ましましの音楽日記
G.ヴェルディの作品をこよなく愛するオペラ愛好家による音楽日記です。筆者が鑑賞した海外でのオペラやコンサートの模様や、筆者自身が日頃行っている音楽活動などについて、不定期に綴っていきます。
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ライプツィヒ・ミュンヘン行き(11年11月)②―ブロムシュテット指揮ゲヴァントハウス管「ブルックナー9番」ほか
11月26日午後7時半、ゲヴァントハウスへ。ヘルベルト・ブロムシュテッと指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団による演奏会。バッハのヴァイオリン協奏曲第2番とブルックナーの交響曲第9番が採り上げられた。

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筆者に割り当てられた座席は、舞台下手サイドの5列目。サントリーホールでいうところのRAブロックに相当する。舞台前方に位置する弦楽器の音が遠く感じられたが、ホールの奥行きがそれほどあるわけではないので、舞台上の音はホールの壁を伝って良い具合に回ってくる。逆に、舞台後方の管打楽器は、舞台上からの直接音がかなり強かった。

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プログラム前半は、バッハのヴァイオリン協奏曲第2番。鬼才レオニダス・カヴァコスが独奏を務めた。

ゲヴァントハウス管による伴奏は、バッハ演奏の王道だ。ふくよかさとしなやかさを兼ね備えた響きと、折り目正しい適切な拍子感は、極めてシンプルなこの作品に、心地よい推進力をもたらす。聖トーマス教会での演奏を通じて慣れ親しんでいるだけに、正統的なバッハ演奏のメソッドが身体に染み込んでいるのが感じられた。

一方、カヴァコスの独奏は、ピリオド奏法のアプローチに依拠した直線的な演奏。細い線ながら艶やかな音色は、悪くはないが、金属的な響きがストレスフルだし、ゲヴァントハウス管の醸し出す音楽の流れともミスマッチな箇所が多かった。第一楽章と第三楽章は、粗野なリズム感で黙々と直進するのみで、変化も余裕もない。肝心な決め所で音がかすれるミスが数回発生したため、客席からは溜め息が漏れる場面も。他方で第二楽章は、個々の装飾を綺麗に飾ってはいるが、全体としては散漫な印象。一つの楽章が終了するたびに、客席内は、異論を唱えるかのようにガヤガヤと騒がしくなり、なかなか次の楽章を開始することができない状況も。

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この街のバッハに対する想いの強さは、格別のものがあるようだ。カヴァコスも、他の街であれば、今回のような演奏であっても、鬼才として高く賞賛されたのであろう。音楽の街ライプツィヒは、実に恐ろしい場所である。

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プログラム後半は、ブルックナーの交響曲第9番。ゲヴァントハウスの黄金時代を築いたこのコンビがどのような演奏を魅せるのかが最大の関心事であった。

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ブロムシュテットは、まるで精密機械のチューニングをするかのように、繊細な指示で音楽を組み立てていく。タクトから示される指示の情報量は、彼がN響を指揮するときよりも格段に多く、入念な仕上げがなされてきた経緯が窺われる。オーケストラの反応もすこぶるよく、ディテールへの見通しのよさは終始一貫していた。

それゆえ、本来であれば、圧倒的な名演が生まれて然るべきであった。しかし、実際には、縦横の線を細部まで徹底して合わせるという以上のレベルに到達できていなかったというのが筆者の率直な印象だ。

第一楽章の前半は、几帳面さが裏目に出て、音楽が流れない。第一主題では音型の描き分け以外のことがなされず、第二主題からも歌は沸いてこなかった。小綺麗にまとまってはいるが、どこか物足りない。一方で、こうした悶々とした流れの中、突如として、金管楽器が勇ましく音をぶっ放すから、押し出しの強さが裏目に出てしまい、表面的な印象を与えてしまう。
筆者の座席では、弦が遠く、逆に管打楽器が生々しく聴こえたため、そうした傾向が誇張されて感じられたのかもしれないが、それだけではなかったと思う。実際、後半に訪れる息の長いクレッシェンドでは、音楽の積み上げが見事に決まり、頂点のフォルテシモにおいて音楽が爆発したし、末尾の直前に訪れるフェルマータ前のフォルテシモも、細かい八部音符の音型が立体的に組み合わさり、凄まじいクライマックスが築かれていた。
やれば出来るはずなのに、なぜ集中力が続かないのか、なぜ冒頭からテンションを上げないのか、自問自答を繰り返しているうちに、第一楽章が終わってしまった。

第二楽章は、この日の中では最も良かった。悪魔が牙をむくようなフォルテシモの連打と、田園的で軽やかなスタッカートの対比が明快で、音楽的にも充実していた。音楽自体が断片的なので、この日のような状態でも、演奏効果を導き出すことができたのだろう。

第三楽章も、第一楽章と同様。兎にも角にも、弦楽器の奏でる音楽に力がなく、音符にスピリッツが宿らない。部分的には、熱演風にも見える場面もあった。しかし、瞬間芸であり、全体の潮流には結び付くものではなかった。研ぎ澄まされた弱音は、綺麗にまとまってはいたが、それ以上のものには感じられなかった。

この日の演奏では、見通しの良いバランスと入念な創り込みが施されていて、なるほどと思う瞬間はたくさんあった。世界中を探しても、これだけの精度でアンサンブルを構築できるコンビは、他に見当たらないともいえる(逆に言えば、巷で行われている演奏では、誤魔化しが蔓延しているということである。)。本来であれば、それだけで満足すべきなのかもしれない。

しかし、筆者の知るブロムシュテットは、それに留まらず、巨大なスケールの音楽を描ける指揮者である。実際、この日も、几帳面なタクトの背後には、脈々とした音楽の潮流が感じられた。弦セクションのメンバー全員に、もう少し気迫が漲っていれば、フレーズの後半で息切れすることはなく、それゆえ、音楽の流れは様変わりしていたであろう。響きを保ち、そして次に繋げようとする一押しを、是非とも気持ちで演出して欲しかった。

3日連続の演奏会の最終日であったため、たまたま注意力が散漫になってしまったのだろうか。それとも、前2日も同様だったのだろうか。そもそも、筆者に割り当てられた座席が良くなかっただけなのか。複雑な心境で帰路に着いた。

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終演後は、ゲーテも通ったとされる1525年創業の老舗レストラン、アウアーバックス・ケラーへ。雰囲気は上々。味は普通。有名観光スポットの一つゆえ、訪問したこと自体に意義を見出すべき場所である。小一時間で夕食を済ませ、ホテルに戻る。


(公演情報)

26.11.2011, 20:00 Uhr
Großer Saal

Gewandhausorchester
Herbert Blomstedt - Dirigent
Leonidas Kavakos - Violine

Johann Sebastian Bach / Konzert für Violine und Orchester E-Dur BWV 1042
Anton Bruckner / 9. Sinfonie d-Moll
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[2011/11/29 07:30] | 海外視聴記(ライプツィヒ) | トラックバック(0) | コメント(0) |
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