ましましの音楽日記
G.ヴェルディの作品をこよなく愛するオペラ愛好家による音楽日記です。筆者が鑑賞した海外でのオペラやコンサートの模様や、筆者自身が日頃行っている音楽活動などについて、不定期に綴っていきます。
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ケルン・ミュンヘン行き(11年12月)②―メータ指揮バイエルン国立歌劇場「トゥーランドット」
12月10日、昼過ぎにホテルを出て、ミヒャエル教会、フラウエン教会、マリエン広場のクリスマスマーケットなど、ミュンヘン中心部の代表的な名所を散策。ミュンヘンに泊まるのは三回目だが、過去二回は演奏会に足を運んだだけで、ろくに観光をしていなかった。マリエン広場近くのレストランPfistermühleで、昼食として、ガチョウのテリーヌとミュンヘン風ターフェルシュピッツを。トリップアドバイザーで高評価を得ているだけあって、サービスはキチンとしているし、愛想も良い。値段はそれなりだが、味も上々で、久々に気持ちよく食事をすることができた。

夕方、いったんホテルに戻り、態勢を整え、午後7時前にバイエルン国立歌劇場へ。ズービン・メータ指揮バイエルン国立歌劇場による「トゥーランドット」。今シーズンのプレミエで、この日は3回目の上演にあたる。劇場内は満席。この演目は、発売開始時からかなりの競争率で、良い座席を確保するのに一苦労した。

筆者の座席は、3.Rang中央1列目。オーケストラピットまで見渡すためには、身を乗り出さなければならないが、視野、音響ともに、そこそこバランスの取れた場所で、悪くはない。

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このプロダクションは、先週のプレミエ以来、物議を醸し出している話題作である。そもそも設定が痛烈だ。舞台は2046年のヨーロッパ、その時点から30年以上前、つまり現在の欧州経済危機を受け、欧州に存在する全ての債務、所有権、自然資源が中国に買収されて以来、欧州全域は中国法の統治下に置かれており、氷のような心の持ち主トゥーランドットによる欧州市民の扱いは、まるでビッグブラザーのようだというもの。シニカルな設定だが、欧州人にとっては単なるジョークとして笑い飛ばせない現実味がある。

カルルス・パドリッサが採った手法は、近時の現代版演出によく見られるCG多用型の演出で、その作り込みは尋常ではなかった。スクリーン、紗幕、白ベースの大道具を効果的に活用し、鮮烈な画像を映し出すばかりでなく、アナグリフ用赤青メガネを観客全員に配布し、立体映像まで見せようというもの。
もっとも、アナグリフによる立体映像に関しては、各幕で用いられてはいたものの、第二幕でトゥーランドットが残酷な謎解きを始めるに至った経緯を語る場面で、その内容に呼応するレトロ調の映像を映写した以外は、単なるCGにすぎず、どれほどの効果があったかは疑問だ。後述のとおり、赤青メガネを付けたり外したりという余計な動作を求めた結果、観客の集中力が殺がれ、劇場内の緊張感が保たれなくなったというデメリットが生じており、こういった手法については、さらなる研究が必要と思われる。

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なお、その他に関しては、悪くはないが、漢字への理解が薄い外国人が漢字を多用した結果として滑稽な装飾に終わってしまうという、この作品でよく見られる違和感を克服できなかったのは惜しかった。また、サーカスのような演技の数々は、最近の流行なのかもしれないが、シナリオとの関連性は低く、今回の演出プランの中では無くてもよい要素であった。

