これだけの数が揃うと、波が打ち寄せるような、あるいは風が吹き込むような、あるいは雨音のような、そんな音響効果を生み出す。揺れ動くカウンターテナーの調べとも相まって、感覚はどんどん研ぎ澄まされていき、雨の降りしきる大海の真ん中に佇んでいるかのような錯覚を覚えた。筆者の意識は、再びトランス状態に近いところへと持っていかれた。

指揮を担当したマルコ・アンジェスは、イタリア人らしい明るさと朗らかさで、シャリーノの作品の魅力を、ときには柔らかく、ときには衝撃的に、よく引き出していたと思われる。東京フィルも、たまに粗い部分が見られたものの、総じて善戦。洗足学園音楽大学フルートオーケストラ&サクソフォンオーケストラは、若さと経験の不足のため、静寂をキープすべきところで、緊張感を保ちきれないところがあった。シャリーノの作品の場合、静寂の中での極度の緊張が求められるため、些細な動きであっても非常に気になってしまう。その点で、独奏者として登場したメンバーの表現力と演技力は、さすがであった。

客席で鑑賞していたシャリーノもご満悦のご様子。疲労感の溜まる演奏会ではあったが、シャリーノの作品の魅力を体感することができ、とても充実した一夜となった。こうした良質な演奏会が日本でも定着しつつあるというのは、非常に喜ばしいことである。

20120117-01


(公演情報)

〈コンポージアム2011〉サルヴァトーレ・シャリーノの音楽

マルコ・アンジュス(Cond)[1-4]、マリオ・カローリ(Fl)[2]、彌勒忠史(C-Ten)[4]、安江佐和子(Perc)[4]、斎藤和志/大久保彩子/多久潤一朗/木ノ脇道元(フルート四重奏)[4]、平野公崇/大石将紀/西本 淳/田中拓也(サクソフォン四重奏)[4]、洗足学園音楽大学フルートオーケストラ&サクソフォンオーケストラ[4]、東京フィルハーモニー交響楽団[1-3]

シャリーノ:
・オーケストラのための《子守歌》(1967)[1]
・フルートとオーケストラのための《声による夜の書》(2009)[2]
・電話の考古学 ─ 13楽器のためのコンチェルタンテ(2005)[3]
・海の音調への練習曲 ─ カウンターテナー、フルート四重奏、サクソフォン四重奏、パーカッション、100本のフルート、100本のサクソフォンによる(2000)[4]
スポンサーサイト
[2012/01/18 16:09] | 国内視聴記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
次のページ
プロフィール

mashi1978

Author:mashi1978
FC2ブログへようこそ!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。