ましましの音楽日記
G.ヴェルディの作品をこよなく愛するオペラ愛好家による音楽日記です。筆者が鑑賞した海外でのオペラやコンサートの模様や、筆者自身が日頃行っている音楽活動などについて、不定期に綴っていきます。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[--/--/-- --:--] | スポンサー広告 |
カンブルラン指揮読響―第7回メトロポリタンシリーズ「マラ4」
4月19日午後2時前、東京芸術劇場コンサートホールへ。シルヴァン・カンブルラン指揮読売日本交響楽団による第7回読響メトロポリタン・シリーズ。シェーンベルク「弦楽のためのワルツ」、リストのピアノ協奏曲第1番、マーラーの交響曲第4番という、やや珍しい組み合わせの各作品が採り上げられた。会場の入りは、7、8割程度か。

今回は、仕事の都合により、前々日に開催された第536回定期演奏会からの振り替えである。割り当てられた席は、1階RBブロックC列。1階平土間の11列目との並びで、左右の壁沿いに走る3階バルコニー席直下の壁沿いであるが、ステージまでの距離は思いのほか近い。音響的には、ステージ最前方で奏するピアノや独唱の音が直接届いてこないもどかしさ、ステージ上手奥の平台上に並ぶトロンボーンの直接音がやや気になるという点を除くと、臨場感の高さ、弦楽器の響きのまとまりの良さ、頭一つ抜けて浮かび上がる管楽器の明快さなど、この会場特有の響きの良さを十分に体感できるポジションといえる。

この日の演奏会は、一見すると、何の脈絡もないプログラムのように映るが、音楽的な共通項を多く含む秀逸な選曲であった。

前半一曲目は、シェーンベルク「弦楽のためのワルツ」は、12音技法等になる前の初期の作品で、カンブルランによれば、ヨハン・シュトラウス、シューベルト、シューマン、ベルリオーズ、ウェーバー、チャイコフスキーらの要素が散りばめられているとのこと。演奏時間約16分の全10曲からなる短い作品ながら、様々な表情がコンパクトに収められており、示唆と輝きに富んでいる。そして、ここでスナップ的に切り取られたニュアンスの数々は、実は、マーラーの交響曲第4番に描かれる世界観、すなわち、天上の世界と死の舞踏との対比というこの日のテーマへのイントロダクションでもあった。

さて演奏の方だが、この日の読響の弦楽器セクションは、ゲストコンサートマスターのクリスティアン・オスタータークの絶妙なリードにより、流れのよいリズム感で、バランスよく瑞々しく、全10曲をまとめあげていた。また、細部の処理も的確で、料理で言えば味わいの複雑さを醸し出すようなエッセンスの数々に関しても、技術的には相当高度と思われるも、適度に磨かれ、演奏の奥行きを増していた。会場の個性も加わり、素朴さのなかに温もりも感じさせる響きが印象的であった。

前半二曲目は、ニコライ・デミジェンコを独奏に迎えて、リストのピアノ協奏曲第一番。デミジェンコによる筋の通った懐の深い演奏が素晴らしかった。様式観が明快で、音楽全体に一体感がある。筆者の座席の都合上、スケールの大きなピアノの響きに包まれる機会を逸したのは、実に残念ではあったが、斜め横から眺めるだけでも、その質の高さは群を抜いていた。鍵盤楽器に関しては残響過多の硬質な響きとなるホール特性にもかかわらず、音の一つひとつが混濁せず、粒立ちが明快であったことも特筆に値する。

なお、カンブルランは、この作品の交響詩的な世界観に関心を示していたようで、あたかも一つの物語のように、作品全体を構成していたようだ。そしてこの方向性は、マーラーの交響曲第4番にも受け継がれる。曲後半で活躍するトライアングルは、マーラーの交響曲第4番の死の舞踏にも相通ずるものがある。オーケストラに関しては、弦楽器セクションがドイツ的な分厚い骨太なサウンドで好演。対して、木管楽器の合いの手はどこか散漫で、やや思慮に欠けていたのが惜しい。注目のトライアングルは、独奏や弦楽器の精度と比べると、きめ細かさを欠いており、全体の中でやや浮いてしまっていたのが残念。ともあれ、いわゆる中プロの演奏としては、悪くはない仕上がりであった。

