ましましの音楽日記
G.ヴェルディの作品をこよなく愛するオペラ愛好家による音楽日記です。筆者が鑑賞した海外でのオペラやコンサートの模様や、筆者自身が日頃行っている音楽活動などについて、不定期に綴っていきます。
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カンブルラン指揮読響―第533回定期演奏会「イタリアのハロルド」ほか
1月14日午後7時前、サントリーホールへ。シルヴァン・カンブルラン指揮読売日本交響楽団による第533回定期演奏会。G.ガブリエリ、ベリオ、ベルリオーズの3作品による意欲的なプログラムが披露された。

筆者の座席は、指定席であるRB9列目。入場者数は6割程度か。後半になって若干持ち直したものの、1階席の最前方及び後方にまとまった空席があったほか、2階席も、Cブロック後方やRD及びLDブロックがほとんど埋まっておらず、ステージを囲む座席も半分程度の埋まり具合であり、全般的にかなり空席が目立った。地味なプログラムゆえ、やむを得ないのかもしれないが、こうしたプログラムで集客できないとなると、東京のクラシック音楽界の先行きは暗いといわざるを得ない。

さて、プログラム前半一曲目は、ガブリエリのカンツォーナ。サクラ・シンフォニア集からの選曲である。ヴェネツィアのサン・マルコ寺院のステレオ効果を活かすべく、カンブルラン自身の編曲により、三つの楽器群(舞台中央奥にトランペットとトロンボーン、真ん中にオーボエ、イングリッシュ・ホルンとファゴット、前方に指揮者を囲むように弦五部)によって演奏された。

教会旋法をもとにしたポリフォニックな作品であり、実際、イタリアの教会を想起させるような柔らかい響きは、サントリーホールの空間には非常に新鮮に響いたことは確かだ。弦楽器の人数を4-4-4-3-2に絞ったことで、舞台上の空間に隙間ができ、音の分離が物理的にも感じとれたこともプラスに働いていた。しかし、金管楽器を中心に細かいミストーンが少なくなかったことに加え、オーケストラ全体としても、ポリフォニックな和声進行に不可欠な純正律によるハーモニーがほとんど成立しておらず、かなりの違和感があった。弦楽器はノン・ビブラートで端正に演奏していたが、当然のことながら、古楽器であれば醸し出せるような香りやボリューム感は期待できず、存在感を発揮しきれなかったことは否定できない。カンブルランのアイデアは面白かったが、結果的には、企画倒れとなってしまったようにも思われる。

プログラム前半二曲目は、ベリオのフォルマツィオーニ。時代は、ガブリエリの活躍したルネサンス後期ないしバロック初期から、20世紀後半へと飛ぶ。一曲目との共通項は、イタリアの作曲家であるという点と、複数の楽器群に分かれて演奏されるという点。なかなか凝った選曲である。

筆者の座席は、RBブロックであるため、左右対象に配置された金管楽器が生み出すステレオ効果などは、十分には把握できなかったが、七つの楽器群に分けられた楽器配置から発せられる音響は、ガブリエリの作品で感じたものとは別の意味で新鮮であり、特殊な楽器の組み合わせから生まれる音色の面白さを満喫させてくれるものであった。その点では、カンブルランの意図はそれなりに達成されていたのではなかろうか。ただ、この作品に秘められた斬新さや衝撃が十分に再現されたかといえば、まだまだ至らない点があったようにも思われる。

読響は、この複雑怪奇な作品をキチンと処理できており、この点では、一定の評価は可能であろう。ただ、カンブルランを除くと、ステージ上で、この作品の全体像を掌握できていた者はおそらく存在せず、各プレイヤーは、自分のパートを処理することに精一杯になってしまっていたように見受けられた。それゆえ、楽器の重なり合いにより生み出される音響効果を見越した奏法というところにまで、考えを至らせるだけの余裕がなかったのではなかろうか。また、中盤は割とよい流れが生まれていたものの、全般的に恐る恐る音を発するような場面が多く、複数の楽器群から同時あるいは時差をもって発せられる音の衝突がもたらすであろうスリルは体感できなかった。準備期間がもう少し長ければ、そうした音の連関にまで意識を向けることが可能となり、よりビビッドなスペクタルが花開いたであろう。惜しい仕上がりであった。

