ましましの音楽日記
G.ヴェルディの作品をこよなく愛するオペラ愛好家による音楽日記です。筆者が鑑賞した海外でのオペラやコンサートの模様や、筆者自身が日頃行っている音楽活動などについて、不定期に綴っていきます。
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欧州行き(13年12月)⑤―ガッティ指揮スカラ座「椿姫」
12月31日午前4時すぎ、IC2434及びICE1616にてドレスデンからベルリンへ。そして、LX975便及びLX1628便にてチューリッヒ経由でミラノへ飛ぶ。ミラノ・マルペンサ空港の鉄道によるアクセスは、前回よりも格段に劣化した。渋滞を覚悟でバスを利用するか、頻度が少なく時間のかかるイタリア国鉄を利用するかの二択。要注意の空港である。

午後3時半すぎ、ようやく宿泊先であるHotel Brunelleschi Milanoにチェックイン。スーペリア・ルームにアップグレードしてもらえたので、快適なステイとなった。

午後5時半すぎ、ミラノ・スカラ座へ。ダニエレ・ガッティ指揮によるヴェルディ「ラ・トラヴィアータ」。ジルヴェスター公演ということもあり、会場内は着飾った人々で溢れていた。

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筆者が発売初日に確保した座席は、平土間3列目上手より。劇場のサイズが大きいため、響きに包まれるような感覚は得られないが、舞台とオーケストラの双方の臨場感が伝わってくるので、かなり良席の部類に入るであろう。上手側に寄ったことに伴うバランスの崩れは感じなかった。

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さて、12月7日の開幕初日から噂で聞いていた(また初日の模様をテレビで視聴して認識していた)が、ディミトリ・チェルニアコフによる今回の演出は、実際に劇場で見ても、全く感銘を受けなかった。

このプロダクションについては、非難轟々で、既に色々なことが言われているが、筆者が問題視するのは、時代設定を現代に移したことでも、盛大な夜会の場面が陳腐なディスコ風パーティであったことでも、また、第三幕で用意されたヴィオレッタのベッドが羽毛布団一枚であったことでもない。第二幕第二場で、ヴィオレッタが独白するシーンで、突如として照明が落ちて、ヴィオレッタのみにスポットが当たるというのも、品がないとはいえ、間違いとはいえない。第三幕でヴィオレッタがアル中・薬物中毒に陥っているというのも、ギリギリ許容範囲内といえる。ハリウッド風な要素が混じっていることが問題なのではない。

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では、筆者が何を問題にしているのかというと、それはチェルニアコフによる読替えの不合理性と独善性である。付された演技が楽譜と符合しておらず、矛盾だらけであった。

第一幕で合唱が中座する際、ヴィオレッタ卒倒の瞬間が無視されていたのは、納得がいかない。健康的で勝ち気なヴィオレッタ像を打ち出し、アルフレードのことを冗談交じりに笑い飛ばすという演技自体は否定しないが、病気を患っているという陰の部分がないと、作品自体が成立しなくなる。また、最初から最後まで、ヴィオレッタとアルフレードの二人が相手を意識し合うという瞬間を見出せなかったのも、ストーリーの進行上、あまりにおかしい。ヴィオレッタのアリアにおいて、ヴェルディが籠めた淡い心情変化の数々が、演技の上で、ことごとく無視されていたのも、いただけない。

第二幕第一場の冒頭で、ヴィオレッタとアルフレードがいちゃいちゃしたのは、訳が分からない。台本上は、冒頭において、ヴィオレッタは登場しない。ここで登場してしまうと、その後の展開の中で、ヴィオレッタとアルフレードの間に生ずるすれ違いの数々は、説明が付けられなくなる。

第二幕第二場冒頭、アルフレードが最初から舞台上にいた理由は、全く不明。夜会の前座でアルフレードに照準が集まった場合、その後のアルフレード到来のシーンをどのように解すればよいのだろうか。「男爵を愛している」というヴィオレッタの言葉を受けて、客人を呼び寄せる場面でも、アルフレードが声を掛ける前に、既に客人が集まっていて、緊張感ゼロ。