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さて、上演の方だが、幕別にみると、第一幕では、冒頭の合唱が弛緩気味だったのが気になった。大人数で、迫力は十分なのだが、ワーッと勢いで押し切る歌唱法で、拡散傾向にあったため、各フレーズの後半でオーケストラのテンポ感から遅れてしまう場面が散見される。メータは何度もテンポの引き締めを図るが、なかなか改善せず、結局、これがこの日の上演の流れを決定付けてしまった。なお、この後、舞台奥から登場した天使のような子供たちの合唱は、一歩一歩進むステップと音楽が呼応していて、なかなか良かった。
続く、ペルシア王子の処刑の場面は、ドラマティックに盛り上がっていたと思われるが、赤青メガネの付け外し及びこれに伴い客席から大量に発生するノイズに気を取られてしまい、集中して鑑賞することができず。ピン・パン・ポンは、脇役らしく地味に役をこなしていたが、キレが足りなかったかもしれない。
第一幕の見せ場、リュウの「お聞きください、王子さま」とカラフの「泣くなリュウ」は手堅くまとめていたが、音楽的にジーンと浸れる瞬間はなかった。リュウ役のエカテリーナ・シェルバチェンコがもう少し情感を出せると、ぐっと印象が変わったはずなのだが。
ともあれ、幕切れは、堂々としたクライマックスで、グランドオペラの醍醐味が味わえる盛り上がりであった。

第二幕は、冒頭の演出に問題があった。舞台中央にドクロが大量に並べられているが、大きな一枚の網に括り付けられており、音楽の流れに合わせて、それらが波打ったり、上空に舞い上がったりする。その都度、大量のドクロがゴトゴトと音を立てて動き回るので、観客としては、音楽に全く集中できない。ピン・パン・ポンの歌唱も弛緩気味で、緊張感はいま一歩。
場が変わり、皇帝の登場の場面に至ると、バンダのファンファーレがテンポから大きく乗り遅れる。これにつられるかのように、合唱やオーケストラも大味なテンポ感に至り、拡散傾向に歯止めがかからない。プレミエも3回目の上演になると、演奏者側に慣れが出てきて、緊張感が続きにくくなるのだろうか。
トゥーランドットが登場すると、赤青メガネの設置が促された。舞台中央上空に宙吊りにされたトゥーランドットから、レトロ調の映像が眼前に飛び出してくるという仕掛けは、話としては納得できたが、他の代替手段もあり得たように思われた。結局、この場面では、赤青メガネを設置したため、視野が狭くなり、舞台全体の進行を追いかけることはできなかった。なお、トゥーランドット役のジェニファー・ウィルソンによる独唱は、張りのある立派なものだったが、最高音ないしそれに次ぐ音を張り上げる箇所では、叫び声に近い硬さがあり、表現がやや陳腐なものになってしまっていたのが残念。このあたりまで含めて余裕を持って歌わないと、ドS女性の王道を行くトゥーランドットの真の姿は浮かび上がらない。
対して、カラフ役のマルコ・ベルティの歌唱には、安定感があった。自分勝手で空気が読めないカラフという役柄を考えると、あまり人情味を醸し出さず、直線的に堂々と歌いきってしまった方が良いのかもしれない。
なお、メータは、謎解きの場面で、オーケストラの合いの手を実に引き締まったリズム感で挿入し、拡散傾向にあった音楽の流れの引き戻しを図る。これは、ある程度は功を奏し、その後に現れるカラフによる謎かけや皇帝賛歌の場面への伏線となった。クライマックスで緊張感を高め、幕切れにおいて手に汗を握るような壮大なスペクタルを演出したメータの貫禄は、さすがである。

第三幕冒頭では、充実の音楽に支えられ、有名なアリア「誰も寝てはならぬ」がカラフ役のベルティにより堂々と示される。メータは音楽をいったん中断し、客席からの拍手を誘う。これにより、劇場内に立ち込めていた微妙な空気が融解。音楽のテンションが上がり始めた。
その後は、カラフを誘惑するシーンで、トップレスな女性やフィギアスケーターが登場するなどのネタが混じり、これらは正直不要と感じたが、音楽に集中できる環境がようやく出来上がってきていたので、個人的にはそれらは無視した。
そして、第三幕最大の見せ場、リュウのアリア。手堅くまとめてはいたが、涙を誘うような仕上がりではなかった。リュウ役のシェルバチェンコには感情表現の点でもう一歩踏み込んで欲しかったと感じたのは筆者だけだろうか。ともあれ、リュウの死が印象的に描かれ、舞台はその死を悼む葬送の場面で幕。今回のプロダクションでは、メータの判断により、プッチーニの絶筆部分で終了となった。唐突にハッピーエンドに至る補筆部分の流れに違和感を覚えていた筆者としては、今回の判断には納得がいった。

