ましましの音楽日記
G.ヴェルディの作品をこよなく愛するオペラ愛好家による音楽日記です。筆者が鑑賞した海外でのオペラやコンサートの模様や、筆者自身が日頃行っている音楽活動などについて、不定期に綴っていきます。
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カンブルラン指揮読響―第519回定期演奏会「ツェンダー(般若心経)&細川(ヒロシマ・声なき声)」
10月27日午後6時前、サントリーホールへ。シルヴァン・カンブルラン指揮読売日本交響楽団による第519回定期演奏会。ツェンダーと細川の作品による同時代プログラムである。

座席は、いつもの指定席である1階席通路より少し前のセンター。日頃は背広姿で埋まるサントリーホールも、週末の演奏会ゆえ、定期会員はカジュアルな服装が大半。ただ、ツェンダーと細川の両名が客席にいたためか、関係者と思しき外国人や日本人はフォーマルな服装で身を固めており、カジュアルとフォーマルが入り混じる不思議な光景を目にすることができた。なお、この日は、Pブロックが合唱団用として使用されていたものの、残りのブロックにも空席は散見され、1階席から眺めた感じでは、全体としては7割程度の入りであったと思われる。

プログラム前半は、ハンス・ツェンダーの「般若心経」。読響の創立50周年記念委嘱作品で、この日が世界初演となる。

解説によると、ツェンダーは、十二音技法をベースにしつつ、俳句や禅の思想を取り入れた独自のスタイルを獲得した作曲家であるとのこと。今回の作品も、大乗仏教の経典の一つ「般若心経」を独唱バス・バリトンのテキストに用いた大胆な作品と説明される。作曲家自身のメッセージによれば、福島での大惨事に対応する日本人の流儀、つまり、世界中が賛嘆する日本人の沈着冷静さと自制心をテーマに据えたとのこと。ツェンダーは、日本人の内なる力は、仏教的伝統によって育まれてきたように見えるという。

実際に聴いた印象としては、確かに、大乗仏教のある一つの側面、つまり外形的に見えやすい様相を、西洋音楽の理論と技法により捉えようとしていることは窺われる。「般若心経」をテキストとする独唱は、読経に似たイントネーションで構成されているし、三局に分けて配置された打楽器により繰り広げられる躍動的なリズムは、東アジア系の大乗仏教の儀式を想起させる。しかし、日本人の心にあると筆者が信じる沈着冷静さや自制心は、こうした宗教的な儀式から一歩離れた人々の内面に静かに宿っているものなのではなかろうか。サイレントが出発点にあるという意味で、ヨーロッパ系民族とは根本的に発想が異なる。ドイツ人であるツェンダーの作品では、静的な場面も、単色系ではなく、カラフルな色彩が伴う。音楽による日本文化へのオマージュとしては興味深く、作品としても聴き応えはあった(もちろん、高名なドイツ人作曲家から、このようなアプローチの下で作品を書いてもらえるということは、喜ばしいことである。)が、そこに日本の心を求めようとすると、違和感を感じざるを得なかった。なお、この感覚は、日本人が西洋音楽を演奏する場合に、西洋人が感じるであろう違和感にも共通するであろう。それをよしとするかどうかが分かれ目である。

プログラム後半は、細川俊夫の「ヒロシマ・声なき声」。演奏時間70分に及ぶオラトリオ形式の超大作である。オーケストラの編成も大きく、LD、RDブロックの前には、金管楽器や打楽器のバンダが配された。2001年にカンブルラン指揮のバイエルン放送交響楽団によりミュンヘンで初演されている。

この作品は、1989年作曲の「ヒロシマ・レクイエム」の第一楽章と第二楽章をほぼそのままにし、第三楽章をはずした上で、新たに3つの楽章を書き加えることで生まれている。後半の3つの楽章が書き加えられたことにより、ヒロシマの記憶は、祈りとして再構成され、日本人の心に根差した普遍的な内面描写へと高められていると思われる。作曲者によれば、スコアの最初のページには、「東洋文化の根底には、形なきものの形を見、声なきものの声を聞くといったようなものがひそんでいるのではないだろうか。我々の心のかくのごときものを求めてやまない」という西田幾太郎氏の言葉が引用されているとのこと。使用する奏法の点では、ツェンダーと細川には共通する要素があるが、細川の作品の場合は、サイレントと行間に有意性を見出す日本人の意識構造が実に見事に表現されており、一つひとつの表現が不思議なくらいに心に沁み渡る。それらを明晰に描き分け、音楽としてまとめ上げたカンブルランの手腕と耳の良さは、驚異的である。プログラム前半で感じた違和感は一掃された。

そして、この日の演奏には、強く心を動かされた。ただ単に演奏水準が高かったり熱演であったりしたからではない。細川及びカンブルランを中心としたこの日の演奏者全員による日本社会に対する強いメッセージがそこにはあったからだ。フクシマの現実を前にし、東日本大震災から1年半が経ったこの時期に、あえてヒロシマの記憶を呼び起こそうという彼らの主張は、芸術家としての強い使命感に裏打ちされたもので、腰の据わらない政局や社会情勢に対する明確なアンチテーゼともいえる。演奏を終えた直後のカンブルランの憔悴し切った表情が特に印象的であった。

筆者自身は、細川の作品では、集中を切らすことなど全くなく、最後まで共に歩むことができた。なお、中高年の聴衆を中心に、居眠りをしたり、手持ち無沙汰気味に身動きをしたりする輩が多く見受けられたが、彼らの芸術家としての魂の込められた真剣勝負を前にして、よくそういう態度が出来るものだと思わずにはいられなかった。内容については、賛否両論があり得るであろう。しかし、「言論」のレベルが底辺まで墜落しつつある現代に、日本のプロオーケストラの定期演奏会において、このような芸術的な主張が明確に示されたこと自体が、ある意味で「事件」ともいえるし、「言論の自由」の真の現れとして受け止められるべきであり、また評価されるべきであると考える。

プログラミングから演奏、解釈、主張に至るまで、高水準かつ内容が非常に濃い演奏会。色々と考えさせられた一夜であった。カンブルラン、万歳。


(公演情報)

第519回定期演奏会

2012年10月27日(土) 18:00開演
サントリーホール

指揮=シルヴァン・カンブルラン
バリトン=大久保光哉
アルト=藤井美雪
合唱=ひろしまオペラルネッサンス合唱団(合唱指揮=もりてつや)

ツェンダー:「般若心経」(創立50周年記念 読響委嘱作品/世界初演)
細川俊夫:「ヒロシマ・声なき声」-独奏者、朗読、合唱、テープ、オーケストラのための
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[2012/10/27 23:03] | 国内視聴記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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