ましましの音楽日記
G.ヴェルディの作品をこよなく愛するオペラ愛好家による音楽日記です。筆者が鑑賞した海外でのオペラやコンサートの模様や、筆者自身が日頃行っている音楽活動などについて、不定期に綴っていきます。
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ウィーン行き(11年11月)③―メスト指揮ウィーン国立歌劇場「タンホイザー」
11月20日午後4時半、オペラ座へ。フランツ・ウェルザー・メスト指揮ウィーン国立歌劇場「タンホイザー」。クラウス・グート演出による2010年6月プレミエの再演で、今シーズンはこの日が初日。キャスト陣には、ステファン・グールドとマティアス ・ゲルネが名を連ねた。なお、今回の上演では、ドレスデン版がベースとして用いられた。

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日曜日の夜公演は、観光客やおしゃべりマダムが少ないからなのか、この日は、珍しく客層が良かった。ウィーン国立オペラ座で、静寂を共有できる空気を感じたのは、今回が初めてである。

筆者の座席は、1.Rang Loge 10 Linksの1列目。10月22日にサロメを鑑賞した座席とは、線対称の場所に位置するが、前回と比べると、響きが豊かに感じられ、オーケストラピット内からは柔らかい響きが立ち昇ってきた。時と場合によって、ここまで響きが変わって聞こえるというのも、ある意味で不思議な話である。

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オーケストラピット内には、シュトイデとダナイロヴァの両コンマスをはじめ、マチネのステージ上で見かけた顔ぶれが多く見受けられた。この日は、幕開き早々から、何かが起きそうな予兆が感じられたが、その予感は的中した。

比喩的に述べれば、雑多に集められた宝石の原石らが、一方では、メストの手により鮮やかに研磨されていき、他方では、キャスト陣とオーケストラの対話という魔法により次々と化学反応を起こしていく。そして終盤では、それらの原石が別次元において一つに融合し、驚くべきほどの輝きを放ちながら昇華していったといったところであろうか。

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序曲は、お世辞にも上手とはいえない。やる気はイタイほど伝わってくるが、完全に空回り。細かいパッセージや、1stヴァイオリンが高音に上がった際のハーモニーなどは、必死に堪えてはいるが、出てくる音はガチャガチャ。ぶっつけ本番なら、こんなものだろう。巡礼の合唱に始まる淡く深遠な響きは、この作品のテーマである「苦悩」を強く想起させるし、内声部の動きがくっきり鮮やかに浮かび上がるバランスも絶品である。序曲の末尾において、喚き立てず、厳かなまま終結するあたりも、メストのセンスのよさを感じさせる。

第一幕第一場ないし第二場は、悩めるタンホイザーと、上品さを保ちつつも官能的なエロスで誘惑するヴィーナスとの間で繰り広げられる駆け引きが、タンホイザー役のグールドとヴィーナス役のイレーネ・テオリンの彫りの深い表現力によって、強く印象付けられる。

第三場では、牧童の清純さ、序曲の流れを汲んだ巡礼の合唱、記憶をなくしたタンホイザーの対比が、音楽的に完成されていた。この点は、メストがここまでに仕込んできた音楽の流れと、グールドの卓越した表現力とが相まって、一つの化学反応が起きた瞬間であったといえよう。狩の角笛に多少の粗が見られた点は、あえて目を瞑ることとする。続く第四場では、仲間たちのキャストの配役のバランスがよく、舞台上とオーケストラピット内との間で、室内楽的なアンサンブルが緻密に構築された。

こうして、第一幕において、この日の音楽的な方向性が明確に打ち出された。驚いたのは、第二幕以降である。

休憩を挟み、幕が開くと、オーケストラの音色が見違えるほど洗練されていた。第一幕では、試行錯誤の跡が見られ、凸凹が散見されたが、第二幕では、響きが完全に落ち着き、ウィーンフィルの音色がオーケストラピットから柔らかく立ち上がるようになったのだ。この変化も、ある種の化学反応といえるかもしれない。

集中力のボルテージが上がると、鰻上りに良くなっていくのが、ウィーン国立オペラ座の凄さだ。第二幕第一場では、エリザーベトの表情の翳りが前面に表われ、オーケストラとのコラボレーションにより、静寂の中、暗い影が舞台上に淡く広がる。

続く第二場では、タンホイザー、エリーザベト、ヴォルフラムの三者が、いずれも深い苦悩を窺わせ、第一場における影の要素がそのまま引き継がれる。第三場を経て、第四場に入っても、いわゆるグランド・オペラ的な華やかさはなく、あくまでも純音楽的に進行する。この方向性は、黒服を纏った中世の僧侶たちのような集団が舞台上を埋め尽くすという演出とも親和性がある。実に格調の高い第二幕であった。

そして、再度の休憩を経て開始された第三幕の導入曲では、全ての響きが別次元へと移行した。

第一場、そして第二場における舞台の空気は、「死」を目前に控えた「静」の美しさに覆われ、怖ろしいほどに透明である。消えるか消えないかの限界に挑戦するオーケストラのピアニシモも、化け物の域に達しており、涙腺が開きそうになる瞬間の一つであった。なお、序曲から一貫したスタンスで描かれてきた「巡礼の合唱」は、完全なる静寂が支配するこの場面では、むしろ力強さをも感じさせたが、この対比こそが、逆に、この場面における「静」の側面をより一層浮き立たせていた。メストのバランス感覚に脱帽である。

