ましましの音楽日記
G.ヴェルディの作品をこよなく愛するオペラ愛好家による音楽日記です。筆者が鑑賞した海外でのオペラやコンサートの模様や、筆者自身が日頃行っている音楽活動などについて、不定期に綴っていきます。
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マゼール指揮N響―第1736回定期演奏会「チャイコフスキー、グラズノフ、スクリャービン」
10月13日午後6時前、NHKホールへ。ロリン・マゼール指揮NHK交響楽団による第1736回定期演奏会。チャイコフスキー、グラズノフ、スクリャービンというロシアのやや渋めの作品が採り上げられた。会場内は、8割強の集客状況で、筆者が確認した限りでも、1階席サイドや2階席後方にある程度まとまった空席が見受けられた。N響の場合、いわゆる名曲プログラムでなければ、満席にならないのだろうか。もっとも、マゼールをひと目見ようという熱心な聴衆が集結したため、N響定期にしては珍しく、演奏中の雑音が少なかった。

筆者の確保した座席は、1階席R1列目。マゼールとキュッヒルの仕草を「見る」ことに目的を置いたポジショニングである。響きのバランスが弦楽器主体になってしまうことは致し方ないが、ステージ上で鳴っている音がそのまま聴こえてくるので、実は悪くない。少なくとも、2階席や1階席後方に行くよりもマシであった。

プログラム前半は、チャイコフスキーの組曲第3番。

第1曲「エレジー」は、弦楽器のサウンドに欧州的な香りが伴い、なかなか良いスタートであった。響きの深さと奥行きが見事に計算されており、多彩な表情が窺われる。表面的なカンタービレに陥らなかったのが素晴らしい。筆者の中で自ずと期待度が高まった。しかし、その後は次第に雲行きが怪しくなる。第2曲「憂鬱なワルツ」は、オーケストラ全体の響きが濁るため、マゼール特有の明晰な構成美が発揮されない。木管セクションはかなりお粗末だ。第3曲「スケルツォ」は、弦楽器を中心に黙々と音符の列を処理しているが、スケールの練習のようにしか聴こえてこない。マゼールのタクトへの瞬発力に欠けるオケパートの数々が音楽全体のスリリングさを著しく削ぐ。響きの創り込みに成功した中間部で、転調の愉しさを感じることができたのが唯一の救い。第4曲「主題と変奏」は、主題や旋律に対するアンサンブルとしての主張に乏しく、平板に聞こえる。マゼールの指示した描き分けには一寸の狂いもなかったと見受けられ、相応の実力を兼ね備えたオーケストラが演奏すれば、変奏曲の立体的な構築美が鮮やかに浮かび上がったはずだが、なぜこうなってしまったのか疑問。第12変奏のポロネーズでようやく一体感が生まれたが、時は既に遅し。

マゼールの背中とタクトを見る限り、彼の中ではいわゆるチャイコフスキー像を超えた巨大な音楽が鳴っており、このマイナーな作品をここまで深く掘り下げた彼の天才的な慧眼には、驚かされる限りである。また、マゼールの職人技も冴えており、現場で鳴っているオーケストラのコンディションを逐次チェックしつつ、的確なアウフタクトにより、ちょっと上のレベルの要求を繰り返していた。この手綱の締め方は、超人的であり、これだけの仕掛けを前にして、音楽が化けていかないのは、一重にオーケストラ側の責任である。アンサンブルの方向性がバラバラであるし、そもそもマゼールのタクトについていけていない箇所が多すぎた。

プログラム後半一曲目は、ライナー・キュッヒルを独奏に迎えて、グラズノフのヴァイオリン協奏曲。キュッヒルが舞台に立つと、場の空気が引き締まる。控え目な立ち振る舞いの中に、職人芸術家としての厳しい眼差しが光っていたのが印象的であった。