アンコールは、メトネルの「おとぎばなし」から。泉から湧き出すようなピュアな響きの拡がりに心を打たれた。出来れば、木の香りのするホールでその余韻を楽しみたかった。

休憩を挟んで、後半はマーラーの交響曲第4番。「大いなる喜びへの讃歌」という副題を伴う。この日の演奏では、誠実さと劇性の交錯、そして救済へ、という大きなシナリオが準備されており、個人的にも、第三楽章後半の壮大なファンファーレや、第四楽章の天上の世界では、図らずも涙が出てしまうほどに感銘を受けた。外面的効果の強調や濃厚さといったスタイルとは隔絶し、話題性のあるネタも周到に排除されているため、物足りないと感じるファンも少なくないと思われるが、その内容の深さと明晰さゆえ、筆者好みの演奏である。

第一楽章の提示部は、シェーンベルクのワルツに通ずる端正な音色で、古典的な様式美に富む。スマートな運びだが、息継ぎのタイミングでは十分な余裕をもち、結果として、フレージングの方向性が明快に浮かび上がっていたのが素晴らしかった。展開部に入ると、不穏な空気の漂うなか、ロマンチックな夜の森に、切れ味の鋭い痛烈な叫びが押し寄せ、個々のポーションが対立軸を先鋭化させる。クライマックスでは、いつの間にかそれらが融合し、大きなうねりを伴って宇宙的な拡がりをみせた。この展開の鮮やかさは、圧巻であった。唐突に開始された再現部は、この作品の最後に展開する浄化の世界を先取りしたかのような質素なスタイルで、第二楽章以降への期待を膨らませた。これだけ多彩なニュアンスをこめながら、またドラマ性を追求しながら、サウンド的には常に見通しがよく、全てが整然と整理され、しかも自然体で表現されていたのは、カンブルランと読響の充実ぶりの証左といえるであろう。

第二楽章は、ゲストコンサートマスターのオスタータークの妙技が全開。これだけ板についていると、聴き手としても嬉しくなってしまう。他方で、非現実の世界、夢の世界、天国の世界を表象する純粋な響きの数々も、透明感が高く、また陽だまりのような温かさを感じさせ、音楽の奥深さを印象付けていた。カンブルランのバランス感覚は、凄すぎる。

第三楽章第一主題における澄み切った美しさは、息が止まりそうになるほど。春の到来を間近に控えた夜明け前のような期待感も感じられた。第三楽章に入ってからは、演奏が良い意味でカンブルランの指揮から解き放たれ、音楽自体として歩みを始めたようにも感じられた。そして、後半のクライマックスでは、オペラ的な高揚感に包まれ、宗教曲における讃美歌にも通ずるような大いなる喜びが壮大に展開。何か物凄い力に突き動かされるような内面的な衝動が走った。

エピローグ的な第四楽章は、言葉の一つひとつが心に語りかける誠実な演奏。特に前半では、時折挿入される美しさに陶酔することなく、むしろシニカルな部分に重点を置いた処理がなされ、独唱を務めたローラ・エイキンの表現力が存分に活かされる。しかし、「音楽も地上のそれとは比較にならぬ素晴らしさ(Kein Musik ist ja nicht auf Erden. Die unsrer verglichen kann werden,)」というフレーズに始まる最終節に入ると、演奏は穏やかさに包まれ、天上の無垢で清らかな世界が静かに拡がった。「天使たちの歌声に心は励まされすべてが喜びに目覚める(Die englischen Stimmen Ermuntern die Sinnen, Daß alles fur Freuden erwacht. )」という最終フレーズは、余韻の中で筆者の心にいつまでもリフレインされた。

これほど内容の濃い演奏会は、久しぶりであった。受け手の心にさりげなく寄り添って微笑みを与えられる芸術家は、本物だと思う。世の喧騒で日々闘っていると、大切なことを忘れてしまいがちだ。プログラム構成力の秀逸さはもとより、社会に対して芸術家として誠実に語り掛け続けるマエストロの人柄が滲み出る意義深い演奏であったといえる。前々日のサントリー公演に関しては、独唱や木管楽器の不調が噂されていたが、この日の演奏を聴く限り、そのような懸念は全くの杞憂であった。もっとも、客層的には、東京芸術劇場のマチネ公演ゆえ、若干見劣りしてしまう。演奏中に物を落下させる輩が少なからず混じっていたのが残念であった。


(公演情報)

第7回読響メトロポリタン・シリーズ
2014年4月19日(土) 14:00開演

会場:東京芸術劇場

指揮=シルヴァン・カンブルラン
ピアノ=ニコライ・デミジェンコ
ソプラノ=ローラ・エイキン

シェーンベルク:弦楽のためのワルツ
リスト:ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調
マーラー:交響曲第4番 ト長調「大いなる喜びへの賛歌」
スポンサーサイト
[2014/04/20 11:13] | 国内視聴記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
プロフィール

mashi1978

Author:mashi1978
FC2ブログへようこそ!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。