ましましの音楽日記
G.ヴェルディの作品をこよなく愛するオペラ愛好家による音楽日記です。筆者が鑑賞した海外でのオペラやコンサートの模様や、筆者自身が日頃行っている音楽活動などについて、不定期に綴っていきます。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[--/--/-- --:--] | スポンサー広告 |
サンティ指揮N響―第1766回定期「シモン・ボッカネグラ」
11月10日午後3時前、NHKホールへ。ネルロ・サンティ指揮NHK交響楽団による第1766回定期公演。ヴェルディ生誕200年を記念し、歌劇「シモン・ボッカネグラ」が演奏会形式により採り上げられた。筆者のいた1階席から確認した感じでは、2階席サイドの後方にまとまった空席があった以外は、どのブロックもほぼ埋まったようだ。

筆者が確保した座席は、1階席L1列。マエストロ・サンティをほぼ真横から眺めるポジションで、タクトに宿る魔法の数々を存分に堪能することができた。今回の配置では、ステージがオーケストラピット部分までせり出しておらず、PAも使用されていなかったので、音響面でも好条件であった。

さて、マエストロ・サンティとN響による今回の「シモン・ボッカネグラ」は、音楽的な完成度という意味では、過去に行われたこの作品の数々の上演や演奏と比べても、異次元の水準に到達していたと評しても過言ではない。リッカルド・ムーティが昨年11月にローマ歌劇場で打ち立てた記念碑的な上演と双璧をなすほどの内容の濃さであったといえる。歌手のレベルは、欧州の一流歌劇場に名を連ねる面々と比べると、一段あるいは二段落ちることは否定できないが、今回のような演奏に接すると、(もちろん歌手に恵まれた方が良いのは当たり前であるが、)そういうことはもはやどうでもよくなってくる。スター歌手を寄せ集めた歌合戦からは、真の感動は生まれ得ない。

第一に特筆すべきは、スコア上の音符の一つひとつに描写性と精神性が宿り、活き活きとリリカルに浮かび上がっていたこと。人の息づかいと内面が繊細かつ理知的に表現され、舞台が無くても、登場人物の動きや情景を脳内でイメージすることが十分に可能であった。他方で、政治闘争や心理ドラマのスペクタルは、決して外面的になることはない。凝縮された緊迫感で、力強く雄弁に、そして圧倒的な存在感で迫ってくる。舞台付きのオペラ上演を観劇したのと同じ、あるいはそれ以上の充実感があった。無理のない緩急や、呼吸に適った拍の進行や間の取り方も、その効果を高めていたといえる。

このような台本と音楽との有機的な結合は、作品と舞台芸術に対するマエストロの深い造詣と洞察に裏打ちされている。筆者個人の中では、得たものが多すぎて収拾がついていないが、スコアの見え方が従来とは全く異なってきたことは確かだ。サンティもムーティも、楽譜と台本に忠実であるというスタンスは共通しており、弱音の繊細さと語りとしてのイントネーション、そしてカンタービレのレガートの自然さを大切にするという方向性も類似しているが、劇の魅せ方という観点からはアプローチに違いがある。2014年5月のローマ歌劇場来日公演までに、今回学んだことを自分の中でよく整理しておくことが必須と感じた。

第二に特筆すべきは、マエストロの期待と要求に応えきったN響の頑張りである。理詰めで編み出されたイタリア的な音色とフレージングは、明るく新鮮であり、ヴェルディの響きの魅力を余すことなく伝える。伝統的な演奏スタイルとの対比の観点からは、不純物や脂分が抜けたことで本質が浮かび上がった、と表現してもよいかもしれない。音量のバランスも、マエストロのコントロールの下で完璧に整えられ、歌との一体感が半端なかった。