休憩を挟んで、プログラム後半は、ベルリオーズの交響曲「イタリアのハロルド」。独奏は、カンブルランの指名を受けた読響ソロ・ヴィオラ奏者の鈴木康浩が務めた。

さすがはカンブルランから「一緒に《ハロルド》を演奏したい」と熱望されただけのことはある。鈴木の奏でる明るく朗々としたヴィオラの音色は「ハロルド」そのものであり、その発せられた最初の音から直感的に全てが受け入れられるような感覚となった。オーケストラの方も、第一楽章冒頭では、ベリオの余韻が残り、音色に硬さが残っていたが、鈴木が「ハロルド」語りを始めると、明るく優しく柔らかい響きへと瞬時に様変わり。ホール全体の集中が高まり、その後は、カンブルラン、鈴木、読響の三者の固い絆に後押しされ、熱い想いのほとばしる神がかり的な演奏へと高まっていった。

この日の名演を支えたのが、カンブルランのオペラ指揮者としての卓越した手腕であることは、言うまでもない。独奏とオーケストラのアンサンブルの橋渡しから、響きのバランス、全体構成を踏まえたテンションの運び方まで、そのセンスは見事に発揮されていた。最終楽章において、弦楽アンサンブルをオルガン前に別配置し、「ハロルド」役の鈴木がPブロックに降り立ち、客席最前方で最期を奏でるというアイデアは、なかなか斬新であった。

しかし、筆者は、この作品におけるカンブルランのタクトから、そうした空間デザイン的な演出とは別の次元で、演奏自体において、彼自身の強い「意志」を感じ取った。この日、カンブルランが目指したものは、彼が得意とするような色彩感の豊かな美しい世界とは、やや趣きが異なっていた。むしろ、ハロルドという人物の人間臭い部分も含め、生の世界と正面から向き合おうとしていた。それゆえ、カンブルランのタクトは、個々の響きを綺麗に創り込むというよりも、読響らしさを全面的に受容した上で、オーケストラと四つに組み、その魅力を最大限に発揮できる方向で、汗臭い共同作業にどっぷりと浸るスタンスであった。交響曲全体を「ハロルド」を主役とした一つの「オペラ」として捉え、ベルリオーズの描いた人物像に全員で共感をしながら、ホール全体で同じ時間の流れを共有することにより、日本人の潜在意識の中にある強い結束力を呼び覚ます。カンブルランとしても、このような音楽体験を実現できるのは、世界中を探しても、この日本だけなのではないだろうか。カンブルランの常任指揮者就任から四年弱を経て、このコンビが新しい扉を開いた瞬間に立ち会えたような予感がした。

音楽には「力」がある。終演後は、割れんばかりの拍手に包まれた。この少ない入場者数からは想像ができないくらいに、拍手の音量が大きく、そして演奏に負けないくらいに拍手が熱かった。近年稀にみるほどの充実した名演であり、筆者個人としても、年明け以来、もやもやとしていた気持ちがスカッと晴れ、元気をもらえた素晴らしい演奏会であった。


(公演情報)

第533回定期演奏会

2014年1月14日(火) 19:00開演
会場:サントリーホール

指揮=シルヴァン・カンブルラン
ヴィオラ=鈴木康浩(読響ソロ・ヴィオラ奏者)

ガブリエリ:カンツォーナ(「サクラ・シンフォニア集」から/カンブルラン編)
ベリオ:フォルマツィオーニ
ベルリオーズ:交響曲「イタリアのハロルド」 作品16
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[2014/01/15 00:01] | 国内視聴記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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