ましましの音楽日記
G.ヴェルディの作品をこよなく愛するオペラ愛好家による音楽日記です。筆者が鑑賞した海外でのオペラやコンサートの模様や、筆者自身が日頃行っている音楽活動などについて、不定期に綴っていきます。
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テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルグフィル―来日公演①
1月26日午後1時半すぎ、みなとみらいホールへ。ユーリ・テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団による来日公演。この日は、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲とムソルグスキーの「展覧会の絵」という名曲プログラムである。日曜日のマチネということもあり、客席はほぼ満席の盛況ぶりであった。

筆者の座席は、1階席7列目中央下手より。みなとみらいホールは、1階席でも、4列目から傾斜がついているので、音が頭上を通過するようなことが起こらないのがよい。7列目だと、舞台上の奏者と同じ目線となるため、ヴァイオリン協奏曲に照準を合わせた今回のポジショニングは、正解であった。

プログラム前半は、庄司紗矢香を独奏に迎え、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。前評判は高かったが、その期待をさらに上回り、内容の深さとスリリングさが相まった大変刺激的な名演であった。

この作品に関しては、筆者自身としても、学生時代に独奏パートを勉強し、また、市民オーケストラではコンサートマスターとして伴奏も担当するなど、様々な場面で、繰り返し接してきたが、正直なところ、作品に魅了されたことはあまりなかった。しかし、この日の演奏に触れたことで、ようやく作品の全容が見えるとともに、その面白さが理解できるようになったようだ。

庄司の演奏は、チャイコフスキーの音楽とストイックに向き合う正攻法によるアプローチ。ヴィルトーゾ的な華やかさとは正反対の世界をひたむきに探究する。その卓越した作品構成力には、今回も感銘を受けた。特に印象的であったのは、第一楽章のカデンツァ後のフルートへの橋渡し。木漏れ日の温かさが春の歓びを表現していた。第二楽章に脈々と流れる民謡調の深遠な世界や、第三楽章における切れ味の明快さや弾むような推進力も、庄司らしさが全開で、素晴らしかった。

加えて、この日の演奏で顕著にみられたのは、ロシア風の演奏スタイルとの完璧な共鳴である。旋律の端々に表れるタメとコクが、ロシア風のイントネーションと合致し、オーケストラが奏でる伴奏との間で、見事なコラボレーションを生み出す。これこそがチャイコフスキーともいうべき、厚みと温もりのあるオーケストラの余韻を、完全に味方につけ、表現の幅を倍増させていた。今回の演奏に向け、ロシアの語法やイントネーションを徹底的に研究し、自らの音楽表現にまで高めた成果が、如何なく発揮されていたといえる。

技巧を見せびらかすような場面が皆無であるため、一見すると地味であり、抑制された演奏にも映るが、巨人たちに囲まれた少女が舞台上で発するエネルギーは物凄い。このオーケストラの場合、内在する破壊力は半端なく、ちょっと仕掛けると、猛獣のように襲い掛かってくるが、そんな彼らと対等に渡り歩き、丁々発止の駆け引きを展開し、最後には力強い絆を結んでしまう庄司のセンスと度胸には、毎度のことながら、驚かされる。

ちなみに、この日の名演が生まれた背景には、指揮者、独奏者、オーケストラの間の抜群の信頼関係があったことを忘れてはならない。指揮台から保護者のような眼差しで見守るテミルカーノフ、ちょっと仕掛けてははにかむ庄司、そんな様子を温かく受容するオーケストラ。こうした真剣勝負の中に見え隠れした微笑ましさは、忙しい現代人の多くが忘れてしまっているのではなかろうか。カーテンコール時に、オーケストラの年配世代を中心に、鼻の下が伸びきっていたのが今でも目に焼き付いている。

プログラム後半は、ムソルグスキー(ラヴェル編曲)の「展覧会の絵」。ロシアのパワーをこれでもかと見せつけられた圧倒的な演奏であった。筆者は、この作品も過去に何回も耳にしている(筆者自身もオーケストラで弾いたことがある)が、ここまでの衝撃を受けた記憶はない。

この日のテミルカーノフの指揮は、読響に客演するときとは比べ物にならないほど、自由であり、スケールが大きく、威厳があり、ロシア魂に満ちたものであった。オペラ指揮者としての造詣も深いテミルカーノフのセンスは、この作品のような標題音楽では、より一層引き立つ。途中に挿入される各プロムナードの描き分けも含め、全体のヴィジョンが明快であり、展覧会をダイジェストで駆け抜けたような充実感があった。また、曲ごとにみても、品格とバランスを保ちつつ、内容的には、強い意志の宿る直球勝負の演奏で、ニュアンスにも富んでいた。

中でも、第一曲「グノームス」では、死にたくなるような重い音色と、断末魔の叫びをも切り捨てるような厳しさが突出していた。第二曲「古城」では、弦楽器が演出する雄大な空間の中に、物悲しい歌が鳴り響く。第四曲「ビドロ」では、低弦の奏でる牛車の軋みが、虐げられた民衆の苦悩を物語るようで、生々しい。そして、度肝を抜かされたのは、第十曲「キエフの大門」。地鳴りのする爆発的な金管打楽器セクションと、賛美歌風の木管セクションとの対比が見物であった。あれだけのダイナミクスレンジを演出しながら、音色が濁らず澱まないのは、驚異的である。最後までテンポを緩めることなく、まっすぐ豪快に鳴り響いたフィナーレは、胸がすくほどに見通しが良かった。

プログラム全体を通じて、彼らの演奏から滲み出ていたのは、音楽に賭ける意気込みの高さと絶対の自信である。アンサンブルに関しては、タテの線を合わせることには無関心で、ヨコの流れで互いに協調し、合流するというスタンス。コンクール的には、これでは落第点が付くであろう。しかし、こうしたテミルカーノフ時代に育まれてきた様式は、ロシアの伝統と相まって、実に男らしく、雄弁な音楽表現へと結びついた。ロシア民謡に由来する大らかで雄大なカンタービレ、情景を描き出す抜群の表現力、ロシアの風土に裏打ちされた音色の味わい、個性と自発性に富んだ積極的姿勢は、旧きよき時代の「香り」の進化版であり、彼らの存在は、グローバルスタンダード化が進む現代において、非常に貴重といえる。舞台上での彼らは、愛想をふるまうこともなく、実に素直である。しかし、洒落た雰囲気のアンコールで、会場を和ませ、舞台を後にした彼らを見て、この人たちは凄いと確信した次第である。


(公演情報)

2014年1月26日(日)14:00開演
会場:みなとみらい大ホール

指揮:ユーリ・テミルカーノフ
独奏:庄司紗矢香(Vn)

サンクトぺテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.35
(アンコール:パガニーニ:「虚ろな心の主題による変奏曲」よりテーマ)
ムソルグスキー(ラヴェル編曲):組曲「展覧会の絵」
(アンコール:アルヴェニス:タンゴ)
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[2014/01/26 20:16] | 国内視聴記 | トラックバック(0) | コメント(2) |
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