第三幕前半、医師グランヴィルがアンニーナにヴィオレッタの病状を伝える場面で、ヴィオレッタに聞こえよがしに意地悪く伝えるという演技には、怒りすら覚える。バッカナーレにおいて、薬物の影響で、突如として元気になって踊り始める、というのも不可解。その直後のアルフレード登場による歓喜の場面と矛盾する。終幕フィナーレで、ヴィオレッタがアルフレードに写真を渡そうとするが、アルフレードが躊躇ったために、ヴィオレッタがそれを投げ捨てるというのも、作品の根幹を否定する行為である。

その他、全般的に下品なコメディのような演技が過剰に付されており、見た目がバタバタしていて騒々しい。第一幕は、飲み会のドンチャン騒ぎが行き過ぎているし、第二幕第二場は、各要素がバラバラでフォーカスすべき箇所が見つからない。

また、第二幕第一場は、演出家には退屈に写るのかもしれないが、この場面の立ち位置に関しては、動よりも静に軸足を移すべきである。ジェルモンの歌唱中に、ヴィオレッタがウロウロと歩き回ったり、アルフレードが神経質に野菜を切ったりピッツァをこねたりするというのは、目障り以外の何物でもない。

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ヴェルディの場合、演奏も演出も、楽譜に忠実であることが第一に求められる。役者の動きや表情から舞台効果に至るまで、全てが簡潔に表現されている。にもかかわらず、今回の演出では、その独善的な解釈によって、ヴェルディの意図が踏み躙られており、「最悪」の演出の一つといわざるを得ない。

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また、想定の範囲内ではあったものの、相変わらず気に入らないのがダニエレ・ガッティの指揮。聴いていてむず痒くなる場面の連続である。評価できるのは、カットなしで演奏したことくらいであろうか。

第一に、グランドオペラ的な構えを志向するアプローチだが、全体の見通しが悪く、緊張感に欠ける。出てくる響きは外面的で、澱んだ曇り空をイメージさせる。また、突如として、ピンポイントで激しく前進することもあるが、運び方が強引で、辻褄が合わない。他方、ゆっくりな箇所では、妙にロマンチックに作り込みすぎて、テンポを喪失しており、歌手らも、伸びきったバネのようにルバートを多用し、糸の切れた風船のように宙を彷徨う。また、曲を締め括る終止和音では、重厚さを演出するも、溜めすぎであり、曲本体から分離して聞こえる。ドイツオペラではないのだから、もう少し別の処理の仕方があるだろう。

第二に、旋律の処理にも、違和感を覚えざるを得ない。メロディの起伏にあわせた妙なメリハリは、こねくり回しすぎの過剰表現であり、管弦楽的にはあり得るかもしれないが、台詞と噛み合わないことが多く、チグハグさは否めない。ワーグナーみたいなうねりは、ヴェルディには相応しくないのではなかろうか。また、全般的にテンポ感やリズム感が重く鈍い。例えば、第一幕や第二幕第二場では、スタート時のテンポは悪くないのに、次第にテンポが遅くなり、歯切れが悪くなってゆく。これには閉口させられた。また、色々なことをやろうとしている割には、基本的なところで、細部の処理が雑になり、アンサンブルが乱れることも多数。もったいぶった溜めを作ったことで、オーケストラの発音がばらけてしまう場面も、少なからず見受けられた。スカラ座ほどの集団であれば、音楽の進行に予見可能性があれば、基本的な箇所であのような時差が生ずることは、通常はないであろう。

第三に、強奏部の音色に力みを感じる。平土間3列目で聴くと、オーケストラピットの壁の効果で音色がまろやかになるため、階上席で聴いた際に予想される音の硬さは抑制されていた。しかし、フォルテの箇所で、オーケストラの押し出しが強く、歌に対して油絵具で重ね塗りしたかのような覆いかぶさり方をしてしまっている。然るべきマエストロが指揮をすると、オーケストラが十分に鳴っていても、響きの解像度が高く、歌がオントップで乗っかるので、歌声が霞んでしまうようなことはない。もっとも、この点は、ガッティに限ったことではなく、近時のスカラ座で頻発する現象でもあるので、彼だけが責められる話ではないかもしれない。