このように、オーケストラのクオリティは段違いであり、日頃よく目にするN響の姿とは全く別物であった。とりわけ、「まろ」こと篠崎史紀のコンサートマスターとしてのリードは、実に的確かつ秀逸であった。この水準であれば、名実ともに世界トップレベルと断言できるし、欧州の一流歌劇場のオーケストラと互角、あるいはそれ以上といえるであろう。妥協のない徹底したリハーサルを通じてマエストロの意図が十分に汲み取られたことに加えて、個々のメンバーが作品をよく勉強していたことや、メンバー全員のマエストロに対するリスペクトが相まって、今回の神がかった演奏が導かれたわけであるが、オペラの経験が豊富とはいえないN響を相手に、これだけのクオリティを引き出したマエストロの手腕には、改めて驚かされる。マエストロのアプローチが普遍性を備えた方法論として確立されていることの証といえる。

ところで、マエストロ・サンティの場合、初日は、ピリッと引き締まった模範的な流れを導くが、二日目以降は、歌手のコンディションや会場の雰囲気を敏感に捉えつつ、初日に築いた基盤からの発展を志向することが多い。この日は、前々日の初日に続く二日目に当たることから、アンサンブル面で余裕と安定感が増しており、また歌手陣により自由度が与えられた結果、「劇」としての味わいも増したと思われる。手綱を若干緩めた結果として、例えば、後半の第二幕及び第三幕では、独唱陣や合唱の動きに、疲労に起因する若干の緩みが垣間見られたが、マエストロは、そのような兆候を察知するや否や、即座に舵を切り、何事もなかったかのように音楽を前に進めていたようだ。こうした芸当ができる指揮者は、現代では、マエストロ・サンティぐらいしか見当たらない。

プロローグにおけるマリアの死の悲痛さ、第一幕のシモンとアメーリアの再会の場面における深い感動、第一幕フィナーレにおける貴族派と平民派の対立の凄み、切なる愛と平和の祈り、そしてパオロに自身を呪わせる場面の緊迫感。目の前で進行する劇に夢中になり、そして心を奪われた自分がいたことが思い返される。第二幕も、シモン、アメーリア、ガブリエレの三者間の鮮烈な人間模様が圧倒的であった。第三幕の幕切れに向けての感動的な余韻と静寂の世界は、あまりに崇高であり、涙なしにはいられなかった。

最後に、N響のマエストロインタビューにおいて、マエストロ・サンティが語った次の言葉は、彼の舞台人としての本質を直截に伝えるものであるので、以下に引用する。
「オペラには表現されるべき様式があり、それは単なる伝承ではないのです。それぞれのオペラには様式があり、果敢に挑むことによってのみ表現されるものです。近年はオペラを演奏するための鍛錬に耐える指揮者があまりいません。あなたの演奏はCDで聴きますと言われて喜ぶ指揮者の方が多いでしょう。さあみなさん、ライヴの演奏を楽しんでください。」

この日集まった聴衆の多くは、マエストロのメッセージに意識的に、あるいは無意識のうちに反応し、会場内は、N響定期にしては到底考えられないほどの静寂に包まれていた。カーテンコールの盛り上がりは、熱烈であり、しかも温かかった。さらなる高みにのぼり続けるマエストロ・サンティから、ますます目が離せない。次は、年末と来春のチューリッヒ、そしてザルツブルク。筆者の追っかけは続く。


(公演情報)

第1766回 定期公演 Aプログラム
2013年11月10日(日)3:00pm
NHKホール

指揮:ネルロ・サンティ

シモン:パオロ・ルメッツ
マリア/アメーリア:アドリアーナ・マルフィージ
フィエスコ:グレゴル・ルジツキ
ガブリエレ:サンドロ・パーク
パオロ:吉原 輝
ピエトロ:フラノ・ルーフィ
射手隊長:松村英行
侍女:中島郁子
合唱:二期会合唱団

ヴェルディ/歌劇「シモン・ボッカネグラ」(演奏会形式・字幕つき)
スポンサーサイト
[2013/11/11 00:31] | 国内視聴記 | トラックバック(0) | コメント(2) |
次のページ
プロフィール

mashi1978

Author:mashi1978
FC2ブログへようこそ!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。