第三場の「ローマ語り」は、もはや歌ではなく、ドラマと化していた。それだけ迫真的な上演であった。タンホイザー、ヴォルフラム、オーケストラの三者が、これほどまでに体当たり的であったのに、全体としてみると、美観が全く損なわれなかったのは、彼らの実力の高さゆえであろう。ヴィーナスが登場しても、舞台上は、決して下品にならない。最後の合唱が神々しく響きわたり、心が高揚する中で幕切れとなった。

この日の上演の起爆剤となったのは、何といっても、タンホイザー役のグールド、ヴォルフラム役のゲルネ、エリーザベト役のシュヴァーネヴィルムスの深い表現力である。

グールドは、一方で、真に悩み、そして自虐的になり、他方で、純粋に官能的なエロスに惹かれそうになり、またある時は心が空っぽになり、という精神分裂的なタンホイザーの内面を、声によって正確に描き分け、必要十分な演技でこれをサポートした。タンホイザー役としての完成度に関しては、同じくこの役を得意とする他のテノール歌手とは次元が違う水準にあった。

一方、ゲルネも、真剣に悩み、そして倫理感を保ちつつも、友情にあふれるヴォルフラムを表現した。滑らかなディクションと、柔らかい声の質感は、ただのジェントルマンに終わりがちな一般的なヴォルフラム像とは、一線を画していた。なお、この日のゲルネは、明らかに不調で、声量が上がったり、高音域に達したりすると、声がなくなりそうになるほどの状況であったが、むしろ、「静」に軸足を置いたことで、その翳りの要素が強調され、結果的に、この日の上演全体の方向性を決する重要な役回りを果たしたといえる。

エリーザベト役のシュヴァーネヴィルムスも、リリックで、声の線は強くはないものの、ヴォルフラムと同様、「静」を徹底的に追究した結果、味わい深い表現に仕上げることに成功していた。

「タンホイザー」という作品で、これほどまでに「静」を感じたのは、今回が初めてであった。このような「タンホイザー」に導いたのは、メストの手腕以外の何物でもない。

メストは、弦楽器を主体とし、そこからビルドアップしていくような音楽の創り方をする。それゆえ、騒がしくなったり、品がなくなったりすることはなく、終始一貫して、最良のバランスで、音楽が組み上がる。柔らかいタッチであり、端正かつ丁寧だが、長い息吹でスーっと流れる推進力も存在し、そのベースの下で、歌手や奏者らを自由に泳がせる度量を兼ね備えている。少なくとも現時点で、ウィーン国立オペラ座の魅力を最大限に引き出す指揮が出来るマエストロであることは、間違いない。

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オーケストラに関しては、過去のプレミエ演目の再演であるため、おそらく、ぶっつけ本番に近い状況だったはずだ。それゆえ、技術的には、粗や滲みが散見されるし、特に最初の方は、聞くに堪えないような箇所も見受けられた。それでも、本番に向けての集中力には、想像を絶するものがあり、劇場内で進行する楽劇の流れを踏まえ、各奏者が新たな化学反応を求めて次々と仕掛けてくるというのも、ウィーン国立オペラ座ならではの光景である。この日は、再演の初日ゆえ、一からの再出発となったことから、幸か不幸か、そうした再構築のプロセスを目の当たりにすることができたのだ。マチネでは、シラーっとした表情で演奏していたオーケストラ奏者たちが、この日のオーケストラピット内では、冒頭から非常に活き活きと弾いていたのを見ると、複雑な心境にもなるが、ともあれ、ウィーン国立オペラ座の凄さをまた一つ発見できたので、これはこれでよしとしよう。

なお、演出に関しては、第一幕後半がホテル・オリエント、第二幕がウィーン国立オペラ座の上階ホワイエ、第三幕が精神病院の病室という場面設定で、様々な読み替えがなされていたが、第一幕や第二幕については、ストーリー展開に照らして違和感はなく、また、第三幕についても、「死」という側面を強く打ち出したという意味では、一定の効果が見出せたことから、許容範囲内のものだったと感じた。もっとも、この日の上演に関しては、そのような演出的コンセプトとは異なるところで決着がついていたので、舞台鑑賞の邪魔にさえならなければ、もはやどういう設定でも構わなかったともいえる。

カーテンコールでは、割れんばかりの轟音のようなブラボーの嵐。こんな騒ぎは、ザルツブルグ音楽祭でも聞いたことはない。一通りのカーテンコールが終了して、大半の観客が帰路に着いた後も、筆者を含む数十人のファンたちによる熱狂的な拍手は止まず、メストと主役三名を何度も舞台上に呼び戻すほどの盛り上がりであった。

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終演後は、そのままホテルに直帰。翌朝は、OS351便にてブリュッセルへ。朝7時のウィーンは、氷点下2度か3度。冷気が滑走路と航空機を覆ったことから、その処理のために出発が1時間近く遅れるハプニングもあったが、何とかブリュッセルに辿り着き、職場に直行。ウィーンに比べると、ブリュッセル市内は、まだ秋の香りが残っていて、外気もマイルドである。


(公演情報)

20. November 2011
17:00-21:00

TANNHÄUSER | Richard Wagner
Franz Welser-Möst | Dirigent
Claus Guth | Regie

Sorin Coliban | Hermann
Stephen Gould | Tannhäuser
Matthias Goerne | Wolfram von Eschenbach
Anne Schwanewilms | Elisabeth
Iréne Theorin | Venus
Herbert Lippert | Walther von der Vogelweide
Alexandru Moisiuc | Biterolf
Peter Jelosits | Heinrich der Schreiber
Il Hong | Reinmar von Zweter
Ileana Tonca | ein junger Hirt
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[2011/11/22 06:44] | 海外視聴記(ウィーン) | トラックバック(0) | コメント(0) |
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