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というわけで、初日の演奏に比べると、多少は馴染んだ感もあるが、依然として不可解な箇所の少なくない解釈・演奏であった。なお、オーケストラの状態はすこぶる良く、ガッティが余計なことをしない箇所では、スカラ座らしさが全開であった。抜群の安定感、そして「これがスカラ座の音だ」という自信に満ちた演奏は、世界一を自負するに値する水準にあったといえる。端々に垣間見られる職人的なプロ根性は素晴らしく、演奏面でのクオリティを格段に高めていたのは、疑う余地がない。この名人芸に間近に触れられただけでも、この日の収穫はあったと思われる。

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キャスト陣に関しては、ヴィオレッタを演ずるディアナ・ダムラウの独り舞台という位置づけが、より色濃く反映されていた。実際、ダムラウの歌唱と演技がずば抜けており、やや癖のある歌回しながらも、果てしない静寂から、ドラマチックな力強さまで、全てが結実していた。なお、初日に大ブーイングを喰らい、不貞腐れていた(と言われている)アルフレード役のピョートル・ベチャワも、この日は、会場に押し寄せた大応援団に支えられ、終始ご機嫌の表情であった。決め所でバシっと決まりきらないもどかしさはあるものの、カット無しという重圧の中、難所の数々を見事にクリアするとともに、巧みな台詞回しで全体をまとめあげ、賞賛に値する仕上がりであったといえる。ジェルモン役のジェリコ・ルチッチは、流石の貫禄で、計算高い雰囲気がジェルモンらしさにふさわしく、安定感の高い歌唱で観客を魅了した。また、この日の舞台で光っていたのは、アンニーナ役のマーラ・ザンピエーリと、ジュゼッペ役のニコラ・パミーオ。大御所二名による味のある歌唱と演技は、画面を通して見る以上に、オーラとして伝わってくる。この二名の立ち姿には筆者個人も非常に感銘を受けた。カーテンコールで大喝采を受けていたことは言うまでもない。

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スカラ座のジルヴェスター公演は、舞台からもオーケストラピットからも客席からも、そのプライドの高さが滲み出る独特の空気に包まれていたが、空回りしている感も否めなかった。2014/2015シーズン以降のペライラ&シャイーによるスカラ座の復興が強く望まれる。

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終演後は、Il Ristorante Trussardi alla Scalaにて、大晦日のディナーコースを。洗練された食事及びサービス並びに値段設定に超一流としての風格を感じさせるが、ナルシスト度が高いようにも感じられ、「おもてなし」の心は感じなかった。年明け直後のドゥオーモ周辺は、多数の警官の見守る中、酔っ払いが乱射する爆竹が次々と鳴り響き、騒然としたムード。花火の残骸やら割れた瓶やらでゴミだらけである。落ち着いた空間で年明けを迎えられたことに価値を見出すべきであろうか。

翌日は、LH1857便にてミラノからミュンヘンへ。ミュンヘンの空港内にあるAirbräu で小休止し、セネターラウンジでシャワーを浴びた後、NH208便にて成田に飛ぶ。ウィーン・リング・アンサンブルのメンバーと同じフライトであった。彼らの1月6日サントリーホール公演が楽しみである。


(公演情報)

La traviata
Giuseppe Verdi
New Teatro alla Scala production

DIRECTION
Conductor: Daniele Gatti
Staging e sets: Dmitri Tcherniakov

CAST
Violetta: Valery: Diana Damrau
Flora Bervoix: Giuseppina Piunti
Annina: Mara Zampieri
Alfredo Germont: Piotr Beczala
Giorgio Germont: Željko Lučić
Gastone: Antonio Corianò
Barone Douphol: Roberto Accurso
Marchese d'Obigny: Andrea Porta
Dottor Grenvil: Andrea Mastroni
Giuseppe: Nicola Pamio
Domestico di Flora: Ernesto Petti
Commissionario: Ernesto Panariello
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[2014/01/02 19:53] | 海外視聴記(ミラノ) | トラックバック(0) | コメント(0) |
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