言うまでもなく、カーテンコールでは、メータに対してブラボーの大合唱が客席から飛び、マエストロの奮闘に対する最大限の賛辞が送られた。

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ここで、今回のプロダクションについて筆者が感じたことを若干書き記しておきたい。

率直に言って、パドリッサの演出プランは、プッチーニの描いた音楽のメリハリとは、完全には呼応していなかったように思われる。舞台上に意識を向ければ、メータが創り込んだ音楽が頭に入ってこないし、逆に、演奏に集中すれば、舞台上の動きが腑に落ちてこない。
そもそもオペラは、台本とこれに沿った音楽から成り立つ。テクストに基づき、演出家の立場から、あれこれと試行するのは構わないが、音楽に携わる立場から言わせてもらえば、音楽が静かな場面では、舞台上も静寂を保って欲しいし、逆に音楽が盛り上がる場面では、舞台上も高揚感を醸し出して欲しい。五感が全て感化されるクライマックスの創出こそが演出家の腕の見せ所ともいえる。
終演後、今回の上演中に筆者が感じた若干の違和感の原因をしばし考察してみたが、パドリッサの演出プランの中に、音楽の流れと呼応しない要素、つまり、目新しさからやってみたという通俗的な要素が散見されたことが、チグハグな印象を残した最大の理由であろうとの結論に至った。構成自体は悪くなかっただけに、惜しい限りである。

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なお、メータの指揮姿から想像するに、メータはもっと引き締まった音楽を志向していたと思われる。しかし、この日は、大掛かりな舞台装置とも相まって、キャストや合唱が拡散方向の歌唱にシフトしてしまったため、路線を修正し、グランドオペラ風の大味な流れで全体を運んだのではなかろうか。
劇場内の空気がもう少し張り詰めていれば、また、赤青メガネの付け外しや、舞台上の雑音がもっと少なければ、一瞬即発の圧倒的なパワーが音楽に漲っただろう。メータの指揮するバイエルン国立歌劇場管の演奏を聴く限り、オーケストラのサウンドには、きめ細かく創り込まれた痕跡が多数窺われた。しかし、この日の上演において、そういった努力が十分な効果を導くに至らなかったのは、心残りでならない。
とはいうものの、悪条件の中でも、音楽的な緊張感を絶やすことなく、一本筋の通った上演を仕立て上げる職人メータの手腕には、心底驚かされた。

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ともあれ、筆者個人としては、オペラ上演のあり方の大事な部分を学んだ内容の濃い一夜であった。

終演後は、オペラ座前の有名レストラン、シュパーテンハウスへ。愛想は悪くないが、客で溢れかえっていて、落ち着いて食事をすることはできなかった。また、ワイン酒場という割には、グラスワインの種類が少なく、さっさと食事をして早々に引き上げた。


(公演情報)

Turandot
Giacomo Puccini

Saturday, 10 December 2011, 19:00 Uhr
Nationaltheater

Conductor Zubin Mehta
Production Carlus Padrissa – La Fura dels Baus

La principessa Turandot Jennifer Wilson
L'imperatore Altoum Ulrich Reß
Timur, Re tartaro spodestato Alexander Tsymbalyuk
Il principe ignoto (Calaf) Marco Berti
Liu Ekaterina Scherbachenko
Ping Fabio Previati
Pang Kevin Conners
Pong Emanuele D'Aguanno
Un mandarino Goran Jurić
Il principe di Persia Francesco Petrozzi

Kinderchor Kinderchor der Bayerischen Staatsoper
Extra-Chor Extrachor der Bayerischen Staatsoper

The Bavarian State Orchestra
The Chorus of the Bavarian State Opera
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[2011/12/13 07:31] | 海外視聴記(ミュンヘン) | トラックバック(0) | コメント(0) |
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