演奏に関しては、グラズノフの音楽に対するマゼールとキュッヒルの造詣の深さにまずは感銘を受けた。オーケストラの中に立ち位置を構えたキュッヒルは、独奏者というよりも、コンサートマスターであり、マゼールが描く絵巻物の中で、抜群の構成力により、個々のポーションをはめ込んでいった。彼らの構成力、そして深い洞察を音へと変えてゆく力は、真の巨匠であることの証である。独奏パートは、超絶技巧の集積であり、ロシア的なパワーと華に乏しいキュッヒルの演奏は、その場限りの爆発力を求める向きには、いささか不評であったと思われるが、マゼールとキュッヒルの意思は、明快かつ骨太に示されていたと個人的には感じた。なお、オーケストラは、お休みモードの感があり、マゼールの的確なタクトにもかかわらず、反応の鈍さは相変わらずであった。

アンコールは、バッハの無伴奏パルティータ第2番よりサラバンド。ウィーンの正統的なバッハ解釈のお手本ともいうべき演奏で、襟を正して聞かずにはいられない見事な演奏であった。この日は、このアンコールに触れられただけでも、十分にお釣りがくる。

プログラム後半二曲目は、スクリャービンの「法悦の詩」。ここに来て、マゼールらしさが多少なりとも音として具現化するようになった。

マゼールは、今回の演奏にあたり、「この作品の最後の15秒まで、ハーモニーは漂い、相互に作用しあい、じらし、明快に主和音で解決することなどけっしてありません」とのコメントを寄せている。舞台上で蠢き合う巨大なハーモニー、そして、宇宙的な広がりと膨らみを経て、圧倒的なクライマックスへと到達するプロセスは、マゼールの独壇場である。正直、N響からこれだけの音像が生み出されるとは、思ってもいなかった。決死の覚悟で挑んだと思われる独奏トランペットの奮闘ぶりも様になっていた。楽器間のバランスが完璧に計算されており、爆発寸前のところまでエンジンを噴かせながら、オーケストラサウンドとして破綻する瞬間が皆無であったことにも、改めて感心させられた。小編成によるアンサンブルが相変わらずバラバラであったこと、「色彩感の点で、最も際立った傾向を持つ作品」と称するマゼールの考えが十分に実現していたとは必ずしも言えないこと、キュッヒルに触れた後に聴くコンサートマスターによる独奏が微妙さを拭いきれなかったこと、最後の15秒に訪れる「圧倒的なハ長調」がマラソンで疲れ果てたランナーのようでインパクトがいま一つ足りなかったことなど、言い出せばキリがないが、N響としては、近年稀に見るほどのハイクオリティであったのではないかと思われる。

この日は、N響としては、150%の力を出し切った演奏であったといえる。マゼールは、職人的かつ天才的なセンスにより、N響の有するポテンシャルを最大限あるいはそれ以上に引き出すことに成功していた。本当に凄い指揮者である。昭和中期の自動車をポルシェ級の馬力で動かしてみたというところであろうか。しかし、今のN響は、マゼールを受け止めるには、明らかにキャパシティー不足であった。マゼールの変態攻撃を眼にすることができなかったということは、裏を返せば、演奏者側がそこまでのレベルに到達していなかったということであろう。スクリャービンですらも、マゼールの要求の6、7割程度しか応えられていなかったといわざるを得ない。そもそも、オーケストラ全体としてアンサンブルを一つにまとめていくというベクトルが全く感じられないのが問題である。

色々と考えさせられた演奏会であったが、個人的には、マゼールとキュッヒルの生舞台に触れられただけで、十分に満足のゆく2時間であった。


(公演情報)

第1736回 定期公演 Aプログラム
2012年10月13日(土) 6:00pm
NHKホール

指揮:ロリン・マゼール
ヴァイオリン:ライナー・キュッヒル

チャイコフスキー/組曲 第3番 ト長調 作品55
グラズノフ/ヴァイオリン協奏曲 イ短調 作品82
スクリャービン/法悦の詩
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