ましましの音楽日記
G.ヴェルディの作品をこよなく愛するオペラ愛好家による音楽日記です。筆者が鑑賞した海外でのオペラやコンサートの模様や、筆者自身が日頃行っている音楽活動などについて、不定期に綴っていきます。
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チューリッヒ行き(11年10月)④―ガッティ指揮チューリッヒ歌劇場「オテロ」
10月30日、正午にホテルをチェックアウトし、聖母聖堂、聖ペーター教会、大聖堂を順に見学。大きな時計とステンドグラスが特徴的だ。

午後1時半頃、オペラ座へ。この日は、ダニエレ・ガッティ指揮チューリッヒ歌劇場によるヴェルディ「オテロ」。10月20日に初日を迎えた今シーズンの新演出である。首席指揮者ガッティの下、ホセ・クーラ、フィオレンツァ・チェドリンス、トーマス・ハンプソンというスター歌手が一同に会し、どのような舞台となるかが筆者の関心の的であった。なお、日曜日の昼公演は、平日公演とは異なり、客層の大多数を年配マダムが占めていた。そのため、幕間は客席内でおしゃべりに華が咲き、演奏が開始しても約1分間はひそひそ話が残存するという有り様。もっとも、他の歌劇場に比べれば、これでもかなりマナーが良い方である。

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この日の座席は、2.Rangの右側1列目。他の歌劇場と比べれば、断然舞台から近いのだが、それでも多少の距離感は感じる。視覚的には、指揮台の様子が辛うじて窺える程度で、オーケストラピットの半分くらいは死角。もう少し中央寄りであれば、ベストであったが、ともあれ、舞台が見切れることはないので、ストレスはない。オーケストラピットの音と舞台上の声がまっすぐ飛んで来るという意味では、音響的に輝かしいサウンドを楽しめるため、この選択もありだと感じた。

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さて、上演の方だが、今回は、最初にグレアム・ヴィックによる新演出の内容についてコメントしたい。概要は、以下のとおりであった。

第一幕開幕の合唱では、白い服を着た民衆がなぜか黒い墨を塗りあっていた。途中で舞台の床が開き、民衆が、実際に炎が燃え盛る穴の中に、服や物を次々と入れて、焼き討ちにしていた。将軍オテロの登場は、戦車に乗って行われ、勝利の宣言は、アメリカ大統領の演説のような設定であった。祝宴の準備が始まり、「喜びの火よ」の合唱の場面では、戦火に燃える平原や街並みが映し出される画面を、合唱メンバーが整列して見つめていた。色々と盛り込みすぎていて、舞台転換が忙しない。

第二幕は、舞台下手側に、戦争で真っ黒に焼き払われた乗用車が一台。そして、下手側奥から上手側手前に向けて、戦場でよく見られる有刺鉄線が張られた。デズデーモナが島民から花束をもらう場面は、有刺鉄線の向こう側で行われ、銃を構えた兵隊による島民に対する手荷物検査も同時並行で進められる。ただ、ストーリーの本筋は全て有刺鉄線の手前側で進行するため、この幕で舞台を二分した意味はあまりなかった。

第三幕は、テレビカメラが登場し、イアーゴ、オテロ、そしてデズデーモナがこのカメラで相手を映し出したり、逆に覗き込んだりといった演技が入った。広間に人々が集まると、そこは、メディアを前にして、各国の代表が整列したかのような外交シーン。オテロが座るソファーの背後には、両国の代表が堅い握手を交わしているかのような二人の右手のアップの写真があった。

第四幕は、一転して、セットが何も存在しないかのような広い空間(実際には、舞台袖の壁面のような絵柄のパネルで覆われていた。)。ベッドは存在せず、各役者の立ち演技だけで全てが表現された。

筆者はドイツ語を解さないので、プログラムに記載された演出ノートを読んでいない。ただ、戦争や植民地政策に関する政治的な主張を含む挑発的なプロダクションであったことは、容易に窺われる。もっとも、それをこの「オテロ」という作品でやることにどれだけの意味があったのだろうか。少なくとも、第一幕から第三幕において強調されていた「戦争」というモチーフについては、第四幕の筋書きとの関係では、およそ関連性が感じ取れなかった。今回の演出では、デズデーモナは、第一幕冒頭でウェディングドレス姿で登場し、第四幕でも再びウェディングドレスに着替えて死を待つという設定であったが、筆者の中では、唯一この点だけが一貫性のある設定と感じた。しかし、この設定も、「戦争」とは直接の関連性は有しない。ストーリーを改変するほどの読み替えではなかっただけマシではあるが、「オテロ」の演出としては、いまいちな印象であった。

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音楽面では、全般を通じ、オテロ役のホセ・クーラと、イアーゴ役のトーマス・ハンプソンのいずれもが、結局はパワーで押し切った感じであった。いわゆる見せ場に関しては、圧倒的な声量かつ輝かしい歌唱で、演技も情熱的なのだが、それ以外の箇所が明らかに抑え気味かつ惰性的なので、緊張感が続きにくい。この路線で突き進むと、台本と音楽との結び付きが極限まで考え抜かれた「オテロ」という作品の魅力の多くが失われてしまう。しかも、デズデーモナ役のフィオレンツァ・チェドリンスは、声量よりも、気品のある表現力で勝負するタイプゆえ、第二幕の四重唱は、パワーで押しまくるオテロとイアーゴに挟まれ、デズデーモナが完全にかき消されてしまった。筆者は、2.Rangという遠めの座席にいたため、どうしても客観的に進行を眺めてしまうのだが、前述のとおり、外面的な効果にとどまった演出コンセプトとも相まって、第三幕までは、心に迫ってくるものがなかった。

それでも、第四幕冒頭の「柳の歌」におけるデズデーモナ役のチェドリンスの渾身の表現力により、劇場内は一気に静まりかえる。この歌唱を聴けただけで、この日来場した価値があったといっても過言ではない。実に素晴らしかった(今年5月にウィーンで観た「シモン・ボッカネグラ」のときに受けた悪い印象は、完全に払拭された。)。チェドリンスが創り上げた悟りの世界観を引き継ぎ、ストーリーは高い緊張を保ったまま一気に進行し、幕切れへ。この「柳の歌」がなかったら、この日の公演は、うるさいだけの外面的な上演として記憶されてしまっただろう。

ところで、プレミエ作品におけるチューリッヒ歌劇場管弦楽団の巧さは、ずば抜けている。細かいパッセージまで周到に準備が重ねられた形跡があるのみならず、全ての和声が完璧にはまっていたのには、心底驚かされる。管弦楽的には96%の完成度だ。合唱も、大人数で迫力があるばかりか、細かいニュアンスまでコントロールされていて、その充実ぶりは目を見張るものがあった。一つの常設歌劇場としてこれだけの技術的水準をキープできるのは、世界中を探しても、チューリッヒだけだろう。

ダニエレ・ガッティは、オーケストラから、現代的なシンフォニックなサウンドを引き出していた。いわゆるイタリア的爆演系で、引き算よりも足し算を多用し、オーケストラをよく鳴らす。チューリッヒ歌劇場のオーケストラ特有のきめの細かさが相まって、美観に満ちた綺麗な響きが劇場を支配した。第一幕の迫力はさすがであったし、第二幕の感情表現も的確であった。キビキビとしたテンポ感も良好。バランスもよくコントロールされていたし、盛り上がりや高揚感も十分に感じられた。

それゆえ、これが初期や中期のヴェルディ作品であれば、非常に当たりであったといえる。また、巷で行われている通常の「オテロ」に比べれば、技術的には、遥かに素晴らしい仕上がりだったことは間違いない。仮にこれがスカラ座であったとすれば、歌劇場の持つ独特の雰囲気が作用して、大成功に終わったであろう(実際、彼が指揮したミラノスカラ座の日本公演「ドン・カルロ」は、悪くなかった。)。教科書的に分析すれば、全く文句のつけようがない。

しかし、筆者の心は動かなかった。常に明るく、そしてあまりに健康的な彼のサウンドは、「オテロ」という作品においては、能天気すぎたのではなかろうか。

とりわけ興醒めであったのは、第四幕の「アヴェ・マリア」の末尾や、オテロが全てを悟った瞬間の静寂、オテロが自害した直後の幕切れに向けた展開など、音楽的な緊張度の高い瞬間において、安易に発せられた開放的なサウンドの数々。ここは、もう少しやりようがあったのではなかろうか。

また、第二幕冒頭の三連符のモチーフも、掘り下げ不足であり、その他、「オテロ」の作品に垣間見られる陰の要素は、ことごとくスルーされていた。

チューリッヒ歌劇場は、その反応の良さゆえ、指揮者の個性や感性がストレートに現れる。「オテロ」に対する筆者の要求水準が高すぎるのかもしれないが、もう少し含蓄のある複雑な響きが追究されるべきと感じた。

あえてスター歌手を揃えなくても構わないから、マエストロ・サンティの指揮の下、チューリッヒ歌劇場の馴染みのキャスト陣により上演して欲しかったというのが筆者の本音である。

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終演後は、再びスイス・クッチ(Swiss Chuchi)を訪れ、ミートフォンデュを。ホテルに二泊した上に、レストランに三度も足を運べば、大半のスタッフが顔馴染みになる。ユーモアのあるベテランスタッフとの会話も楽しみつつ、最終日のディナーを過ごした。

午後8時すぎ、チューリッヒ中央駅に向かい、往路と同様、シティナイトラインに乗車し、翌朝午前5時42分にケルン中央駅に到着。復路は、スケジュールが若干忙しないため、ゆっくり楽しむことができなかったが、夢うつつながらも、途中駅での車両切り離しなどを体感しつつ、気がつくと、コブレンツの駅であった。なお、この日のシティナイトラインは、途中駅での遅れを取り戻すべく、後半はかなりスピードを上げた走行であったため、若干寝心地が悪かった。それでも、揺れをあまり感じさせないのは、ドイツ国鉄車両の凄さだ。ケルン中央駅で1時間の乗り継ぎの後、午前6時44分発のタリスでブリュッセルに戻る。今朝は、約7分の遅れにとどまる。ブリュッセルでは、これでも優秀な方だ。

今回は、オペラを鑑賞する以外には、大したことはやっていない。しかし、充実感は十分。内容の濃い4泊5日であった。


(公演情報)

Otello Verdi
Sunday, 30.10.2011, 14:00-17:00

Conductor Daniele Gatti
Producer/production Graham Vick
Set design Paul Brown
Costumes Paul Brown
Lighting Jürgen Hoffmann
Choir rehearsal Jürg Hämmerli
Orchestra Zurich Opera House Orchestra

Fiorenza Cedolins (Desdemona)
Judith Schmid (Emilia)
Jose Cura (Otello)
Thomas Hampson (Jago)
Stefan Pop (Cassio)
Benjamin Bernheim (Rodrigo)
Pavel Daniluk (Lodovico)
Tomasz Slawinski (Montano)
Evgeny Sevastyanov (Ein Herold)
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[2011/11/01 08:40] | 海外視聴記(チューリッヒ) | トラックバック(0) | コメント(0) |
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